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Channel: 倭人伝を解く
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太上修其次修政

太上修其次修政其次修救其次修禳正下無之 最上は徳を修めること、その次は政治を修めること、その次は救(すくう)を修めること、その次は禳(はらう)を修めることで、まさに下は無い。 夫常星之變希見而三光之占亟用 それ、常星(恒星?)の変は希(まれ)に現われ、しこうして、三光(太陽、月、星)の占いは亟(すみやか)に用いる。 日月暈適雲風此天之客氣其發見亦有大運...

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史記 封禅書 始め

自古受命帝王曷嘗不封禪 古(いにしえ)より帝王の天命を授(さず)かって、曷(どうして)封禅をしないことを嘗(こころみる)しただろうか。 蓋有無其應而用事者矣 蓋(そもそも いったい)、その応(対処する)無くして事に用いられた者が有っただろうか。 未有睹符瑞見而不臻乎泰山者也 未(いま)だ符瑞(ふずい)が現われて泰山に臻(いたる)さなかった者を睹(見分ける)したことがないのである。...

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《尚書》曰舜在

《尚書》曰舜在璇璣玉衡以齊七政 尚書曰く、帝舜は璿璣(せんき 天文を測る機械)玉衡(璣衡きこう 球体の表面に天文をえがきこれを回転させて天文を観測する機械 )を在(みる あきらかにする)して、七政(七正 七星)を整えるを以ってした、と。 遂類于上帝禋于六宗望山川遍群神 遂(つい)に上帝を類(天をまつる)し、六宗を禋(けむりをのぼらせてまつる)し、山川を望(まつる)し、群神を遍(あまね)くした。...

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禹遵之

禹遵之後十四世至帝孔甲淫好神神瀆二龍去之 夏禹王はこれに遵(まもりしたがう)じた。十四世後、夏帝孔甲に至ると、徳を淫(みだ)し神( 鬼神)を好み、神(鬼神)は瀆(むさぼる)して、二匹の龍がこれを去った。 其後三世湯伐桀欲遷夏社不可作夏社 その三世後、殷湯王が夏帝桀を征伐(せいばつ)し、夏社を遷(うつ)すことを欲したが、できず、夏社を作った。 後八世至帝太戊有桑谷生於廷一暮大拱懼...

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周官曰冬日至祀天於南郊

周官曰冬日至祀天於南郊迎長日之至 周官曰く、冬の日(太陽)の至(極点)に、南郊に於いて天を祀(まつ)り、長い日(太陽)の至(極点)を迎(まちうける)え、 夏日至祭地祗皆用樂舞而神乃可得而禮也 夏の日(太陽)の至(極点)に、地祗(土地の神)を祭り、皆(みな)、楽舞を用い、しこうして、神はそこで礼を得ることができるのである。 天子祭天下名山大川五嶽視三公四瀆視諸侯諸侯祭其疆內名山大川...

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自周克殷後十四世

自周克殷後十四世世益衰禮樂廢諸侯恣行而幽王為犬戎所敗周東徙雒邑 周が殷に克(か)ってより十四世後、世は益々衰え、礼楽は廃(すた)れ、諸侯は行いを恣(勝手気まま)にした。しこうして、周幽王姫宮涅は犬戎の敗(やぶ)るところと為って、周は東に雒邑に移った。 秦襄公攻戎救周始列為諸侯 秦襄公が戎を攻めて周を救い、諸侯として列し始めた。 秦襄公既侯居西垂自以為主少之神作西畤祠白帝其牲用騮駒黃牛羝羊各一云...

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作鄜畤後九年

作鄜畤後九年文公獲若石雲于陳倉北阪城祠之鄜畤を作って後九年、秦文公は石雲(隕石?)のごとくを獲(え)て、陳倉の北阪城においてこれを祠(まつる)った。 其神或歲不至或歲數來來也常以夜光輝若流星 その神は或(あ)る年には至らず、或(あ)る年にはたびたび来て、来るのは常に夜を以ってし、光輝きは流星のごとく、 從東南來集于祠城則若雄雞其聲殷雲野雞夜雊...

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秦繆公即位九年

秦繆公即位九年齊桓公既霸會諸侯於葵丘而欲封禪 秦繆公嬴任好が即位して九年、斉桓公姜小白がすでに覇(は はたがしら)して、諸侯を葵丘に会(かい)し、しこうして、封禅を欲した。 管仲曰古者封泰山禪梁父者七十二家而夷吾所記者十有二焉 管仲曰く、「古(いにしえ)に、泰山で封をし、梁父で禅をした者は七十二家で、しこうして夷吾(わたし)が記(おぼえる)するところのものは十と二であります。...

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是歲秦繆公內晉君夷吾

是歲秦繆公內晉君夷吾 この歳、秦繆公嬴任好(または趙任好)が晋君夷吾(晋恵公姫夷吾)を内(うち)にいれた。 其後三置晉國之君平其亂繆公立三十九年而卒 その後、三度、晋国の君を置き、その乱を平らげた。秦繆公嬴任好が立って三十九年にして卒(なくなる)した。 其後百有餘年而孔子論述六藝傳略言易姓而王 その後、百と余年して、孔子が六芸を論述し、伝は、姓名を易(かえる)して王になり、...

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是時萇弘以方事周靈王

是時萇弘以方事周靈王諸侯莫朝周周力少萇弘乃明鬼神事設射貍首 この時、萇弘が方(術 (星占い?) 天官書より 天数者として紹介されています 数術とはうらないの術のこと)を以って周霊王に事(仕える)し、諸侯が周に朝するものがなくなり、周の力は減少し、萇弘はそこで、鬼神の事を明らかにして、狸首を射(い)ることを設(もう)けた。 貍首者諸侯之不來者依物怪欲以致諸侯...

