二年東擊項籍而還入關問故秦時上帝祠何帝也
二年、東に項籍(項羽)を撃(う)って、還(かえ)して関に入った。問うた、「故(むかし)秦の時、上帝は何帝を祠(まつる)したのか?」と。
對曰四帝有白青黃赤帝之祠
応(こた)えて曰く、「四人の帝で、白、青、黄、赤の帝の祠(ほこら)が有ります」と。
高祖曰吾聞天有五帝而有四何也
漢高祖劉邦曰く、「吾(われ)は聞く、天には五人の帝が有ると。しこうして四人で有るのは、どうしてなのか?」と。
莫知其說於是高祖曰吾知之矣乃待我而具五也
その説(と)くを知るものはなかった。ここに於いて漢高祖劉邦曰く、「吾(われ)はこれを知っている、すなわち我(われ)にして五人を具(そなえる)すると待ちうけていたのだ」と。
乃立帝祠命曰北畤有司進祠上不親往
そこで、黒帝の祠(ほこら)を立て、命名して曰く、北畤、と。有司(役人)が祠(まつり)を進め、上(天子)はみずから往(い)かない。
悉召故秦祝官復置太祝太宰如其故儀禮
悉(ことごと)く、故(まえ)の秦の祝官を召(め)して、ふたたび太祝、太宰を置き、その故(むかし)の儀礼(ぎれい)の如(ごと)くした。
因令縣為公社下詔曰吾甚重祠而敬祭
因(よ)りて県に令(れい)して公社をつくらせた。詔(みことのり)を下(くだ)して曰く、「吾(われ)は甚(はなは)だ祠(ほこら)を重んじて祭りを敬(うやま)う。
今上帝之祭及山川諸神當祠者各以其時禮祠之如故
今、上帝の祭り、及び山川諸神のまさに祠(まつる)するべき者は、各(おのおの)その時を以ってこれを故(むかし)の如(ごと)く礼祠せよ」と。
二年、東に項籍(項羽)を撃(う)って、還(かえ)して関に入った。問うた、「故(むかし)秦の時、上帝は何帝を祠(まつる)したのか?」と。
對曰四帝有白青黃赤帝之祠
応(こた)えて曰く、「四人の帝で、白、青、黄、赤の帝の祠(ほこら)が有ります」と。
高祖曰吾聞天有五帝而有四何也
漢高祖劉邦曰く、「吾(われ)は聞く、天には五人の帝が有ると。しこうして四人で有るのは、どうしてなのか?」と。
莫知其說於是高祖曰吾知之矣乃待我而具五也
その説(と)くを知るものはなかった。ここに於いて漢高祖劉邦曰く、「吾(われ)はこれを知っている、すなわち我(われ)にして五人を具(そなえる)すると待ちうけていたのだ」と。
乃立帝祠命曰北畤有司進祠上不親往
そこで、黒帝の祠(ほこら)を立て、命名して曰く、北畤、と。有司(役人)が祠(まつり)を進め、上(天子)はみずから往(い)かない。
悉召故秦祝官復置太祝太宰如其故儀禮
悉(ことごと)く、故(まえ)の秦の祝官を召(め)して、ふたたび太祝、太宰を置き、その故(むかし)の儀礼(ぎれい)の如(ごと)くした。
因令縣為公社下詔曰吾甚重祠而敬祭
因(よ)りて県に令(れい)して公社をつくらせた。詔(みことのり)を下(くだ)して曰く、「吾(われ)は甚(はなは)だ祠(ほこら)を重んじて祭りを敬(うやま)う。
今上帝之祭及山川諸神當祠者各以其時禮祠之如故
今、上帝の祭り、及び山川諸神のまさに祠(まつる)するべき者は、各(おのおの)その時を以ってこれを故(むかし)の如(ごと)く礼祠せよ」と。