黃帝作寶鼎三象天地人
黄帝は宝鼎を三つ作り、天、地、人を象(かたど)りました。
禹收九牧之金鑄九鼎
禹は九牧(九州の地方長官)の金属を収(おさ)め、九つの鼎(かなえ)を鋳造(ちゅうぞう)しました。
皆嘗亨鬺上帝鬼神
皆(みな)嘗(つねに)鬺(いけにえを煮る)を上帝、鬼神に亨(すすめる)しました。
遭聖則興鼎遷于夏商
聖に遭(あ)ってすなわち興(おこ)り、鼎(かなえ)は夏、商(殷)に遷(うつ)りました。
周衰宋之社亡鼎乃淪沒伏而不見
周の徳が衰(おとろ)え、宋(殷の子孫の国)の社(やしろ)が滅(ほろ)び、鼎(かなえ)はすなわち、淪没(しずむ)して、伏(ふ)して見えなくなりました。
頌云自堂徂基自羊徂牛
「頌」(詩経の六義の一つ)は云(い)う、堂(どう)より基(=宮(く)?)に徂(行く)し、羊(ひつじ)より牛(ぎゅう うし)に徂(行く)する。
鼐鼎及鼒不吳不驁胡考之休
鼐(だい おおきな鼎)鼎は鼒(し 小さい鼎)のごとく、呉(さわがしい)さず、驁(ごう おごる)さずは、胡考(長生き)の休(=効(こう)? ききめがある)である、と。
今鼎至甘泉光潤龍變承休無疆
今、鼎(かなえ)は甘泉に至り、光(ひかり)潤(うるお)い龍変(りゅうへん)し、休(=久(きゅう)?)を承(うけたまわ)ること疆(かぎり)が無し。
合茲中山有黃白云降蓋若獸為符路弓乘矢集獲壇下報祠大享
中山で茲(これ)を合(あ)わせ、黄白の雲を有して降(お)りて蓋(おお)い、獣が符(しるし)と為るがごとく、路弓(大弓 )乗矢 (四本でひとそろいとなる矢)で、壇の下(もと)に集め獲(と)り、報(むく)いて祀(まつ)り大いに饗(きょう)しました。
唯受命而帝者心知其意而合焉
天命を授(さず)かったといえども、帝者の心はその意を知りて、徳を合わせることです。
鼎宜見於祖禰藏於帝廷以合明應制曰可
鼎(かなえ)は宜(よろ)しく、祖禰(先祖のおたまや)に於いて見(まみ)え、帝廷に於いて蔵(しまう)し、明応を合(あ)わせるを以ってするべきです」と。制して曰く、「可(よろしい)」と。
黄帝は宝鼎を三つ作り、天、地、人を象(かたど)りました。
禹收九牧之金鑄九鼎
禹は九牧(九州の地方長官)の金属を収(おさ)め、九つの鼎(かなえ)を鋳造(ちゅうぞう)しました。
皆嘗亨鬺上帝鬼神
皆(みな)嘗(つねに)鬺(いけにえを煮る)を上帝、鬼神に亨(すすめる)しました。
遭聖則興鼎遷于夏商
聖に遭(あ)ってすなわち興(おこ)り、鼎(かなえ)は夏、商(殷)に遷(うつ)りました。
周衰宋之社亡鼎乃淪沒伏而不見
周の徳が衰(おとろ)え、宋(殷の子孫の国)の社(やしろ)が滅(ほろ)び、鼎(かなえ)はすなわち、淪没(しずむ)して、伏(ふ)して見えなくなりました。
頌云自堂徂基自羊徂牛
「頌」(詩経の六義の一つ)は云(い)う、堂(どう)より基(=宮(く)?)に徂(行く)し、羊(ひつじ)より牛(ぎゅう うし)に徂(行く)する。
鼐鼎及鼒不吳不驁胡考之休
鼐(だい おおきな鼎)鼎は鼒(し 小さい鼎)のごとく、呉(さわがしい)さず、驁(ごう おごる)さずは、胡考(長生き)の休(=効(こう)? ききめがある)である、と。
今鼎至甘泉光潤龍變承休無疆
今、鼎(かなえ)は甘泉に至り、光(ひかり)潤(うるお)い龍変(りゅうへん)し、休(=久(きゅう)?)を承(うけたまわ)ること疆(かぎり)が無し。
合茲中山有黃白云降蓋若獸為符路弓乘矢集獲壇下報祠大享
中山で茲(これ)を合(あ)わせ、黄白の雲を有して降(お)りて蓋(おお)い、獣が符(しるし)と為るがごとく、路弓(大弓 )乗矢 (四本でひとそろいとなる矢)で、壇の下(もと)に集め獲(と)り、報(むく)いて祀(まつ)り大いに饗(きょう)しました。
唯受命而帝者心知其意而合焉
天命を授(さず)かったといえども、帝者の心はその意を知りて、徳を合わせることです。
鼎宜見於祖禰藏於帝廷以合明應制曰可
鼎(かなえ)は宜(よろ)しく、祖禰(先祖のおたまや)に於いて見(まみ)え、帝廷に於いて蔵(しまう)し、明応を合(あ)わせるを以ってするべきです」と。制して曰く、「可(よろしい)」と。