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何曰王計必欲東能用信

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何曰王計必欲東能用信

漢丞相蕭何曰く、「王(漢王劉邦)の計(はか)りごとが必ず東に進むことを欲し、韓信を用いることができれば、

信即留不能用信終亡耳王曰

韓信はすなわち留(とど)まり、用いることができなければ、韓信は終(つい)には逃げるだけです」と。漢王劉邦曰く、

吾為公以為將何曰雖為將

「吾(われ)はおまえの為に将軍と為すを以ってしよう」と。漢丞相蕭何曰く、「将軍に為ったと雖(いえど)も、

信必不留王曰以為大將

韓信はきっと留(とど)まらないでしょう」と。漢王劉邦曰く、「大将と為すを以ってしよう」と。

何曰幸甚於是王欲召信拜之

漢丞相蕭何曰く、「非常に幸せに思います」と。ここに於いて漢王劉邦は韓信を召してこれに官(大将)をさずけようとした。

何曰王素慢無禮今拜大將如呼小兒耳

漢丞相蕭何曰く、「王(漢王劉邦)は素(もと)よりいばり無礼(ぶれい)で、今、大将をさずけるに
小児を呼(よ)ぶが如(ごと)くのようだけでは、

此乃信所以去也王必欲拜之擇良日

これ、すなわち、韓信が去(さ)る理由であります。王(漢王劉邦)は必ずこれに官をさずけることを欲するならば、良い日を択(えら)び、

齋戒設壇場具禮乃可耳王許之

ものいみし、壇場を設(も)うけて、礼式を備(そな)えてこそ、すなわち可であるのみ」と。
漢王劉邦はこれを聞き入れた。

諸將皆喜人人各自以為得大將

諸(もろもろ)の将軍は皆(みな)喜んで、人々は各(おのおの)自(みずか)らが大将位を得られると思った。

至拜大將乃韓信也一軍皆驚

大将をさずけるに至ると、すなわち韓信であり、一様に軍は皆(みな)驚いた。

信拜禮畢上坐王曰丞相數言將軍

韓信の任命式が終わると、上座(じょうざ)した。漢王劉邦曰く、「丞相(蕭何)がたびたび将軍(韓信)を言上したが、

將軍何以教寡人計策信謝

将軍(韓信)は何ものを以ってわたしに計策を教(おし)えるのか」と。漢大将韓信は謝(しゃ)して、

因問王曰今東鄉爭權天下豈非項王邪

因(よ)りて漢王劉邦に問うた、曰く、「今、東面して天下に権力を争うは、どうして項王(西楚覇王項羽)で非(あら)ざるか?」と。

漢王曰然曰

漢王劉邦曰く、「然(しか)り」と。曰く、

大王自料勇悍仁彊孰與項王

「大王(漢王劉邦)は自(みずか)らをはかるに勇悍(ゆうかん)、仁強は項王(項羽)とどちらですか」と。

漢王默然良久曰不如也

漢王劉邦は黙然(もくぜん)とだまりこむことややしばらくして、曰く、「(項羽には)及(およ)ばない」と。

信再拜賀曰惟信亦為大王不如也

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信再拜賀曰惟信亦為大王不如也

漢大将韓信は再拝してよろこんで曰く、「これ、わたしもまた大王(漢王劉邦)は及ばないと思います。

然臣嘗事之請言項王之為人也

然(しか)るにわたしは嘗(かつ)てこれに仕(つか)えたことがあり、項王(西楚覇王項籍(項羽))
の人と為りを言わせてください。

項王喑噁叱千人皆廢然不能任屬賢將

項王(西楚覇王項籍(項羽))は大声で叱(しか)ると 千人が皆(みな)拝(はい)する(廃=拝?)ほどで、然るに 賢い将軍に任属(まかせてたのむ)することができず、

此特匹夫之勇耳項王見人恭敬慈愛

これ、ただの匹夫(ひっぷ)の勇(ゆう)にすぎません。項王(西楚覇王項籍(項羽))は人に見(まみ)えるに、うやうやしくつつしみ、慈(いつく)しみ愛し、

言語嘔嘔人有疾病涕泣分食飲

言語は嘔嘔(くく)として慈愛のこもった声で話し、人に疾病(しっぺい)にかかったものが有れば、
涙を流して飲食を分(わ)けます。

至使人有功當封爵者印刓敝

しかし(至=而、又は且?)もし人に功績の爵を封ずるに当たる者が有れば、印が摩滅(まめつ)し印綬がぼろぼろになるほど、

忍不能予此所謂婦人之仁也

惜(お)しんで与(あた)えることができません。これ、所謂(いわゆる)婦人の仁(じん)であります。

項王雖霸天下而臣諸侯不居關中而都彭城

項王(西楚覇王項籍(項羽))は天下に覇(は)して諸侯を臣下としたと雖(いえど)も、関中に居住せずして彭城を都(みやこ)にしました。

有背義帝之約而以親愛王諸侯不平

また楚義帝熊心の約束に背(そむ)て、親愛(しんあい)を以って王、諸侯にするは公平ではありませんでした。

諸侯之見項王遷逐義帝置江南

諸侯は項王(西楚覇王項籍(項羽))が楚義帝熊心を追い払って遷(うつ)し江南に置いたのを見ると、

亦皆歸逐其主而自王善地項王所過無不殘滅者

また、皆(みな)帰ってその主(あるじ)を追い払って、自ら善(よ)い地で王になりました。項王(西楚覇王項籍(項羽))の立ち寄ったところで残滅(ざんめつ)されなかったものは無く、

