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Channel: 倭人伝を解く
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諸此祠皆太祝常主以歲時奉祠之

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諸此祠皆太祝常主以歲時奉祠之

もろもろのこれらの祠(まつり)は皆(みな)太祝(祝官の長)が常(つね)に主(つかさどる)し、歳時(さいじ)を以ってこれを祠(まつる)し奉(たてまつ)る。

至如他名山川諸鬼及八神之屬上過則祠去則已

他(ほか)の名山川、諸(もろもろ)の鬼神及び八神の属の如(ごと)くに至っては、上(天子)が過(通る)れば祠(まつる)し、去(へだてている)すれば已(やめる)する。

郡縣遠方神祠者民各自奉祠不領於天子之祝官

郡県の遠方の神祠とは、民(たみ)が各(おのおの)自ら祠(まつり)を奉(たてまつ)り、天子の祝官に於いて領(おさめる)さない。

祝官有祕祝即有菑祥輒祝祠移過於下

祝官には秘祝の官が有り、すなわち菑祥(わざわいのきざし)が有れば、輒(そのたびごとに)祝祠が禍(わざわい 過=禍?)を下に移(まわし文)した。

漢興高祖之微時嘗殺大蛇

漢が興(おこ)り、漢高祖劉邦が微(低い身分)の時、大蛇(だいじゃ)を殺したことがあった。

有物曰蛇白帝子也而殺者赤帝子

有る者が曰く、「蛇は白帝の子であり、しこうして、殺した者は赤帝の子(劉邦)です」と。

高祖初起禱豐枌榆社徇沛為沛公則祠蚩尤釁鼓旗

漢高祖劉邦が起こったばかりのとき、豐の枌榆社(劉邦の郷里のやしろ)を禱(まつる)した。沛に徇(広く示す)して沛公に為り、すなわち蚩尤を祠(まつる)し、鼓旗を釁(ちぬる)した。

遂以十月至灞上與諸侯平咸陽立為漢王

遂(つい)に十月を以って灞上に至り、諸侯とともに咸陽を平らげ、漢王として立った。

因以十月為年首而色上赤

因(よ)りて十月を以って年首と為し、しこうして、色は赤を上(とうとぶ)した。

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