悉巴蜀租賦不足以更之乃募豪民田南夷
巴蜀の租賦を悉(尽くす)くしてもこれを効(ききめ 更(こう)=効(こう)?)するを以ってするには足(た)らず、そこで豪民を募(つの)って南夷に転(車で運ぶ 田(てん)=転(てん)?)させ、
入粟縣官而內受錢於都內
県官に粟(あわ)を入れ、しこうして内(ひそかに)に銭(ぜに)を都内に受(さずける)けた。
東至滄海之郡人徒之費擬於南夷
東に滄海の郡に至っては、人徒の費(つい)えは南夷に擬(準じる)した。
又興十萬餘人筑衛朔方轉漕甚遼遠
また十万余人を興(おこ)して、衛(漢車騎將軍衛青)の朔方を築き、転漕(車で運ぶことと船で物を運ぶこと)は甚(はなは)だ遼遠(りょうえん)とはるかに遠く、
自山東咸被其勞費數十百巨萬府庫益虛
山東よりはその労(ろう)に咸被(あまねくこうむる)し、費用は数十百巨万で、府庫は益々(ますます)虚(から)になっていった。
乃募民能入奴婢得以終身復為郎秩及入羊為郎始於此
そこで、民を募(つの)り、奴婢を入れることができた者は終身(身を終えるまで)復(労役や租税を免除する)して、郎(官名)と為って秩(給料)を増やすを以ってすることを得て、及び羊(ひつじ)を入れた者は郎(官名)と為るを得るは、此れより始まった。
巴蜀の租賦を悉(尽くす)くしてもこれを効(ききめ 更(こう)=効(こう)?)するを以ってするには足(た)らず、そこで豪民を募(つの)って南夷に転(車で運ぶ 田(てん)=転(てん)?)させ、
入粟縣官而內受錢於都內
県官に粟(あわ)を入れ、しこうして内(ひそかに)に銭(ぜに)を都内に受(さずける)けた。
東至滄海之郡人徒之費擬於南夷
東に滄海の郡に至っては、人徒の費(つい)えは南夷に擬(準じる)した。
又興十萬餘人筑衛朔方轉漕甚遼遠
また十万余人を興(おこ)して、衛(漢車騎將軍衛青)の朔方を築き、転漕(車で運ぶことと船で物を運ぶこと)は甚(はなは)だ遼遠(りょうえん)とはるかに遠く、
自山東咸被其勞費數十百巨萬府庫益虛
山東よりはその労(ろう)に咸被(あまねくこうむる)し、費用は数十百巨万で、府庫は益々(ますます)虚(から)になっていった。
乃募民能入奴婢得以終身復為郎秩及入羊為郎始於此
そこで、民を募(つの)り、奴婢を入れることができた者は終身(身を終えるまで)復(労役や租税を免除する)して、郎(官名)と為って秩(給料)を増やすを以ってすることを得て、及び羊(ひつじ)を入れた者は郎(官名)と為るを得るは、此れより始まった。