天下多怨百姓不親附特劫於威彊耳

天下は怨(うら)み多く、百姓は親しく附(つ)き従わず、ただ威(い)の強さに怯(おぼ)えているだけです。

名雖為霸實失天下心故曰其彊易弱

名目は覇(は)を為したと雖(いえど)も、実質は天下の心を失(うしな)いました。故(ゆえ)に曰く、その強さは弱くなり易(やす)い、と。

今大王誠能反其道任天下武勇

今、大王(漢王劉邦)は誠(まこと)にその(項羽の)道に反(はん)することができれば、天下の武勇に任(まか)せて、

何所不誅以天下城邑封功臣何所不服

どこが誅(ちゅう)されないでしょうか。天下の城邑を以って功臣に封じて、どこが服(ふく)さないでしょうか。

以義兵從思東歸之士何所不散

正義のために戦ういくさを以って、東に帰ろうと思う士に従えさせれば、どこが散りじりにならないでしょうか。

且三秦王為秦將將秦子弟數歲矣

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且三秦王為秦將將秦子弟數歲矣

且(か)つ三秦の王が秦将であったとき、秦の子弟を率いて数年、

所殺亡不可勝計又欺其眾降諸侯

殺したり逃亡させた所、すべて計(はか)ることができず、また、その衆を欺(あざ)むいて諸侯に降(くだ)り、

至新安項王詐阬秦降卒二十餘萬

新安に至ると、項王(西楚覇王項籍(項羽))は偽(いつわ)って秦の降(くだ)った歩兵二十余万人を穴埋(あなう)めし、

唯獨邯欣翳得脫秦父兄怨此三人

ただ、秦将章邯、秦将司馬欣、秦将董翳だけが、免(まぬか)れることを得て、秦の父兄はこの三人を怨(うら)み、

痛入骨髓今楚彊以威王此三人秦民莫愛也

痛(いた)みは骨髄(こつずい)に入っています。今、楚は強く、威(い)を以ってこの三人を王にしましたが、秦の民(たみ)は好んではいないのです。

大王之入武關秋豪無所害除秦苛法

大王(漢王劉邦)が武関に入り、ごく小さなものでも害されたところ無く、秦の苛酷(かこく)な法律を
除(のぞ)き、

與秦民約法三章耳秦民無不欲得大王王秦者

秦の民(たみ)と約したのは、法の三章のみで、秦の民(たみ)は大王(漢王劉邦)が秦で王になるを得ることを欲さない者はおりませんでした。

於諸侯之約大王當王關中關中民咸知之

諸侯の約束に於いて、大王(漢王劉邦)がまさに関中で王なるべきだったことは、関中の民(たみ)は
あまねくこれを知っています。

大王失職入漢中秦民無不恨者

大王(漢王劉邦)が職を失(うしな)って漢中に入ったことは、秦の民(たみ)は恨(うら)まない者はいません。

今大王舉而東三秦可傳檄而定也

今、大王(漢王劉邦)は挙(あ)げて東の三秦に進み、ふれぶみを伝えて平定するべきであります」と。

於是漢王大喜自以為得信晚

ここに於いて漢王劉邦は大いに喜び、自(みずか)ら漢大将韓信を得るのが晩(おそ)かったと思った。

遂聽信計部署諸將所擊

遂(つい)に漢大将韓信の計を聴(き)き入れて、諸(もろもろ)の漢将軍に撃(う)つ所を振り分けた。

八月漢王舉兵東出陳倉定三秦

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八月漢王舉兵東出陳倉定三秦

漢元年八月、漢王劉邦は兵を挙(あ)げて東に、三秦を平定しに陳倉に行った。

漢二年出關收魏河南韓殷王皆降

漢二年、関を出て魏(西魏王魏豹 項羽により河東に移され西魏王と為った 都は平陽)を収(おさ)め、河南王瑕丘申陽(前の楚将)韓王鄭昌(前の呉令) 殷王司馬卬(前の趙將)は皆(みな)降(くだ)った。

合齊趙共擊楚四月至彭城漢兵敗散而還

斉(斉王田広)、趙(趙王趙歇)を合わせ共(とも)に楚を撃(う)った。漢二年四月、彭城(西楚の都)に至った。漢兵は敗(やぶ)れて散りじりになり、還(かえ)った。

信復收兵與漢王會滎陽復擊破楚京索之

漢大将韓信はまた兵を収(おさ)めて、漢王劉邦と栄陽に会(かい)し、また楚の京、索の間(あいだ)を撃ち破(やぶ)った。

以故楚兵卒不能西

故(ゆえ)を以って楚の兵卒は西に進むことができなかった。

漢之敗卻彭城塞王欣翟王翳亡漢降楚

漢の彭城での敗却(はいきゃく)は、塞王司馬欣(もと秦将司馬欣)、翟王董翳(もと秦将董翳)は漢を逃げて楚に降(くだ)った。

齊趙亦反漢與楚和六月魏王豹謁歸視親疾

斉、趙もまた漢に叛(そむ)いて楚と和(わ)した。六月、西魏王魏豹が、親の病気の世話をしに帰ることを求めた。

至國即絕河關反漢與楚約和

国(西魏)に至ると、すぐに河の関(船着場の入り口)を絶(た)って、漢に叛(そむ)き、楚と約(やく)して和(わ)した。

漢王使酈生說豹不下其八月

漢王劉邦は酈生(酈食其)をつかわして西魏王魏豹に説(と)かせたが、下(くだ)らなかった。その八月、

以信為左丞相擊魏魏王盛兵蒲阪

漢大将韓信を以って左丞相と為し、西魏を撃(う)たせた。西魏王魏豹は蒲阪に兵を配置し、

塞臨晉信乃益為疑兵陳船欲度臨晉

臨晋を塞(ふさ)いた。漢左丞相韓信大将軍はそこでますます疑兵(敵をまどわすためのいつわりの兵)
を為して、船を並(なら)べて臨晋を渡(わた)ろうと欲しているようにみせかけ、

而伏兵從夏陽以木罌缻渡軍襲安邑

しこうして、伏兵(ふくへい)が夏陽から木製のかめを以って漢軍を渡(わた)し、安邑を襲(おそ)った。

魏王豹驚引兵迎信信遂虜豹定魏為河東郡

西魏王魏豹は驚(おどろ)き、兵を引いて漢左丞相韓信大将軍を迎(むか)え、漢左丞相韓信大将軍は遂(つい)に西魏王魏豹を虜(とりこ)にして、西魏を平定し、漢河東郡と為した。

