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自威宣燕昭使人入海求蓬萊方丈瀛洲

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自威宣燕昭使人入海求蓬萊方丈瀛洲

斉威王田因斉、斉宣王田辟彊、燕昭王姫平より、人をつかわし入海させ蓬萊、方丈、瀛洲を求めさせた。

此三神山者其傅在勃海中去人不遠

この三つの神山とは、その峰(みね 傅=峰?)は勃海中に在(あ)って、人に去ること遠くないと(人が近づくと)、

患且至則船風引而去蓋嘗有至者諸僊人及不死之藥皆在焉

患(うれ)いがまさに至らんとし、すなわち船は風が引いて去らせる。蓋(いったい)嘗(かつ)て至ったものが有ったのだろうか。諸(もろもろ)の仙人及び不死の薬が皆(みな)ここに在(あ)り、

其物禽獸盡白而黃金銀為宮闕未至望之如雲

その物、禽獣はことごとく白く、しこうして黄金、銀が宮闕(宮殿)をつくり、未(ま)だ至らないうちにこれを望めば雲の如(ごと)くで、

及到三神山反居水下臨之風輒引去終莫能至云

到着するに及べば、三神山は反(かえ)って水の下に居(お)り、これを臨(のぞ)めば、風が輒(いつもきまって)引いて去らせ、終いまで、至ることができたものはいないと云(い)う。

世主莫不甘心焉及至秦始皇并天下至海上則方士言之不可勝數

世の主(あるじ)は甘心(思いのままにする)しないものはいない。秦始皇帝嬴政が天下を併(あわ)せるに至るに及んで、海上に至れば、方士の言(げん)はすべて数えあげることができない。

始皇自以為至海上而恐不及矣使人乃齎童男女入海求之

秦始皇帝嬴政は自ら海上に至るを為すを以ってして、及ばないことを恐れ、人をしてすなわち斉の童(子供)の男女を入海させてこれを求めさせた。

船交海中皆以風為解曰未能至望見之焉

船が海中に交(まじ)わると、皆(みな)風を以って解(と)かれ、曰く、未(ま)だ至ることができないうちにこれを望み見た、と。

其明年始皇復游海上至瑯邪過恒山從上黨歸

その明くる年、秦始皇帝嬴政はふたたび海上を巡り、瑯邪に至り、恒山に立ち寄り、上党より帰った。

後三年游碣石考入海方士從上郡歸

三年後、碣石を巡り、入海した方士を考え、上郡より帰った。

後五年始皇南至湘山遂登會稽并海上冀遇海中三神山之奇藥

後五年、秦始皇帝嬴政は南に湘山に至り、遂(つい)に会稽に登(のぼ)り、海上を併(あわ)せ、海中の三神山の奇薬に遇(あ)うことを冀(こいねがう)した。

不得還至沙丘崩

得られず、還(かえ)って沙丘に至って崩御した。

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