皆各用一牢具祠而巫祝所損益珪幣雜異焉
皆(みな)各(おのおの)一牢(一種類の、いけにえのごちそう)を用いて具(つぶさ)に祠(まつる)し、しこうして、巫祝(ふしゅく 神につかえるもの)が損益(捨てたり加えたりすること)したところの珪幣(たからもの)は雑異(ばらばらでことなる)のである。
自齊威宣之時騶子之徒論著終始五之運及秦帝而齊人奏之故始皇采用之
斉威王田因斉、斉宣王田辟彊の時より、騶子の徒(なかま)が終始五の運を論著し、秦帝に及んで、斉人がこれを奏(かな)で、故(ゆえ)に秦始皇帝嬴政はこれを採用した。
而宋毋忌正伯僑充尚羨門高最後皆燕人為方僊道形解銷化依於鬼神之事
しこうして、宋毋忌、正伯僑、充尚、羨門高、最後は皆(みな)燕人で、方僊道(仙術道)をつくり、形骸(けいがい 肉体あるいはむくろ 形解=形骸?)が銷化(溶けて化する)は鬼神に依(よ)る事とした。
騶衍以陰陽主運顯於諸侯而燕齊海上之方士傳其術不能通
騶衍は陰陽主運を以って、諸侯に顕(あきら)かになった。しこうして、燕、斉の海上の方士がその術を伝えたが通(理解する)じることができず、
然則怪迂阿諛茍合之徒自此興不可勝數也
然(しか)らば、 怪迂(かいう でたらめで信用できないこと)、阿諛(あゆ おもねりへつらうこと)、茍合(こうごう わけもなく他人の言に同意すること)の徒(なかま)がこれより興(おこ)り、すべて数えあげることはできないのである。
皆(みな)各(おのおの)一牢(一種類の、いけにえのごちそう)を用いて具(つぶさ)に祠(まつる)し、しこうして、巫祝(ふしゅく 神につかえるもの)が損益(捨てたり加えたりすること)したところの珪幣(たからもの)は雑異(ばらばらでことなる)のである。
自齊威宣之時騶子之徒論著終始五之運及秦帝而齊人奏之故始皇采用之
斉威王田因斉、斉宣王田辟彊の時より、騶子の徒(なかま)が終始五の運を論著し、秦帝に及んで、斉人がこれを奏(かな)で、故(ゆえ)に秦始皇帝嬴政はこれを採用した。
而宋毋忌正伯僑充尚羨門高最後皆燕人為方僊道形解銷化依於鬼神之事
しこうして、宋毋忌、正伯僑、充尚、羨門高、最後は皆(みな)燕人で、方僊道(仙術道)をつくり、形骸(けいがい 肉体あるいはむくろ 形解=形骸?)が銷化(溶けて化する)は鬼神に依(よ)る事とした。
騶衍以陰陽主運顯於諸侯而燕齊海上之方士傳其術不能通
騶衍は陰陽主運を以って、諸侯に顕(あきら)かになった。しこうして、燕、斉の海上の方士がその術を伝えたが通(理解する)じることができず、
然則怪迂阿諛茍合之徒自此興不可勝數也
然(しか)らば、 怪迂(かいう でたらめで信用できないこと)、阿諛(あゆ おもねりへつらうこと)、茍合(こうごう わけもなく他人の言に同意すること)の徒(なかま)がこれより興(おこ)り、すべて数えあげることはできないのである。