秦繆公即位九年齊桓公既霸會諸侯於葵丘而欲封禪
秦繆公嬴任好が即位して九年、斉桓公姜小白がすでに覇(は はたがしら)して、諸侯を葵丘に会(かい)し、しこうして、封禅を欲した。
管仲曰古者封泰山禪梁父者七十二家而夷吾所記者十有二焉
管仲曰く、「古(いにしえ)に、泰山で封をし、梁父で禅をした者は七十二家で、しこうして夷吾(わたし)が記(おぼえる)するところのものは十と二であります。
昔無懷氏封泰山禪云云虙羲封泰山禪云云
昔、無懐氏は泰山で封をし、云々(うんぬん)で禅をし、虙羲は泰山で封をし、云々で禅をし、
神農封泰山禪云云炎帝封泰山禪云云
神農は泰山で封をし、云々で禅をし、炎帝は泰山で封をし、云々で禅をし、
黃帝封泰山禪亭亭顓頊封泰山禪云云
黄帝は泰山で封をし、亭亭で禅をし、帝顓頊は泰山で封をし、云々で禅をし、
帝嚳封泰山禪云云堯封泰山禪云云舜封泰山禪云云
帝嚳は泰山で封をし、云々で禅をし、帝堯は泰山で封をし、云々で禅をし、帝舜は泰山で封をし、云々で禅をし、
禹封泰山禪會稽湯封泰山禪云云
夏禹王は泰山で封をし、会稽で禅をし、殷湯王は泰山で封をし、云々で禅をし、
周成王封泰山禪社首皆受命然後得封禪
周成王姫誦は泰山で封をし、社首で禅をし、皆(みな)天命を授(さず)かって然(しか)る後に封禅を得ました」と。
桓公曰寡人北伐山戎過孤竹西伐大夏涉流沙束馬懸車上卑耳之山
斉桓公姜小白曰く、「寡人(わたし)は北に山戎を討(う)ち、孤竹を過(す)ぎて、西に大夏を討(う)ち、流沙を渉(わた)り、束馬懸車(険しい道を進み)して、卑耳山に上(のぼ)り、
南伐至召陵登熊耳山以望江漢
南伐して召陵に至り、熊耳山に登(のぼ)って、江、漢を望(のぞ)みみるを以ってした。
兵車之會三而乘車之會六九合諸侯一匡天下諸侯莫違我
兵車の会は三度、しこうして、乗車の会は六度、諸侯を九度合わせ、一(いつ)に天下を匡(ただす)し、諸侯は我に違(たが)わなかった。
昔三代受命亦何以異乎於是管仲睹桓公不可窮以辭因設之以事曰
昔、三代(夏、殷、周)が天命を授かったときとまた何ものを以って異(こと)なるだろうか」と。ここに於いて管仲は斉桓公姜小白は辞(ことわる)を以って窮(つきつめる)することができないと睹(みる)して、因(よ)りてこれを説(と)く(設(せつ)=説(せつ)?)に事(こと)を以ってして、曰く、
古之封禪鄗上之黍北里之禾所以為盛
「古(いにしえ)の封禅は、鄗上の黍(きび)、北里の禾(あわ 或いは穀物の総称)、は盛(盛り物 そなえもの)をつくるを以ってするところで、
江淮之一茅三脊所以為藉也
江(川名)、淮(川名)の間の一本に三つの筋(すじ)がある茅(かや)は籍(敷物(しきもの))をつくるを以ってするところであります。
東海致比目之魚西海致比翼之鳥
東海の比目(ひらめ)の魚を致(とどける)し、西海の比翼の鳥(通説とはことなりますが、むささび?)を致(とどける)し、
然後物有不召而自至者十有五焉
然(しか)る後、物(もの)の召(め)されずして、自(みずか)ら至るものは十と五、有るのであります。
今鳳皇麒麟不來嘉穀不生而蓬蒿藜莠茂鴟梟數至而欲封禪毋乃不可乎
今、鳳皇、麒麟(きりん)は来ず、嘉穀は生(は)えずして、蓬蒿(よもぎ)藜(あかざ)莠(えのころぐさ)が茂り、鴟梟(ふくろう)がたびたび至ります。しこうして、封禅を欲するのはすなわち不可ではないでしょうか?」と。
於是桓公乃止
ここに於いて斉桓公姜小白はすなわち止(や)めた。