漢王遣張耳與信俱引兵東北擊趙代

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漢王遣張耳與信俱引兵東北擊趙代

漢王劉邦は張耳を遣(つか)わし、漢左丞相韓信大将軍とともにつれだって、兵を引き東北に進み、趙、代を撃(う)った。

後九月破代兵禽夏說閼與

九ヶ月後、代兵を破り、夏説(代宰相)を閼与で禽囚(きんしゅう)にし、

信之下魏破代漢輒使人收其精兵詣滎陽以距楚

漢左丞相韓信大将軍の西魏を下(くだ)し、代を破(やぶ)り、漢はそのたびごとに人をしてその精兵(せいへい)を収(おさ)めさせ、栄陽に詣(もう)でて、楚と対峙(たいじ)した。

信與張耳以兵數萬欲東下井陘擊趙

漢左丞相韓信大将軍は張耳と兵数万人を以って、東に井陘を下(くだ)り趙を撃(う)つことを欲した。

趙王成安君陳餘聞漢且襲之也

趙王趙歇、成安君陳余(代王趙傅陳余)は漢がまさにこれを襲(おそ)わんとしていると聞き、

聚兵井陘口號稱二十萬

兵を(趙の)井陘の入り口に集め、号して二十万と称した。

廣武君李左車說成安君曰

広武君李左車が成安君陳余(代王趙傅陳余)を説いて曰く、

聞漢將韓信涉西河虜魏王禽夏說

「漢将韓信が西河を渉(わた)り、西魏王魏豹を虜(とりこ)にして、夏説(代宰相)を禽囚(きんしゅう)にしたと聞きます。

新喋血閼與今乃輔以張耳議欲下趙

新たに(趙の)閼与で血を啜(すす)って盟約し、今、すなわち輔佐(ほさ)は張耳を以ってし、
議(ぎ)して趙を下(くだ)すことを欲し、


此乘勝而去國遠鬬其鋒不可當

これ、勝ちに乗(じょう)じて、国を去ること遠く闘(たたか)い、その切っ先を当(あ)てるべきではありません。

臣聞千里餽糧士有饑色樵蘇後爨師不宿飽

わたしは聞きます、千里の食糧運搬は士に餓(う)えの色を有(ゆう)すると。木をきり草を刈って後(のち)、炊飯(すいはん)し、軍は長い間腹いっぱいに食べていません。

今井陘之道車不得方軌騎不得成列

今、井陘の道は、車はわだちを並べることが得られず、騎兵は列(れつ)を成(な)すことが得られず、

行數百里其勢糧食必在其後

数百里(一里150m換算で約30~45km)行けば、その連隊の食糧は必ずその後(うし)ろに在(あ)るでしょう。

願足下假臣奇兵三萬人從道絕其輜重

願わくは、足下(代王趙傅陳余)はわたしに奇兵(きへい)三万人を与(あた)えてください。ぬけ道からその荷車(にぐるま)を絶(た)ち、

足下深溝高壘堅營勿與戰

足下(代王趙傅陳余)は堀(ほり)を深くし塁壁(るいへき)を高くして、堅(かた)く守ってともに戦うことなかれ。

彼前不得鬬退不得還吾奇兵絕其後

彼らが前進しても闘(たたか)うことができず、退(しりぞ)いても還(かえ)えることができません。
吾(わ)が奇兵がその後(うし)ろを絶ち切り、

使野無所掠,不至十日而兩將之頭可致於戲下

荒野(こうや)をして掠(かす)めるところ無く、十日もたたないうちにして、両将(漢左丞相韓信大将軍、張耳)の頭(あたま)は旗(はた)の下(もと)に招(まね)くことができます。

