又北百里曰王屋之山是多石
また北へ百里(一里150m換算で約15km)、曰く王屋の山と。ここは石が多い。
㶌水出焉而西北流注于泰澤
㶌水が出でて、そして西北に流れて泰沢に注ぐ。
又東北三百里曰教山其上多玉而無石
また東北へ三百里(一里150m換算で約45km)、曰く教山と。その上には玉が多く、そして石が無い。
教水出焉西流注于河是水冬乾而夏流實惟乾河
教水が出でて、西に流れて河に注ぐ。この水(川)は冬に乾(かわ)き、そして夏に流れ、蚩尤(音から蚩尤(黄帝時代の諸侯名)と書けて、実惟=蚩尤?)の乾河である。
其中有兩山是山也廣員三百步
その中には両山(嶺山?)が有り、この山は、広さ円三百里(他の記述より歩=里? 一里150m換算で約45km の円? 員(イン)=円(エン)?)、
其名曰發丸之山其上有金玉
その名は曰く、発丸の山と。その上には金玉(金属や玉)が有る。
また北へ百里(一里150m換算で約15km)、曰く王屋の山と。ここは石が多い。
㶌水出焉而西北流注于泰澤
㶌水が出でて、そして西北に流れて泰沢に注ぐ。
又東北三百里曰教山其上多玉而無石
また東北へ三百里(一里150m換算で約45km)、曰く教山と。その上には玉が多く、そして石が無い。
教水出焉西流注于河是水冬乾而夏流實惟乾河
教水が出でて、西に流れて河に注ぐ。この水(川)は冬に乾(かわ)き、そして夏に流れ、蚩尤(音から蚩尤(黄帝時代の諸侯名)と書けて、実惟=蚩尤?)の乾河である。
其中有兩山是山也廣員三百步
その中には両山(嶺山?)が有り、この山は、広さ円三百里(他の記述より歩=里? 一里150m換算で約45km の円? 員(イン)=円(エン)?)、
其名曰發丸之山其上有金玉
その名は曰く、発丸の山と。その上には金玉(金属や玉)が有る。