天子既臨河決悼功之不成乃作歌曰
天子(漢孝武帝劉徹)はすでに河の決壊に臨(のぞ)むと、功(工事)の成就(じょうじゅ)せずを悼(いた)み、そこで歌を作って曰く、
瓠子決兮將柰何皓皓旰旰兮閭殫為河
「瓠子の決潰(けっかい)はまさに如何(いかん)とす。皓皓旰旰(こうこうかんかん)と光かがやくは、閭(村里)が殫(ことごとく)河と為ったのだ。
殫為河兮地不得寧功無已時兮吾山平
殫(ことごとく)河と為り、地は安寧(あんねい)を得ず、功(工事)は已(や)む時は無く、吾(わ)が山(桟(さん)? 柵(さく))は平(弊(へい)? 破れる)する。
吾山平兮鉅野溢魚沸郁兮柏冬日
吾(わ)が山(桟(さん)? 柵(さく))が平(弊(へい)? 破れる)すれば、鉅野は溢(あふ)れ、魚(さかな)は沸郁とさわぎたてて、日(太陽)に柏冬(暴跳? さらされてとびはねる)する。
延道弛兮離常流蛟龍騁兮方遠遊
道(川の道)を延(の)ばして弛(ゆる)み、常流を離(はな)れ、蛟龍は騁(ほしいまま)に方々(ほうぼう)に遠く遊(めぐる)ぶ。
歸舊川兮神哉沛不封禪兮安知外
旧(もとの)川(川筋)に帰(かえ)すは、神であろうかな、沛(配(はい)?采配する)するは。封禅しなければいずこに外(害(がい)?)を知ろうか。
為我謂河伯兮何不仁泛濫不止兮愁吾人
我(われ)をして河伯(河の神)に謂(い)わせしむ、何と不仁(ふじん)なことか、と。泛濫(氾濫(はんらん))は止(や)まず、吾人(われら)を愁(なげきかなしむ)させる。
齧桑浮兮淮泗滿久不反兮水維緩
齧桑(地名)は浮(う)かび、淮、泗は満(み)ちて、久(ひさ)しくもとに反(かえ)らず、水は緩(しまりがない ゆるむ)を維(たもつ)する」と。
天子(漢孝武帝劉徹)はすでに河の決壊に臨(のぞ)むと、功(工事)の成就(じょうじゅ)せずを悼(いた)み、そこで歌を作って曰く、
瓠子決兮將柰何皓皓旰旰兮閭殫為河
「瓠子の決潰(けっかい)はまさに如何(いかん)とす。皓皓旰旰(こうこうかんかん)と光かがやくは、閭(村里)が殫(ことごとく)河と為ったのだ。
殫為河兮地不得寧功無已時兮吾山平
殫(ことごとく)河と為り、地は安寧(あんねい)を得ず、功(工事)は已(や)む時は無く、吾(わ)が山(桟(さん)? 柵(さく))は平(弊(へい)? 破れる)する。
吾山平兮鉅野溢魚沸郁兮柏冬日
吾(わ)が山(桟(さん)? 柵(さく))が平(弊(へい)? 破れる)すれば、鉅野は溢(あふ)れ、魚(さかな)は沸郁とさわぎたてて、日(太陽)に柏冬(暴跳? さらされてとびはねる)する。
延道弛兮離常流蛟龍騁兮方遠遊
道(川の道)を延(の)ばして弛(ゆる)み、常流を離(はな)れ、蛟龍は騁(ほしいまま)に方々(ほうぼう)に遠く遊(めぐる)ぶ。
歸舊川兮神哉沛不封禪兮安知外
旧(もとの)川(川筋)に帰(かえ)すは、神であろうかな、沛(配(はい)?采配する)するは。封禅しなければいずこに外(害(がい)?)を知ろうか。
為我謂河伯兮何不仁泛濫不止兮愁吾人
我(われ)をして河伯(河の神)に謂(い)わせしむ、何と不仁(ふじん)なことか、と。泛濫(氾濫(はんらん))は止(や)まず、吾人(われら)を愁(なげきかなしむ)させる。
齧桑浮兮淮泗滿久不反兮水維緩
齧桑(地名)は浮(う)かび、淮、泗は満(み)ちて、久(ひさ)しくもとに反(かえ)らず、水は緩(しまりがない ゆるむ)を維(たもつ)する」と。