願君留意臣之計否必為二子所禽矣

願わくは、君にはわたしの計の意(い)をお留(とど)めください。そうしないと、必ず二人の禽囚(きんしゅう)するところと為るでしょう」と。

成安君儒者也常稱義兵不用詐謀奇計

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成安君儒者也常稱義兵不用詐謀奇計

成安君陳余(代王趙傅陳余)は儒者(じゅしゃ)であり、常(つね)に正義の戦いを称(たた)え、偽(いつわ)りの謀(はかりごと)、奇計(きけい)は用(もち)いず、

曰吾聞兵法十則圍之倍則戰

曰く、「吾(われ)は聞きます、兵法(ひょうほう)では(兵力が)十倍ならばこれを包囲し、二倍ならば戦う、と。

今韓信兵號數萬其實不過數千

今、漢左丞相韓信大将軍は数万人と号しているが、その実際は数千人に過ぎないでしょう。

能千里而襲我亦已罷極

千里を移動して我(われ)らを襲(おそ)うことができても、またすでに疲労は極(きわ)まっています。

今如此避而不擊後有大者何以加之

今、この如(ごと)くが避(さ)けられて撃(う)たれなければ、後(のち)に大きな戦いが有ったとき、何ものを以ってこれに加(くわ)えましょうか。

則諸侯謂吾怯而輕來伐我

すなわち諸侯は我らが怯(おび)えていると謂(い)い、しこうして軽々しく来て我(われ)らを打(う)つでしょう」と。

不聽廣武君策廣武君策不用

広武君李左車の策(さく)を聞き入れず、広武君李左車の策(さく)は用(もち)いられなかった。

韓信使人視知其不用還報

漢左丞相韓信大将軍は人をつかわしてひそかにうかがわせ、その用(もち)いなかったことを知って還(かえ)って報告すると、

則大喜乃敢引兵遂下

すなわち、大いに喜び、そこで敢(あ)えて兵を引いて遂(つい)に(東に)下(くだ)った。

未至井陘口三十里止舍

未(ま)だ井陘の出口に至らない三十里(一里150m換算で約4.5km)手前で、止(と)どまり泊(と)まった。

夜半傳發選輕騎二千人人持一赤幟

夜半にことづけが発せられ、身軽な騎兵二千人を選び、一人が一つの赤いのぼり旗を持ち、

從道萆山而望趙軍誡曰

間道(かんどう)から山をおおいて、趙軍を望(のぞ)んで、誡(いまし)めて曰く、

趙見我走必空壁逐我若疾入趙壁

「趙が我(われ 漢)らが逃げるのを見て、必ずとりでを空(から)にして我(われ)らを追いかけるだろう。なんじらはすばやく趙のとりでに入り、

拔趙幟立漢赤幟令其裨將傳飱曰

趙ののぼり旗を抜(ぬ)いて、漢の赤いのぼり旗を立てよ」と。その漢副将に令(れい)して小食をさずけさせ、曰く、

今日破趙會食諸將皆莫信詳應曰

「今日、趙を破(やぶ)ったら食事に会(かい)そう」と。諸(もろもろ)の漢将軍は皆(みな)信じなかったが、偽(いつわ)って応(おう)じて曰く、

諾謂軍吏曰趙已先據便地為壁

「わかりました」と。軍吏に謂(い)った曰く、「趙はすでに先(さき)んじて便利な地に拠(よ)って
とりでをつくった。

且彼未見吾大將旗鼓未肯擊前行恐吾至阻險而還

且(か)つ、彼らはまだ吾(わ)が大将の旗(はた)太鼓(たいこ)を見ないうちは、吾(われ)らが険阻(けんそ)なところに至(いた)って還(かえ)ることを恐れ、まだ前(さき)に行く者たちを撃(う)つことをよしとしないだろう」と。

