Quantcast
Channel: 倭人伝を解く
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2176

史記 河渠書 始め

$
0
0
夏書曰禹抑洪水十三年過家不入門陸行載車水行載舟泥行蹈毳山行即橋

夏書曰く、禹は洪水(こうずい)を抑(おさ)えること十三年、家に立ち寄っても門に入らず、陸行きは車に載(の)り、水行(川行)きは舟に載(の)り、泥(ぬかるみ)行きは、毳(泥道を走るためのそり)を蹈(ふ)み、山行きは橋(登山用のはきもの)を即(くっつく)した。

以別九州隨山浚川任土作貢通九道陂九澤度九山

九州を別(わ)けるを以って、山に隨(よりそう)して川を浚(さらう)い、任地(土地の特徴にしたがって賦を課す)し、貢(税法の名)を作った。九道を通し、九沢を陂(つつみをつくる)し、九山を度(はかる)した。

然河菑衍溢害中國也尤甚唯是為務

然(しか)るに河の菑(災い)は衍溢(えんいつ)といっぱいであふれ、中国を害するのが尤(もっとも)甚(はなは)だしく、唯(ただ)これが務(つと)めと為した。

故道河自積石歷龍門南到華陰東下砥柱及孟津雒汭至于大邳

故(ゆえ)に河を道(みちびく)するに積石より龍門を歷(めぐる)し、南に華陰に到(いた)り、東に砥柱に下(くだ)り、孟津、雒汭,に及んで大邳に至った。

於是禹以為河所從來者高水湍悍難以行平地數為敗乃二渠以引其河

ここに於いて禹は河がより来(きた)るところは高いと為すを以って、水が湍(うずまく 流れがはやい)悍(水の勢いがはげしい)く、平地に行(みちびく)するを以ってするは難(むずか)しく、たびたび失敗した。そこで二つの渠(人口水路 ほりわり)がその河(の水)を引くを以ってした。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2176

Trending Articles