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是時萇弘以方事周靈王

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是時萇弘以方事周靈王諸侯莫朝周周力少萇弘乃明鬼神事設射貍首

この時、萇弘が方(術 (星占い?) 天官書より 天数者として紹介されています 数術とはうらないの術のこと)を以って周霊王に事(仕える)し、諸侯が周に朝するものがなくなり、周の力は減少し、萇弘はそこで、鬼神の事を明らかにして、狸首を射(い)ることを設(もう)けた。

貍首者諸侯之不來者依物怪欲以致諸侯

狸首とは、諸侯の来朝に来ない者である。物の怪(もののけ)に依(よ)りて諸侯を致(まねく)することを欲した。

諸侯不從而晉人執殺萇弘周人之言方怪者自萇弘

諸侯は従わず、しこうして、晋人が萇弘を執(とらえる)して殺した。周人が方怪(物の怪の術)者を言うは萇弘からである。

其後百餘年秦靈公作吳陽上畤祭黃帝作下畤祭炎帝

その後百余年、秦霊公が呉陽の上畤を作り、黄帝を祭り、下畤を作り、炎帝を祭った。

後四十八年周太史儋見秦獻公曰

後四十八年、周太史儋が秦献公嬴(趙)師隰(BC384~362)に見(まみ)えて曰く、

秦始與周合合而離五百歲當復合合十七年而霸王出焉

「秦は始め周と合わさって、合わさって離れました。五百年でまさにふたたび合わさり、合わさって十七年して覇王(はおう)が出るでしょう」と。

櫟陽雨金秦獻公自以為得金瑞故作畦畤櫟陽而祀白帝

櫟陽に金が降(ふ)り、秦献公嬴(趙)師隰(BC384~362)は自らを金の瑞(めでたいしるし)を得たと為すを以って、故(ゆえ)に櫟陽に畦畤を作り、白帝を祀(まつ)った。

其後百二十歲而秦滅周周之九鼎入于秦

その後百二十年にして秦は周(~BC256)を滅ぼし、周の九鼎(きゅうてい)は秦に入れられた。

或曰宋太丘社亡而鼎沒于泗水彭城下

或(あ)るものは曰く、宋太丘社が亡(ほろ)び、しこうして、鼎(かなえ)は彭城下の泗水に没した、と。

其後百一十五年而秦并天下

その後百一十五年(十五年?(十七年?または三十五年?)(BC241?(BC239? BC238年は始皇帝が実権を握った年 三十五年ならば、BC221年) BC221に斉を滅ぼして天下を統一)して、秦は天下を併(あわ)せた。

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