是時上方憂河決而黃金不就乃拜大為五利將軍居月餘得四印佩天士將軍地士將軍大通將軍印
この時、上(漢孝武帝劉徹)はまさに河の決潰(けっかい)に憂(うれ)え、しこうして黄金は成就せず、そこで、欒大に拝(官をさずける)して五利将軍と為さしめた。居ること一ヶ月余りして、四つの印を得て、天士将軍、地士将軍、大通将軍の印を佩(おびた。
制詔御史昔禹疏九江決四瀆者河溢皋陸隄繇不息
詔(みことのり)を御史に制した、「昔、禹は九江に疏(とおす)して四瀆(四つの大川)を切った。間者(このごろは)、河が溢(あふ)れ陸に皋(すすむ)し、隄(堤防)の繇(徭役)は不息(休みがない)である。
朕臨天下二十有八年天若遺朕士而大通焉乾稱蜚龍鴻漸于般朕意庶幾與焉
朕が天下に臨んで二十と八年、天がもし朕に士を遺(送る)したのであれば、大通将軍(欒大)である。乾(易の卦の名)が『蜚龍』、『鴻漸于般』を称(とな)えるが、朕の意(こころ)はほとんど近いであろうかな。
其以二千戶封地士將軍大為樂通侯賜列侯甲第僮千人
その二千戸を以って地士将軍欒大に封じ楽通侯と為さしめる」と。列侯の甲第(屋敷)、僮(召使)千人を賜(たま)わった。
乘轝斥車馬帷幄器物以充其家又以衛長公主妻之齎金萬斤更命其邑曰當利公主
乘轝(天子の乗られる車馬)、斥車馬、帷幄(とばり、まく)、器物はその家に充(み)たされるを以ってした。また衛の長公主を以ってこれを妻にし、金一万斤を齎(送る)し、その邑を改名して曰く、当利公主、と。
天子親如五利之第使者存問供給相屬於道
天子(漢孝武帝劉徹)はみずから五利将軍の邸に行った。使者が存問(みまう)って供給するは、道に於いてつぎつきと続いた。
自大主將相以下皆置酒其家獻遺之
大主、将相より以下、皆(みな)その家で酒宴を置き、これに贈り物を献上した。
於是天子又刻玉印曰天道將軍使使衣羽衣夜立白茅上五利將軍亦衣羽衣夜立白茅上受印以示不臣也
ここに於いて天子(漢孝武帝劉徹)はまた玉印を刻んで曰く、天道将軍、と。使者をして羽衣を着させ、夜に白い茅(かや)の上に立たせ、五利将軍もまた羽衣を着て夜に白い茅(かや)の上に立って印をさずかり、臣下として扱(あつか)わないで尊敬することを示(しめ)すを以ってしたのである。
而佩天道者且為天子道天神也於是五利常夜祠其家欲以下神
しこうして、天道を佩(お)びた者は、まさに天子の為に天神をみちびかんとするのである。ここに於いて五利将軍欒大は常(つね)に夜、その家で祠(まつる)し、神を下(お)ろすことを欲した。
神未至而百鬼集矣然頗能使之其後裝治行東入海求其師云
神が未(ま)だ至らないうちに多くの鬼が集まり、然(しか)るに頗(すこぶ)るこれを使わしめることができた。その後、装(旅支度)が治(ととのう)して行き、東に入海し、その師を求めたと云(い)う。
大見數月佩六印貴震天下而海上燕齊之莫不搤捥而自言有禁方能神僊矣
欒大が見(まみ)えて数ヶ月、六つの印を佩(お)びて高貴な身分は天下を震(ふる)わした。しこうして、海上の燕、斉の間では、腕をにぎりしめさすって意気込まないものはなくして、自ら禁方(秘伝の治療法 治療薬)を有して、神仙の術ができると言ったのである。
この時、上(漢孝武帝劉徹)はまさに河の決潰(けっかい)に憂(うれ)え、しこうして黄金は成就せず、そこで、欒大に拝(官をさずける)して五利将軍と為さしめた。居ること一ヶ月余りして、四つの印を得て、天士将軍、地士将軍、大通将軍の印を佩(おびた。
制詔御史昔禹疏九江決四瀆者河溢皋陸隄繇不息
詔(みことのり)を御史に制した、「昔、禹は九江に疏(とおす)して四瀆(四つの大川)を切った。間者(このごろは)、河が溢(あふ)れ陸に皋(すすむ)し、隄(堤防)の繇(徭役)は不息(休みがない)である。
朕臨天下二十有八年天若遺朕士而大通焉乾稱蜚龍鴻漸于般朕意庶幾與焉
朕が天下に臨んで二十と八年、天がもし朕に士を遺(送る)したのであれば、大通将軍(欒大)である。乾(易の卦の名)が『蜚龍』、『鴻漸于般』を称(とな)えるが、朕の意(こころ)はほとんど近いであろうかな。
其以二千戶封地士將軍大為樂通侯賜列侯甲第僮千人
その二千戸を以って地士将軍欒大に封じ楽通侯と為さしめる」と。列侯の甲第(屋敷)、僮(召使)千人を賜(たま)わった。
乘轝斥車馬帷幄器物以充其家又以衛長公主妻之齎金萬斤更命其邑曰當利公主
乘轝(天子の乗られる車馬)、斥車馬、帷幄(とばり、まく)、器物はその家に充(み)たされるを以ってした。また衛の長公主を以ってこれを妻にし、金一万斤を齎(送る)し、その邑を改名して曰く、当利公主、と。
天子親如五利之第使者存問供給相屬於道
天子(漢孝武帝劉徹)はみずから五利将軍の邸に行った。使者が存問(みまう)って供給するは、道に於いてつぎつきと続いた。
自大主將相以下皆置酒其家獻遺之
大主、将相より以下、皆(みな)その家で酒宴を置き、これに贈り物を献上した。
於是天子又刻玉印曰天道將軍使使衣羽衣夜立白茅上五利將軍亦衣羽衣夜立白茅上受印以示不臣也
ここに於いて天子(漢孝武帝劉徹)はまた玉印を刻んで曰く、天道将軍、と。使者をして羽衣を着させ、夜に白い茅(かや)の上に立たせ、五利将軍もまた羽衣を着て夜に白い茅(かや)の上に立って印をさずかり、臣下として扱(あつか)わないで尊敬することを示(しめ)すを以ってしたのである。
而佩天道者且為天子道天神也於是五利常夜祠其家欲以下神
しこうして、天道を佩(お)びた者は、まさに天子の為に天神をみちびかんとするのである。ここに於いて五利将軍欒大は常(つね)に夜、その家で祠(まつる)し、神を下(お)ろすことを欲した。
神未至而百鬼集矣然頗能使之其後裝治行東入海求其師云
神が未(ま)だ至らないうちに多くの鬼が集まり、然(しか)るに頗(すこぶ)るこれを使わしめることができた。その後、装(旅支度)が治(ととのう)して行き、東に入海し、その師を求めたと云(い)う。
大見數月佩六印貴震天下而海上燕齊之莫不搤捥而自言有禁方能神僊矣
欒大が見(まみ)えて数ヶ月、六つの印を佩(お)びて高貴な身分は天下を震(ふる)わした。しこうして、海上の燕、斉の間では、腕をにぎりしめさすって意気込まないものはなくして、自ら禁方(秘伝の治療法 治療薬)を有して、神仙の術ができると言ったのである。