信乃使萬人先行出背水陳

漢左丞相韓信大将軍はそこで一万人をつかわし先(さき)に行かせ、(井陘口を)出て、川を背(せ)にして陣立(じんだ)てさせた。

趙軍望見而大笑

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趙軍望見而大笑

趙軍は望(のぞ)み見て、大いに笑った。

平旦信建大將之旗鼓鼓行出井陘口

明け方、漢左丞相韓信大将軍は大将の旗(はた)太鼓(たいこ)を建(た)てて、太鼓をうちながら行き井陘口を出た。

趙開壁擊之大戰良久

趙はとりでの壁(かべ)を開いてこれを撃(う)ち、ややしばらく大いに戦った。

於是信張耳詳棄鼓旗走水上軍

ここに於いて漢左丞相韓信大将軍、張耳は偽(いつわ)って太鼓、旗を棄(す)て、川のほとりの漢軍に逃げるふりをした。

水上軍開入之復疾戰

川のほとりの漢軍は開いてこれを入れ、ふたたびはげしい戦いをしようとした。

趙果空壁爭漢鼓旗逐韓信張耳

趙は果(は)たしてとりでを空(から)にして漢の(棄てた)太鼓、旗をとりあい、漢左丞相韓信大将軍、張耳を追いかけた。

韓信張耳已入水上軍軍皆殊死戰不可敗

漢左丞相韓信大将軍、張耳はすでに川のほとりの漢軍に入り、漢軍は皆(みな)敗(やぶ)れるべきではないと死ぬ覚悟で戦った。

信所出奇兵二千騎共候趙空壁逐利

漢左丞相韓信大将軍が出した所の騎兵二千騎は、共(とも)に趙の空(から)のとりでをうかがい、

則馳入趙壁皆拔趙旗立漢赤幟二千

すなわち、馬を馳(は)せて趙のとりでに入り、皆(みな)趙の旗(はた)を抜(ぬ)いて、漢の赤いのぼり旗二千本を立てた。

趙軍已不勝不能得信等欲還歸壁

趙軍がすでに勝たず漢左丞相韓信大将軍らをつかまえることができず、とりでに帰還(きかん)することを欲した。

壁皆漢赤幟而大驚以為漢皆已得趙王將矣

とりでは皆(みな)漢の赤いのぼり旗になっており、大いに驚(おどろ)いて、漢は皆(みな)すでに趙王、将軍たちをつかまえたと思った。

兵遂亂遁走趙將雖斬之不能禁也

趙兵は遂(つい)に乱(みだ)れ遁走(とんそう)した。趙将軍がこれを斬(き)ろうとしたと雖(いえど)も、禁ずることはできなかったのである。

於是漢兵夾擊大破虜趙軍

ここに於いて、漢兵は挟(はさ)み撃(う)ちして、趙軍を大破(たいは)して虜(とりこ)にし、

斬成安君泜水上禽趙王歇

成安君(代王趙傅陳余)を泜水(川名)のほとりで斬(き)り、趙王趙歇を生け捕(ど)りにした。

信乃令軍中毋殺廣武君有能生得者購千金

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信乃令軍中毋殺廣武君有能生得者購千金

漢左丞相韓信大将軍はそこで軍中に令(れい)した、広武君李左車を殺すことなかれ、生きたままつかまえることができた者が有れば、千金を購(あがな)う、と。

於是有縛廣武君而致戲下者信乃解其縛

ここに於いて、広武君李左車を縛(しば)って旗下に連れてきた者が有り、漢左丞相韓信大将軍はそこで、その縄(なわ)を解(と)き、

東鄉坐西鄉對師事之諸將效首虜

東に向って坐(すわ)らせ、西に向って対座し、これに師事(しじ)した。漢諸将は首級、虜(とりこ)をとどけ、

(休)畢賀因問信曰兵法右倍山陵

賀(が)し終わると、因(よ)りて漢左丞相韓信大将軍に問(と)うて曰く、「兵法(ひょうほう)では、山、丘を背(せ)にして輔佐(ほさ)させ、

前左水澤今者將軍令臣等反背水陳

前に川、沢を輔佐とすると。今回は、将軍はわたしたちに令しました、反対に川を背(せ)にして陣(じん)をしかせ、

曰破趙會食臣等不服然竟以勝此何術也

曰く、趙を破ったら会食しようと。わたしたちは不服(ふふく)でした。しかるにとうとう勝つを以ってしました。これ何の術(じゅつ)ですか?」と。

信曰此在兵法顧諸君不察耳

漢左丞相韓信大将軍曰く、「これは兵法(ひょうほう)に在(あ)る。思うに諸君らが調べていないだけだ。

兵法不曰陷之死地而後生置之亡地而後存

兵法(ひょうほう)にいわないか、『これを死地に陥(おとしい)れて後、生きる、これを亡(ほろ)ぶ地に置いて後、存(ながら)える』と。

且信非得素拊循士大夫也此所謂驅市人而戰之

且(か)つ、わたしは、普段から士大夫を慰撫(いぶ)し得ておらず、これ、所謂(いわゆる)、市の人を駆(か)りたててたたかわせる、ようなものである。

其勢非置之死地使人人自為戰

その情勢は、死地に置(お)いて、人々をして自(みずか)ら戦いを為させることをせずに、

今予之生地皆走寧尚可得而用之乎

今回、これに生地を与(あた)えたなら、皆(みな)逃げ走っただろう。どうして尚(なお)つかまえてこれを用(もち)いることができただろうか」と。

諸將皆服曰善非臣所及也

漢諸将は皆(みな)感服(かんぷく)して曰く、「さすがです。わたしたちの及(およ)ぶところではありません」と。

於是信問廣武君曰仆欲北攻燕

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於是信問廣武君曰仆欲北攻燕

ここに於いて漢左丞相韓信大将軍は広武君李左車に問(と)うた曰く、「わたしは北に燕を攻め、

東伐齊何若而有功廣武君辭謝曰

東に斉を討(う)ちたいと欲するが、どのようなごとくすれば功が有るだろうか?」と。広武君李左車は辞(じ)して謝(しゃ)して曰く、

臣聞敗軍之將不可以言勇

「わたしは聞きます、敗軍(はいぐん)の将軍は、勇(いさ)ましさを言うことは不可(ふか)で、

亡國之大夫不可以圖存

亡国(ぼうこく)の大夫は存(ながら)えることを図(はか)ることは不可(ふか)であると。

今臣敗亡之虜何足以權大事乎

今、わたしは敗亡(はいぼう)の虜(とりこ)で、どうして大事(だいじ)をはかるを以ってするに足(た)るでしょうか」と。

信曰仆聞之百里奚居虞而虞亡

漢左丞相韓信大将軍曰く、「わたしはこれを聞く、百里奚は虞に居(い)たときにして虞は亡(ほろ)び、

在秦而秦霸非愚於虞而智於秦也

秦に在(あ)ったときにして秦は覇(は)したと。虞に於いて愚者で、秦に於いて智者であったのでは非(あら)ざるなり。

用與不用聽與不聽也誠令成安君聽足下計

用いるか用いないか、聴き入れるか聴き入れないかである。誠(まこと)に成安君(代王趙傅陳余)に令(れい)して足下(そっか)の計を聴き入れさせていれば、

若信者亦已為禽矣以不用足下故信得侍耳

わたしのごとくの者もまたすでに生け捕りと為っていただろう。足下(そっか)を用いなかったのを以って、故(ゆえ)にわたしは侍(はべ)るを得たのであってそれだけのことだ」と。

因固問曰仆委心歸計願足下勿辭

因(よ)りて固(かた)く問(と)うて曰く、「わたしは心を委(ゆだ)ねて計(はか)りごとにしたがうので、願わくは、足下(そっか)は辞(じ)することなかれ」と。

廣武君曰臣聞智者千慮必有一失

広武君曰く、「わたしは聞きます、智者は千回慮(おもんばか)って、必ず一つは失敗が有り、

愚者千慮必有一得

愚者は千回慮(おもんばか)って必ず一つは得ることが有(あ)る、と。

故曰狂夫之言聖人擇焉

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故曰狂夫之言聖人擇焉

故(ゆえ)に曰く、愚(おろ)かな男の言(げん)でも、聖人はよいものを選び取る、と。

顧恐臣計未必足用願效愚忠

顧(かえり)みて恐(おそ)らくわたしの計(はか)りごとは未(ま)だ必ずしも用いるに足(た)りませんが、願わくは愚か者の誠意(せいい)をつくさせてください。

夫成安君有百戰百勝之計一旦而失之

それ、成安君(代王趙傅陳余)に百戦百勝の計(はか)りごとが有りながら、一朝にしてこれを失(うしな)い、

軍敗鄗下身死泜上今將軍涉西河

趙軍は鄗(地名)の下(もと)で敗(やぶ)れ、身(み)は泜水のほとりで死にました。今回、将軍(漢左丞相韓信大将軍)が西河を渉(わた)り、

虜魏王禽夏說閼與一舉而下井陘

魏王魏豹を虜(とりこ)にして、代宰相夏説を閼与で生け捕りにして、一挙(いっきょ)にして井陘を下(くだ)り、

不終朝破趙二十萬眾誅成安君

朝が終わらないうちに趙の二十万の衆を破(やぶ)り、成安君(代王趙傅陳余)を誅(ちゅう)しましたが、

名聞海內威震天下農夫莫不輟耕釋耒

名声は海内(かいない)に聞こえ、威(い)は天下を震(ふる)わせ、農夫は、すきを棄(す)てて
耕(たがや)すことを軽(かろ)んじないものは無く、

褕衣甘食傾耳以待命者若此

美しい着物を着て、うまいものを食べ、耳(みみ)を傾(かたむ)けて命令を待(ま)つを以ってすることでしょう。このごとくは、

將軍之所長也然而眾勞卒罷其實難用

将軍(漢左丞相韓信大将軍)の有利となる所であります。然(しか)しながら、衆人はほねをおり、歩兵は疲れ、その実(じつ)は用(もち)い難(がた)いです。

今將軍欲舉倦獘之兵頓之燕堅城之下

今、将軍(漢左丞相韓信大将軍)は厭(あ)きて疲(つか)れた兵を挙(あ)げて、燕の堅固(けんこ)な城壁の下(もと)でこれに陣営(じんえい)を張らせようと欲し(頓=屯?)ていますが、

