二世元年東巡碣石并海南歷泰山至會稽
秦二世皇帝(嬴胡亥)元年、東に碣石を巡り、海南を併(あわ)せ、泰山を歴(こえる)して、会稽に至り、
皆禮祠之而刻勒始皇所立石書旁以章始皇之功
皆(みな)これを礼祠し、しこうして、秦始皇帝が立てたところの石書の傍(かたわ)らに刻勒(きざむ)し、秦始皇帝の功徳を章(あきら)かにするを以ってした。
其秋諸侯畔秦三年而二世弒死
その秋、諸侯は秦に叛(そむ)いた。三年して秦二世皇帝嬴胡亥が弒死した。
始皇封禪之後十二歲秦亡
秦始皇帝嬴政の封禅の後十二年、秦は亡(ほろ)んだ。
諸儒生疾秦焚詩書誅僇文學百姓怨其法天下畔之皆訛曰
諸(もろもろ)の儒者は秦の詩書を焚(燃やす)したこと、文学を誅僇(ちゅうりく)したことを疾(にくむ)し、百姓はその法を怨(うら)み、天下はこれに叛(そむ)き、皆(みな)訛(うそ)して曰く、
始皇上泰山為暴風雨所擊不得封禪此豈所謂無其而用事者邪
「始皇帝は泰山に上(のぼ)って、暴風雨に撃(う)たれるところと為って、封禅できなかった」と。これは、その徳無くして事(封禅)を用いたものと謂(い)うところではなかろうか。
昔三代之(君)[居]皆在河洛之
昔、三代(夏、殷、周)の君は皆(みな)河、洛の間に在(あ)り、
故嵩高為中嶽而四嶽各如其方四瀆咸在山東
故(ゆえ)に嵩高は中(中央)の嶽(高く大きい山)と為し、しこうして、四つの嶽(高く大きい山)は各(おのおの)その四方に如(し)かれ、四つの瀆(大川)は咸(みな)山東に在(あ)った。
至秦稱帝都咸陽則五嶽四瀆皆并在東方
秦が帝を称(とな)えるに至って、咸陽を都(みやこ)にして、すなわち五つの嶽(高く大きい山)、四つの瀆(大川)は皆(みな)併(あわ)せられて東方に在(あ)った。
自五帝以至秦軼興軼衰名山大川或在諸侯或在天子其禮損益世殊不可勝記
五帝より秦に至るを以って、軼(かわるがわる)に興(盛ん)し、軼(かわるがわる)に衰(おとろ)え、名山、大川の或(あ)るものは諸侯に在(あ)り、或(あ)るものは天子に在(あ)り、その礼の損益(捨てたり加えたりすること)は世で殊(こと)にし、すべて記(しる)すことはできない。
及秦并天下令祠官所常奉天地名山大川鬼神可得而序也
秦が天下を併(あわ)せるに及んで、祠官に令して、天地、名山、大川、鬼神を恒(つね)に奉(たてまつ)る所が序(次第)を得ることができるようにさせたのである。
於是自殽以東名山五大川祠二
ここに於いて殽より以東には名山が五つ、大川は二つを祠(まつる)した。
曰太室太室嵩高也恒山泰山會稽湘山
曰く、太室、太室は嵩高であり、恒山,泰山,會稽,湘山、と。
水曰濟曰淮
水(川)は曰く、済、曰く、淮、と。
秦二世皇帝(嬴胡亥)元年、東に碣石を巡り、海南を併(あわ)せ、泰山を歴(こえる)して、会稽に至り、
皆禮祠之而刻勒始皇所立石書旁以章始皇之功
皆(みな)これを礼祠し、しこうして、秦始皇帝が立てたところの石書の傍(かたわ)らに刻勒(きざむ)し、秦始皇帝の功徳を章(あきら)かにするを以ってした。
其秋諸侯畔秦三年而二世弒死
その秋、諸侯は秦に叛(そむ)いた。三年して秦二世皇帝嬴胡亥が弒死した。
始皇封禪之後十二歲秦亡
秦始皇帝嬴政の封禅の後十二年、秦は亡(ほろ)んだ。
諸儒生疾秦焚詩書誅僇文學百姓怨其法天下畔之皆訛曰
諸(もろもろ)の儒者は秦の詩書を焚(燃やす)したこと、文学を誅僇(ちゅうりく)したことを疾(にくむ)し、百姓はその法を怨(うら)み、天下はこれに叛(そむ)き、皆(みな)訛(うそ)して曰く、
始皇上泰山為暴風雨所擊不得封禪此豈所謂無其而用事者邪
「始皇帝は泰山に上(のぼ)って、暴風雨に撃(う)たれるところと為って、封禅できなかった」と。これは、その徳無くして事(封禅)を用いたものと謂(い)うところではなかろうか。
昔三代之(君)[居]皆在河洛之
昔、三代(夏、殷、周)の君は皆(みな)河、洛の間に在(あ)り、
故嵩高為中嶽而四嶽各如其方四瀆咸在山東
故(ゆえ)に嵩高は中(中央)の嶽(高く大きい山)と為し、しこうして、四つの嶽(高く大きい山)は各(おのおの)その四方に如(し)かれ、四つの瀆(大川)は咸(みな)山東に在(あ)った。
至秦稱帝都咸陽則五嶽四瀆皆并在東方
秦が帝を称(とな)えるに至って、咸陽を都(みやこ)にして、すなわち五つの嶽(高く大きい山)、四つの瀆(大川)は皆(みな)併(あわ)せられて東方に在(あ)った。
自五帝以至秦軼興軼衰名山大川或在諸侯或在天子其禮損益世殊不可勝記
五帝より秦に至るを以って、軼(かわるがわる)に興(盛ん)し、軼(かわるがわる)に衰(おとろ)え、名山、大川の或(あ)るものは諸侯に在(あ)り、或(あ)るものは天子に在(あ)り、その礼の損益(捨てたり加えたりすること)は世で殊(こと)にし、すべて記(しる)すことはできない。
及秦并天下令祠官所常奉天地名山大川鬼神可得而序也
秦が天下を併(あわ)せるに及んで、祠官に令して、天地、名山、大川、鬼神を恒(つね)に奉(たてまつ)る所が序(次第)を得ることができるようにさせたのである。
於是自殽以東名山五大川祠二
ここに於いて殽より以東には名山が五つ、大川は二つを祠(まつる)した。
曰太室太室嵩高也恒山泰山會稽湘山
曰く、太室、太室は嵩高であり、恒山,泰山,會稽,湘山、と。
水曰濟曰淮
水(川)は曰く、済、曰く、淮、と。