《尚書》曰舜在璇璣玉衡以齊七政
尚書曰く、帝舜は璿璣(せんき 天文を測る機械)玉衡(璣衡きこう 球体の表面に天文をえがきこれを回転させて天文を観測する機械 )を在(みる あきらかにする)して、七政(七正 七星)を整えるを以ってした、と。
遂類于上帝禋于六宗望山川遍群神
遂(つい)に上帝を類(天をまつる)し、六宗を禋(けむりをのぼらせてまつる)し、山川を望(まつる)し、群神を遍(あまね)くした。
輯五瑞擇吉月日見四嶽諸牧還瑞
五つの瑞(天子が諸侯を任命する印として与える玉)を輯(しゅう 集める)し、吉(よい)月日を択(えら)んで、四嶽(官名)諸(もろもろ)の牧(地方長官)に見(まみ)え、瑞(天子が諸侯を任命する印として与える玉)を還(かえ)した。
歲二月東巡狩至于岱宗岱宗泰山也
歳(とし)の二月、東に巡行(じゅんこう)し、岱宗に至った。岱宗は泰山である。
柴望秩于山川遂覲東后
山川に柴望(さいぼう しばを燃やして天の神をまつり、山川を望んで地の神をまつること)して秩(順序だてる)し、遂(つい)に東后に覲(まみえる)した。
東后者諸侯也
東后とは、諸侯である。
合時月正日同律度量衡修五禮五玉三帛二生一死贄
時月を合(あ)わせて日を正(ただ)し、律度量衡を同じにして、五礼、五玉三帛(帛=絹織物)二生(二匹の生きた動物)一死(一匹の死んだ動物 雉、鴨など)の贄(にえ)を修めた。
五月巡狩至南嶽南嶽衡山也
五月、巡行して南嶽に至った。南嶽は衡山である。
八月巡狩至西嶽西嶽華山也
八月、巡行して西嶽に至った。西嶽は崋山である。
十一月巡狩至北嶽北岳恒山也
十一月、巡行して北嶽に至った。北岳は恒山である。
皆如岱宗之禮中嶽嵩高也五載一巡狩
皆(みな)岱宗の礼の如(ごと)くした。中嶽は嵩高である。五年に一度巡行した。
尚書曰く、帝舜は璿璣(せんき 天文を測る機械)玉衡(璣衡きこう 球体の表面に天文をえがきこれを回転させて天文を観測する機械 )を在(みる あきらかにする)して、七政(七正 七星)を整えるを以ってした、と。
遂類于上帝禋于六宗望山川遍群神
遂(つい)に上帝を類(天をまつる)し、六宗を禋(けむりをのぼらせてまつる)し、山川を望(まつる)し、群神を遍(あまね)くした。
輯五瑞擇吉月日見四嶽諸牧還瑞
五つの瑞(天子が諸侯を任命する印として与える玉)を輯(しゅう 集める)し、吉(よい)月日を択(えら)んで、四嶽(官名)諸(もろもろ)の牧(地方長官)に見(まみ)え、瑞(天子が諸侯を任命する印として与える玉)を還(かえ)した。
歲二月東巡狩至于岱宗岱宗泰山也
歳(とし)の二月、東に巡行(じゅんこう)し、岱宗に至った。岱宗は泰山である。
柴望秩于山川遂覲東后
山川に柴望(さいぼう しばを燃やして天の神をまつり、山川を望んで地の神をまつること)して秩(順序だてる)し、遂(つい)に東后に覲(まみえる)した。
東后者諸侯也
東后とは、諸侯である。
合時月正日同律度量衡修五禮五玉三帛二生一死贄
時月を合(あ)わせて日を正(ただ)し、律度量衡を同じにして、五礼、五玉三帛(帛=絹織物)二生(二匹の生きた動物)一死(一匹の死んだ動物 雉、鴨など)の贄(にえ)を修めた。
五月巡狩至南嶽南嶽衡山也
五月、巡行して南嶽に至った。南嶽は衡山である。
八月巡狩至西嶽西嶽華山也
八月、巡行して西嶽に至った。西嶽は崋山である。
十一月巡狩至北嶽北岳恒山也
十一月、巡行して北嶽に至った。北岳は恒山である。
皆如岱宗之禮中嶽嵩高也五載一巡狩
皆(みな)岱宗の礼の如(ごと)くした。中嶽は嵩高である。五年に一度巡行した。