周官曰冬日至祀天於南郊迎長日之至
周官曰く、冬の日(太陽)の至(極点)に、南郊に於いて天を祀(まつ)り、長い日(太陽)の至(極点)を迎(まちうける)え、
夏日至祭地祗皆用樂舞而神乃可得而禮也
夏の日(太陽)の至(極点)に、地祗(土地の神)を祭り、皆(みな)、楽舞を用い、しこうして、神はそこで礼を得ることができるのである。
天子祭天下名山大川五嶽視三公四瀆視諸侯諸侯祭其疆內名山大川
天子は天下の名山、大川を祭り、五獄は三公を視(つかさどる)て、四瀆は諸侯を視(つかさどる)る。諸侯はその疆(境界)内の名山、大川を祭る。
四瀆者江河淮濟也天子曰明堂辟雍諸侯曰泮宮
四瀆とは、江、河、淮、済である。天子曰く、明堂、辟雍、と。諸侯曰く、泮宮(はんきゅう)、と。
周公既相成王郊祀后稷以配天宗祀文王於明堂以配上帝
周公(周公旦)がすでに周成王姫誦を相(補佐する)し、后稷(周の太祖 姫棄 本姓公孫氏)を郊祀(こうし 郊での天の神をまつる)して、配天(天のまつりに祖先(后稷)もあわせまつる)するを以ってし、周文王姫昌を明堂に於いて宗祀(そうし 廟での天のまつり)し、配上帝(上帝(=天帝=上代の帝王?)に、近い祖先(周文王)もあわせまつる?)するを以ってした。
自禹興而修社祀后稷稼穡故有稷祠郊社所從來尚矣
夏禹王が興(おこ)ってより、社祀(おそらく社=土地の神のまつり 祀=天の神のまつり)を修め、 后稷(周の太祖 姫棄 本姓公孫氏)は稼穡(かしょく 作物の植え付けと取り入れ)し、
故(ゆえ)に稷祠(穀物をまつるやしろ)を有(ゆう)し、郊社(こうしゃ 郊での土地の神をまつる)がより来(きた)るところは尚(遠い)なのである。
周官曰く、冬の日(太陽)の至(極点)に、南郊に於いて天を祀(まつ)り、長い日(太陽)の至(極点)を迎(まちうける)え、
夏日至祭地祗皆用樂舞而神乃可得而禮也
夏の日(太陽)の至(極点)に、地祗(土地の神)を祭り、皆(みな)、楽舞を用い、しこうして、神はそこで礼を得ることができるのである。
天子祭天下名山大川五嶽視三公四瀆視諸侯諸侯祭其疆內名山大川
天子は天下の名山、大川を祭り、五獄は三公を視(つかさどる)て、四瀆は諸侯を視(つかさどる)る。諸侯はその疆(境界)内の名山、大川を祭る。
四瀆者江河淮濟也天子曰明堂辟雍諸侯曰泮宮
四瀆とは、江、河、淮、済である。天子曰く、明堂、辟雍、と。諸侯曰く、泮宮(はんきゅう)、と。
周公既相成王郊祀后稷以配天宗祀文王於明堂以配上帝
周公(周公旦)がすでに周成王姫誦を相(補佐する)し、后稷(周の太祖 姫棄 本姓公孫氏)を郊祀(こうし 郊での天の神をまつる)して、配天(天のまつりに祖先(后稷)もあわせまつる)するを以ってし、周文王姫昌を明堂に於いて宗祀(そうし 廟での天のまつり)し、配上帝(上帝(=天帝=上代の帝王?)に、近い祖先(周文王)もあわせまつる?)するを以ってした。
自禹興而修社祀后稷稼穡故有稷祠郊社所從來尚矣
夏禹王が興(おこ)ってより、社祀(おそらく社=土地の神のまつり 祀=天の神のまつり)を修め、 后稷(周の太祖 姫棄 本姓公孫氏)は稼穡(かしょく 作物の植え付けと取り入れ)し、
故(ゆえ)に稷祠(穀物をまつるやしろ)を有(ゆう)し、郊社(こうしゃ 郊での土地の神をまつる)がより来(きた)るところは尚(遠い)なのである。