欲戰恐久力不能拔情見勢屈曠日糧竭

戦いを欲しても恐(おそ)らく久(ひさ)しく力を出しても攻め落とすことはできないでしょう。情況は勢(いきお)いのたわまりを見(み)せ、むだに日をすごし、食糧は尽(つ)き、

而弱燕不服齊必距境以自彊也

しこうして、弱い燕が降服(こうふく)しなければ、斉は必ず国境をふせぎ自(みずか)らを強めるを以ってすることでしょう。

燕齊相持而不下則劉項之權未有所分也

燕、斉が相(あい)持ちこたえて下(くだ)らなければ、劉氏、項氏の権勢(けんせい)は未(ま)だ
分(わ)かつところを有(ゆう)さないのです。

若此者將軍所短也

このごとくのものは、将軍(漢左丞相韓信大将軍)の不利となるところです。

臣愚竊以為亦過矣

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臣愚竊以為亦過矣

わたしは愚かですが、ひそかにまた過(あやま)ちだと思います。

故善用兵者不以短擊長而以長擊短

故(もと)より兵を善(よ)く用いるとは短所を以って長所を撃(う)たずして、長所を以って短所を撃(う)つのです」と。

韓信曰然則何由廣武君對曰

漢左丞相韓信大将軍曰く、「然(しか)らば何(なに)に由(よ)るのか?」と。広武君李左車は応(こた)えて曰く、

方今為將軍計莫如案甲休兵

「まさに今、将軍の為(ため)に計(はか)らんとするは、よろいを置いて兵を休め、

鎮趙撫其孤百里之內牛酒日至

趙を鎮(しず)め、その戦死者の子を撫(な)で安んじ、百里の内(うち)では、牛、酒が毎日至(いた)り、

以饗士大夫醳兵北首燕路而後遣辯士奉咫尺之書

士大夫をもてなすを以って兵をねぎらい、北に燕の路(みち)に向うにこしたことはありません。
しこうして後(のち)、弁士(べんし)を遣(つか)わし簡単な書状を奉(たてまつ)らせ、

暴其所長於燕燕必不敢不聽從燕已從

その長所を燕にはっきりと示(しめ)せば、燕は必ず敢(あ)えて従(したが)うことを聴き入れないことはしないでしょう。燕がすでに従(したが)えば、

使諠言者東告齊齊必從風而服雖有智者

やかましく言う者をつかわして東に斉に告(つ)げさせれば、斉は必ず勢いに従(したが)って服(ふく)し、智者がいると雖(いえど)も、

亦不知為齊計矣如是則天下事皆可圖也

また、斉の為(ため)に計(はか)ることをさとらないでしょう。このごとくすれば、天下の事は皆(みな)図(はか)り取ることができるのであります。

兵固有先聲而後實者此之謂也

戦いは固(もと)より 先(さき)の評判を有(ゆう)して後(のち)に実行するとは、このことを謂(い)うのであります」と。

韓信曰善從其策發使使燕燕從風而靡

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韓信曰善從其策發使使燕燕從風而靡

韓信曰く、「よろしい」と。その策(さく)に従(したが)い、使者を発して燕に使(つか)いさせ、
燕は風にして靡(なび)くように従(したが)った。

乃遣使報漢因請立張耳為趙王以鎮撫其國

そおで使者を遣(つか)わし漢に報告させ、因(よ)りて張耳を立てて趙王と為し、その国を鎮撫(ちんぶ)するを以ってすることを請(こ)うた。

漢王許之乃立張耳為趙王

漢王劉邦はこれを聞き入れ、そこで張耳を立てて趙王と為した。

楚數使奇兵渡河擊趙趙王耳

楚がたびたび奇兵をつかわし河を渡(わた)って趙を撃(う)たせた。趙王張耳、

韓信往來救趙因行定趙城邑發兵詣漢

漢左丞相韓信大将軍は往来(おうらい)して趙を救(すく)い、因(よ)りて行きながら趙の城邑を平定し、兵を発して漢に詣(もう)でた。

楚方急圍漢王於滎陽漢王南出之宛葉

楚はまさに急いで漢王劉邦を栄陽に於いて包囲(ほうい)し、漢王劉邦は南に脱出して、宛、葉の間に行き、

得黥布走入成皋楚又復急圍之

黥布(九江王英布)を得て、成皋に走り入り、楚もまた急いでこれを包囲(ほうい)した。

六月漢王出成皋東渡河

(漢三年)六月、漢王劉邦は成皋を脱出して、東に河を渡(わた)り、

獨與滕公俱從張耳軍修武

一人漢太僕滕公(昭平侯夏侯嬰)とともに連れ立って、修武で趙王張耳軍に合流しようと、

至宿傳舍晨自稱漢使馳入趙壁

至りて、伝舎(駅次の宿舎)に宿泊した。明け方、自(みずか)らを漢の使者と称(しょう)して、
趙のとりでに馳(は)せ入った。

張耳韓信未起即其臥內上奪其印符

趙王張耳、漢左丞相韓信大将軍が未(ま)だ起きないうちに、その寝室の中のかたわらでその印符を奪(うば)い、

以麾召諸將易置之

麾(指揮する旗)を以って諸将を召(め)しよせ、これを置きかえた。

信耳起乃知漢王來大驚

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信耳起乃知漢王來大驚

漢左丞相韓信大将軍、趙王張耳が起(お)きてすなわち、漢王劉邦が来たことを知り、大いに驚(おどろ)いた。

漢王奪兩人軍即令張耳備守趙地

漢王劉邦は二人の軍を奪(うば)い、すぐに趙王張耳に令(れい)して趙地を守備(しゅび)させた。

拜韓信為相國收趙兵未發者擊齊

漢左丞相韓信大将軍に官をさずけて漢相国と為し、趙兵の未(ま)だ発されてない者を収めて斉を撃(う)たせた。

信引兵東未渡平原

漢相国韓信大将軍は兵を引いて東へ進み、未(ま)だ平原を渡(わた)らないうちに、

聞漢王使酈食其已說下齊韓信欲止

漢王劉邦が酈食其をつかわしてすでに斉を説(と)き下(くだ)したと聞き、漢相国韓信大将軍は止(とど)まることを欲した。

范陽辯士蒯通說信曰將軍受詔擊齊

范陽の弁士(べんし)の蒯通が漢相国韓信大将軍に説(と)いた、曰く、「将軍は斉を撃(う)つ詔(みことのり)を受けており、

而漢獨發使下齊寧有詔止將軍乎

しこうして、漢はただ間使(かんし)を発して斉を下(くだ)させただけで、どうして将軍を止(と)める詔(みことのり)が有るでしょうか。

何以得毋行也且酈生一士伏軾掉三寸之舌

何ものを以って行かないことを得られるでしょうか。且(か)つ、酈生(酈食其)は一介の士で、軾(しきみ)に手をかけたままうつむいて礼(れい)をし、三寸の舌(した)を動かし、

