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Channel: 倭人伝を解く
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西門豹引漳水溉鄴以富魏之河內

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西門豹引漳水溉鄴以富魏之河內

西門豹は漳水を引いて鄴を灌漑(かんがい)し、魏の河内を富ませるを以ってした。

而韓聞秦之好興事欲罷之毋令東伐乃使水工鄭國說秦

しこうして韓は、秦が興事(工事?)を好むと聞き、これを罷(つかれる)させて東伐をさせないことを欲し、そこで、水工の鄭国をつかわしひそかに秦に説(と)かせた。

令鑿水自中山西邸瓠口為渠并北山東注洛三百餘里欲以溉田

水を鑿(うがつ)させ、中山西より瓠口に邸(至る)するまで渠(ほりわり)をつくり、北山の東に并(沿う)して洛に注ぐこと三百余里(一里150m換算で約45km)、田を灌漑(かんがい)することを欲した。

中作而覺秦欲殺鄭國鄭國曰始臣為然渠成亦秦之利也

作る途中で発覚し、秦は鄭国を殺すことを欲した。鄭国曰く、「始めは臣(わたし)は間者(かんじゃ)としてでしたが、然(しか)るに渠(ほりわり)が成されればまた秦が利(り)するのであります」と。

秦以為然卒使就渠

秦は然(しか)りと思い、とうとう渠(ほりわり)を成就(じょうじゅ)させた。

渠就用注填閼之水溉澤鹵之地四萬餘頃收皆畝一鐘

渠(ほりわり)が成就(じょうじゅ)し、填閼(ふさぐ 或いは田疇(田のうね)?)に注(そそ)ぐ水に用い、 沢鹵(淖鹵?やせた塩地?)に漑(そそぐ)する地は四万余頃(頃は面積の単位)の広さで、皆(みな)一畝(うね)に一鐘(鐘=鍾(量の単位))を収穫した。 

於是關中為沃野無凶年秦以富彊卒并諸侯因命曰鄭國渠

ここに於いて漢中は 沃野(肥沃な野)に為り、凶年は無くなり、秦は富み強くなるを以ってした。とうとう諸侯をあわせ、因(よ)りて命名して曰く、鄭国渠、と。

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