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始皇聞此議各乖異

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始皇聞此議各乖異難施用由此絀儒生

秦始皇帝嬴政(趙政)がこれらの議が各(おのおの)乖異(かいい くいちがう)のを聞き、施用(せよう)を難(なん)じ、これに由(よ)り儒者を絀(しりぞける)した。

而遂除車道上自泰山陽至巔立石頌秦始皇帝明其得封也

しこうして遂(つい)に車、道を除(はらい清める)し、泰山の陽より上(のぼ)って巔(いただき)に至り、石を立てて秦始皇帝の徳を頌(詩にたたえる)し、その得封(封を得たこと)を明らかにしたのである。

從陰道下禪於梁父

泰山の陰の道より下(お)りて、梁父に於いて禅をした。

其禮頗采太祝之祀雍上帝所用而封藏皆祕之世不得而記也

その礼は、太祝(祝官の長)が雍で上帝を祀(まつ)って用いたところを頗(すこぶ)る採用し、しこうして、封は蔵(しまう)して皆(みな)これを秘密にし、世は得てして記(しる)さなかったのである。

始皇之上泰山中阪遇暴風雨休於大樹下

秦始皇帝嬴政が泰山に上(のぼ)り、中阪(山の中腹の小道)で暴風雨に遇(あ)い、大樹の下で休んだ。

諸儒生既絀不得與用於封事之禮聞始皇遇風雨則譏之

諸(もろもろ)の儒者はすでに絀(しりぞける)されて、封事の礼を用いることに与(あずかる)することを得ず、秦始皇帝嬴政が風雨に遇(あ)ったと聞くと、すなわちこれを譏(そしる)した。

於是始皇遂東遊海上行禮祠名山大川及八神求僊人羨門之屬

ここに於いて秦始皇帝嬴政は遂(つい)に東に海上をめぐり、名山、大川、及び八神に礼祠(れいし)を行い、仙人の羨門の属(なかま)を求めた。

八神將自古而有之或曰太公以來作之齊所以為齊以天齊也

八神はまさに古(いにしえ)よりにしてこれに有り、或(あ)るものは曰く、「太公(太公望呂尚 斉の始祖)以来、斉(国名)を作り、斉と為すを以ってしたところは、天斉を以ってしたのである」と。

其祀絕莫知起時八神一曰天主祠天齊

その祀(まつ)りは絶(全く)起こった時を知るものはいない。八つの神の、一(いち)に曰く、天主であり、天斉に祠(まつる)られる、と。

天齊淵水居臨菑南郊山下者

天斉の淵水は臨菑の南郊の山の下(ふもと)に居(お)るもの。

二曰地主祠泰山梁父

二(に)に曰く、地主であり、泰山、梁父に祠(まつる)られる、と。

蓋天好陰祠之必於高山之下小山之上命曰畤

思うに、天は陰(いん)を好み、祠(まつる)は必ず高山の下(もと)の小山の上(うえ)に於いてで、命名して曰く、畤、と、

地貴陽祭之必於澤中圜丘云

地は陽(よう)を貴(とうと)び、祭りは必ず沢中の円丘に於いてであると云(い)う。

三曰兵主祠蚩尤

三に曰く、兵主であり、蚩尤に祠(まつる)られる、と。

蚩尤在東平陸監鄉齊之西境也

蚩尤は東平陸監鄉に在(あ)り、斉の西の境界である。

四曰陰主祠三山

四に曰く、陰主であり、三山に祠(まつる)られる、と。

五曰陽主祠之罘

五に曰く、陽主であり、罘で祠(まつる)られる、と。

六曰月主祠之萊山皆在齊北并勃海

六に曰く、月主であり、萊山で祠(まつる)られる、と。皆(みな)斉の北に在(あ)って、勃海に并(ならぶ)する。

七曰日主祠成山成山斗入海最居齊東北隅以迎日出云

七に曰く、日主であり、成山で祠(まつる)られる、と。成山斗は入海して、最も斉の東北の隅(すみ)に居住して、日の出を迎(むか)えるを以ってしたと云(い)う。

八曰四時主祠瑯邪瑯邪在齊東方蓋歲之所始

八に曰く、四時主であり、瑯邪で祠(まつる)られる、と。瑯邪は斉の東方に在(あ)って、思うに歳の始まるところであろう。

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