秦繆公嬴任好が即位して九年、斉桓公姜小白がすでに覇(は はたがしら)して、諸侯を葵丘に会(かい)し、しこうして、封禅を欲した。
管仲曰古者封泰山禪梁父者七十二家而夷吾所記者十有二焉
管仲曰く、「古(いにしえ)に、泰山で封をし、梁父で禅をした者は七十二家で、しこうして夷吾(わたし)が記(おぼえる)するところのものは十と二であります。
昔無懷氏封泰山禪云云虙羲封泰山禪云云
昔、無懐氏は泰山で封をし、云々(うんぬん)で禅をし、虙羲は泰山で封をし、云々で禅をし、
神農封泰山禪云云炎帝封泰山禪云云
神農は泰山で封をし、云々で禅をし、炎帝は泰山で封をし、云々で禅をし、
黃帝封泰山禪亭亭顓頊封泰山禪云云
黄帝は泰山で封をし、亭亭で禅をし、帝顓頊は泰山で封をし、云々で禅をし、
帝嚳封泰山禪云云堯封泰山禪云云舜封泰山禪云云
帝嚳は泰山で封をし、云々で禅をし、帝堯は泰山で封をし、云々で禅をし、帝舜は泰山で封をし、云々で禅をし、
禹封泰山禪會稽湯封泰山禪云云
夏禹王は泰山で封をし、会稽で禅をし、殷湯王は泰山で封をし、云々で禅をし、
周成王封泰山禪社首皆受命然後得封禪
周成王姫誦は泰山で封をし、社首で禅をし、皆(みな)天命を授(さず)かって然(しか)る後に封禅を得ました」と。
桓公曰寡人北伐山戎過孤竹西伐大夏涉流沙束馬懸車上卑耳之山
斉桓公姜小白曰く、「寡人(わたし)は北に山戎を討(う)ち、孤竹を過(す)ぎて、西に大夏を討(う)ち、流沙を渉(わた)り、束馬懸車(険しい道を進み)して、卑耳山に上(のぼ)り、
南伐至召陵登熊耳山以望江漢
南伐して召陵に至り、熊耳山に登(のぼ)って、江、漢を望(のぞ)みみるを以ってした。
兵車之會三而乘車之會六九合諸侯一匡天下諸侯莫違我
兵車の会は三度、しこうして、乗車の会は六度、諸侯を九度合わせ、一(いつ)に天下を匡(ただす)し、諸侯は我に違(たが)わなかった。
昔三代受命亦何以異乎於是管仲睹桓公不可窮以辭因設之以事曰
昔、三代(夏、殷、周)が天命を授かったときとまた何ものを以って異(こと)なるだろうか」と。ここに於いて管仲は斉桓公姜小白は辞(ことわる)を以って窮(つきつめる)することができないと睹(みる)して、因(よ)りてこれを説(と)く(設(せつ)=説(せつ)?)に事(こと)を以ってして、曰く、
古之封禪鄗上之黍北里之禾所以為盛
「古(いにしえ)の封禅は、鄗上の黍(きび)、北里の禾(あわ 或いは穀物の総称)、は盛(盛り物 そなえもの)をつくるを以ってするところで、
江淮之一茅三脊所以為藉也
江(川名)、淮(川名)の間の一本に三つの筋(すじ)がある茅(かや)は籍(敷物(しきもの))をつくるを以ってするところであります。
東海致比目之魚西海致比翼之鳥
東海の比目(ひらめ)の魚を致(とどける)し、西海の比翼の鳥(通説とはことなりますが、むささび?)を致(とどける)し、
然後物有不召而自至者十有五焉
然(しか)る後、物(もの)の召(め)されずして、自(みずか)ら至るものは十と五、有るのであります。
今鳳皇麒麟不來嘉穀不生而蓬蒿藜莠茂鴟梟數至而欲封禪毋乃不可乎
今、鳳皇、麒麟(きりん)は来ず、嘉穀は生(は)えずして、蓬蒿(よもぎ)藜(あかざ)莠(えのころぐさ)が茂り、鴟梟(ふくろう)がたびたび至ります。しこうして、封禅を欲するのはすなわち不可ではないでしょうか?」と。
於是桓公乃止
ここに於いて斉桓公姜小白はすなわち止(や)めた。