下齊七十餘城將軍將數萬眾歲餘乃下趙五十餘

斉の七十余の城邑を下(くだ)しました。将軍は数万人の衆を率(ひき)いて、一年余りしてすなわち趙の五十余の城邑を下(くだ)しました。

為將數歲反不如一豎儒之功乎

数年率(ひき)いることを為さないと、かえりみて一介のくだらない儒者(じゅしゃ)の功(こう)に及(およ)ばないのでしょうか」と。

於是信然之從其計遂渡河齊已聽酈生

ここに於いて漢相国韓信大将軍はこれを然(しか)りと思い、その計(はか)りごとに従(したが)い、
遂(つい)に河を渡(わた)った。斉はすでに酈生(酈食其)を聴きいれており、

即留縱酒罷備漢守御信因襲齊歷下軍遂至臨菑

すなわちほしいままに酒宴をして留(とど)め、漢の守御(しゅぎょ)に備(そな)えることをやめていた。漢相国韓信大将軍は因(よ)りて斉の歷下(地名)の軍を襲(おそ)い、遂(つい)に臨菑に至(いた)った。

齊王田廣以酈生賣己乃亨之

斉王田広は酈生(酈食其)が己(おのれ)をあざむいたと思い、すなわちこれを烹刑にし、

而走高密使使之楚請救

しこうして高密に逃走し、使者をつかわして楚に救援を請(こ)いに行かせた。

韓信已定臨菑遂東追廣至高密西

漢相国韓信大将軍はすでに臨菑を平定し、遂(つい)に東に斉王田広を追って高密の西に至った。

楚亦使龍且將號稱二十萬救齊

楚もまた龍且をつかわし兵を率(ひき)いさせ、号して二十万と称して斉を救援させた。

齊王廣龍且并軍與信戰未合

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齊王廣龍且并軍與信戰未合

斉王田広、楚将龍且は軍を併(あ)わせて漢相国韓信大将軍とともに戦おうとしたが、未(ま)だ合(あ)わないうちに、

人或說龍且曰漢兵遠鬬窮戰

人の或(あ)る者が楚将龍且に説(と)いて曰く、「漢兵は遠く闘(たたか)い、戦いを窮(きわ)め、

其鋒不可當齊楚自居其地戰

その切っ先(きっさき)は当(あ)てるべきではありません。斉、楚は自(みずか)らをその地に居(い)て戦い、

兵易敗散不如深壁令齊王使其信臣招所亡城

兵は敗(やぶ)れてちりじりになり易(やす)いです。とりでの壁を深くするにこしたことはありません。斉王田広に令(れい)して、その信頼できる臣下をつかわし、城邑を亡(ほろ)ぼされたところを招(まね)かせるのです。

亡城聞其王在楚來救必反漢

亡(ほろ)ぼされた城邑はその王(斉王田広)が在(あ)って、楚が救援に来たことを聞けば、必ず漢に叛(そむ)くでしょう。

漢兵二千里客居齊城皆反之其勢無所得食

漢兵は二千里(一里150m換算で約300km)たびずまいをしており、斉の城邑が皆(みな)これに
叛(そむ)けば、その情勢は食糧を得るところ無く、

可無戰而降也龍且曰吾平生知韓信為人

戦わないで降(くだ)すことができます」と。楚将龍且曰く、「吾(われ)は普段から韓信の人と為りを
知っているが、

易與耳且夫救齊不戰而降之吾何功

与(くみ)し易(やす)いだけである。且(か)つそれ、斉を救援するに戦わずしてこれを降(くだ)せば、吾(われ)は何を手柄にしようか。

今戰而勝之齊之半可得何為止

今、戦ってこれに勝てば、斉の半分は得ることができ、どうして止(とど)まったりしようか」と。

遂戰與信夾濰水陳韓信乃夜令人為萬餘囊

遂(つい)に戦い、漢相国韓信大将軍と濰水をはさんで陣営(じんえい)をしいた。漢相国韓信大将軍はそこで、夜、人に令(れい)して一万余の嚢(ふくろ)をつくらせ、

滿盛沙壅水上流引軍半渡

砂(すな)を盛(も)って満(み)たし、川の上流をせき止めて、漢軍の半分を引いて渡(わた)り、

擊龍且詳不勝還走龍且果喜曰

楚将龍且軍を撃(う)ち、勝たなかったふりをして、走り還(かえ)った。楚将龍且は果(は)たして喜び曰く、

固知信怯也遂追信渡水信使人決壅囊

「固(もと)より韓信の臆病は知っていたのだ」と。遂(つい)に漢相国韓信大将軍を追って川を渡(わた)った。漢相国韓信大将軍は人をつかわし土嚢(どのう)の堰(せき)を決壊(けっかい)させた。