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秦始皇既并天下

秦始皇既并天下而帝或曰 秦始皇帝嬴(趙)政がすでに天下を併(あわ)せて、帝になり、或(あ)るものが曰く、黃帝得土黃龍地螾見 「黄帝は土徳を得て、黄龍、みずち(地(ち)=螭(ち)?)が螾(うごめく)し現われました。。 夏得木青龍止於郊草木暢茂 夏は木徳を得て、青龍が郊に於いて止(とど)まり、草木が暢(長くのびる)し茂りました。 殷得金銀自山溢 殷は金徳を得て、銀が山より溢(あふ)れました。...

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即帝位三年

即帝位三年東巡郡縣祠騶嶧山頌秦功業 帝位に即(つく)して三年、東に郡県を巡(めぐ)り、騶嶧山を祠(まつる)し、秦の功業を頌(たたえる 文体の一つ)にした。 於是徵從齊魯之儒生博士七十人至乎泰山下 ここに於いて、斉、魯の儒者や博士七十人を徴(召し寄せる)て従え、至るは泰山の下(もと)。 諸儒生或議曰古者封禪為蒲車惡傷山之土石草木...

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始皇聞此議各乖異

始皇聞此議各乖異難施用由此絀儒生 秦始皇帝嬴政(趙政)がこれらの議が各(おのおの)乖異(かいい くいちがう)のを聞き、施用(せよう)を難(なん)じ、これに由(よ)り儒者を絀(しりぞける)した。 而遂除車道上自泰山陽至巔立石頌秦始皇帝明其得封也...

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皆各用一牢具祠

皆各用一牢具祠而巫祝所損益珪幣雜異焉 皆(みな)各(おのおの)一牢(一種類の、いけにえのごちそう)を用いて具(つぶさ)に祠(まつる)し、しこうして、巫祝(ふしゅく 神につかえるもの)が損益(捨てたり加えたりすること)したところの珪幣(たからもの)は雑異(ばらばらでことなる)のである。 自齊威宣之時騶子之徒論著終始五之運及秦帝而齊人奏之故始皇采用之...

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自威宣燕昭使人入海求蓬萊方丈瀛洲

自威宣燕昭使人入海求蓬萊方丈瀛洲 斉威王田因斉、斉宣王田辟彊、燕昭王姫平より、人をつかわし入海させ蓬萊、方丈、瀛洲を求めさせた。 此三神山者其傅在勃海中去人不遠 この三つの神山とは、その峰(みね 傅=峰?)は勃海中に在(あ)って、人に去ること遠くないと(人が近づくと)、 患且至則船風引而去蓋嘗有至者諸僊人及不死之藥皆在焉...

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二世元年東巡碣石并海南歷泰山至會稽

二世元年東巡碣石并海南歷泰山至會稽 秦二世皇帝(嬴胡亥)元年、東に碣石を巡り、海南を併(あわ)せ、泰山を歴(こえる)して、会稽に至り、 皆禮祠之而刻勒始皇所立石書旁以章始皇之功 皆(みな)これを礼祠し、しこうして、秦始皇帝が立てたところの石書の傍(かたわ)らに刻勒(きざむ)し、秦始皇帝の功徳を章(あきら)かにするを以ってした。 其秋諸侯畔秦三年而二世弒死...

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春以脯酒為歲祠因泮凍秋涸凍冬塞禱祠

春以脯酒為歲祠因泮凍秋涸凍冬塞禱祠 春には脯(干し肉、或いは干した果実)、酒を以って歲祠(さいし)を為し、因(よ)りて凍(氷)を泮(とかす)し、秋には凍(氷)を凅(こおる 涸=凅?)らせ、冬には禱祠(とうし)を賽(まつる)する。 其牲用牛犢各一牢具珪幣各異 その牲(いけにえ)は牛、犢(子牛)、各(おのおの)一頭を用いて、牢具(ごちそう)、珪幣(たからもの)はおのおの異なる。...

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汧洛二淵鳴澤蒲山嶽胥山之屬

汧洛二淵鳴澤蒲山嶽胥山之屬汧、洛の二つの淵(ふち)、鳴沢、蒲山、嶽胥山の属(ぞく)は、 為小山川亦皆歲禱塞泮涸祠禮不必同 小さな山や川と為し、また皆(みな)歲禱塞泮涸の祠(まつり)をして礼(れい)は必ずしも同じではない。 而雍有日月參辰南北斗熒惑太白歲星填星[辰星]...

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唯雍四畤上帝為尊其光景動人民唯陳寶

唯雍四畤上帝為尊其光景動人民唯陳寶 唯(これ)、雍の四つの畤(祀る場所)の上帝が尊(とうとい)と為し、その光景が人民を動かすは唯(これ)陳宝(おそらく隕石)である。 故雍四畤春以為歲禱因泮凍秋涸凍冬塞祠五月嘗駒及四仲之月(祠若)月祠[若]陳寶節來一祠 故(ゆえ)に雍の四つの畤は、春には歲禱を為すを以って、因(よ)りて凍(こおり)を泮(とける)し、秋には凍(こおり)を凅(こおる...

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諸此祠皆太祝常主以歲時奉祠之

諸此祠皆太祝常主以歲時奉祠之 もろもろのこれらの祠(まつり)は皆(みな)太祝(祝官の長)が常(つね)に主(つかさどる)し、歳時(さいじ)を以ってこれを祠(まつる)し奉(たてまつ)る。 至如他名山川諸鬼及八神之屬上過則祠去則已 他(ほか)の名山川、諸(もろもろ)の鬼神及び八神の属の如(ごと)くに至っては、上(天子)が過(通る)れば祠(まつる)し、去(へだてている)すれば已(やめる)する。...

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