水大至龍且軍大半不得渡即急擊殺龍且

水が大いに至った。楚将龍且軍の大半(たいはん)が渡(わた)ることを得ず、すなわち、急いで撃(う)ち、楚将龍且を殺した。

龍且水東軍散走齊王廣亡去

楚将龍且の濰水の東(ひがし)側の軍はちりじりになって逃走し、斉王田広は逃亡して去った。

信遂追北至城陽皆虜楚卒

漢相国韓信大将軍は遂(つい)に北に追いかけて城陽に至り、皆(みな)楚の歩兵を虜(とりこ)にした。

漢四年遂皆降平齊

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漢四年遂皆降平齊

漢四年、遂(つい)に皆(みな)斉を降(くだ)し平(たいら)げた。

使人言漢王曰齊偽詐多變反覆之國也

人をつかわし漢王劉邦に言わせた、曰く、「斉は偽(いつわ)りあざむき変事が多く、うらぎりの国でり、

南邊楚不為假王以鎮之其勢不定

南は楚にとなりあい、仮(かり)の(斉の)王となってこれを鎮(しず)めるを以ってしなければ、その勢(いきお)いは安定しません。

願為假王便當是時楚方急圍漢王於滎陽

願わくは、仮(かり)の王と為して便(べん)をはかってください」と。ちょうどこの時、楚はまさに急いで漢王劉邦を栄陽に於いて包囲(ほうい)せんとしていたときだった。

韓信使者至發書漢王大怒罵曰

漢相国韓信大将軍の使者(ししゃ)が至り、書状を開くと、漢王劉邦は大いに怒(おこ)り罵(ののし)って曰く、

吾困於此旦暮望若來佐我乃欲自立為王

「吾(われ)はこれよりて困窮(こんきゅう)して、朝も夕もなんじが我(われ)を助けに来ることを望(のぞ)んでいたのに、自(みずか)ら立って王に為(な)ることを欲していたのか」と。

張良陳平躡漢王足因附耳語曰

張良、陳平が漢王劉邦の足をおさえて、因(よ)りて耳(みみ)に附(つ)けて語(かた)った、曰く、

漢方不利寧能禁信之王乎不如因而立善遇之使自為守不然變生

「漢はまさに不利(ふり)であり、どうして漢相国韓信大将軍の斉王になることを禁(きん)ずることができましょうか。因(よ)りて立てて、これを善遇(ぜんぐう)し、自(みずか)らをして守(まも)りを為さしめるにこしたことはありません。そうしなければ、変事が生(しょう)ずるでしょう」と。

漢王亦悟因復罵曰大丈夫定諸侯

漢王劉邦もまた悟(さと)り、因(よ)りてまた罵(ののし)って曰く、「大丈夫(だいじょうふ)が諸侯を平定すれば

即為真王耳何以假為

すなわち真(まこと)の王と為すのみ。どうして仮(かり)を以ってして(王と)為そうか」と。

乃遣張良往立信為齊王徵其兵擊楚

そこで、張耳を遣(つか)わし往(ゆ)かせ、漢相国韓信大将軍を立てて斉王と為さしめ、その兵を徴集(ちょうしゅう)して楚を撃(う)たせた。

楚已亡龍且

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楚已亡龍且項王恐使盱眙人武涉往說齊王信曰

楚はすでに楚将龍且を亡(な)くし、項王(項羽)は恐れ、盱眙人の武涉をして往(ゆ)かせ、斉王韓信を説(と)かせた、曰く、

天下共苦秦久矣相與力擊秦秦已破計功割地

「天下は共(とも)に秦に苦しむこと久(ひさ)しく、相(あい)ともに力をつくして秦を撃(う)った。秦はすでに破(やぶ)れ、功績を計(はか)り、地を割(さ)き、

分土而王以休士卒

土地を分けてこれを王にし、士卒を休ませるを以ってした。

今漢王復興兵而東侵人之分奪人之地已破

今、漢王劉邦はまた兵を興(おこ)して東に進み、人の分野を侵(おか)し、人の地を奪(うば)い、破(やぶ)り終えると、

引兵出關收諸侯之兵以東擊楚其意非盡吞天下者不休

兵を引いて関を出て、諸侯の兵を収(おさ)めて東へ楚を撃(う)つを以ってした。その意(い)は天下を呑(の)み尽(つ)くさなければ休まず、

其不知厭足如是甚也且漢王不可必身居項王掌握中數

その飽(あ)き足りることを知らずはこの如(ごと)く甚(はなは)だしいのである。且(か)つ漢王劉邦は必ずしも勝つことができず、身(み)は項王(項羽)の掌握(しょうあく)した中に居(お)ることたびたびで、

項王憐而活之然得脫輒倍約復擊項王其不可親信如此

項王(項羽)は憐(あわ)れみてこれを活(い)かし、然(しか)るに脱出することを得たが、そのたびごとに約束にそむき、また項王(項羽)を撃(う)ち、その、この如(ごと)くを親しみ信ずることはできない。

今足下雖自以與漢王為厚交為之盡力用兵

今、足下(斉王韓信)が自(みずか)ら漢王劉邦と厚(あつ)い交(まじ)わりを為そうと思ったと雖(いえど)も、この為(ため)に力を尽くして兵を用(もち)い、

終為之所禽矣足下所以得須臾至今

終いにはこの擒(とりこ)とするところと為るだろう。足下(斉王韓信)がゆったりとなにもせずに今に至ることができたわけは

以項王尚存也當今二王之事權在足下

項王(項羽)を以って尚(なお)存(ながら)えているのだ。まさに今、二王(漢王、項王)の事のはかりのおもりは足下(斉王韓信)に在(あ)る。

足下右投則漢王勝左投則項王勝

足下(斉王韓信)が右に(おもりを)投げれば漢王劉邦が勝ち、左に(おもり)を投げれば、項王(項羽)が勝つ。

項王今日亡則次取足下

項王が今日亡(ほろ)べば、次(つぎ)は足下(斉王韓信)を取るのだ。

足下與項王有故何不反漢與楚連和參分天下王之

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足下與項王有故何不反漢與楚連和參分天下王之

足下(斉王韓信)は項王(項羽)と故(ゆえ)が有り、どうして漢に叛(そむ)いて楚と連和(れんわ)して、天下を三分して王とならないのか?

今釋此時而自必於漢以擊楚且為智者固若此乎

今、この時をすてれば、しこうして自(おのず)から漢に於いて楚を撃(う)つを以ってするのは必至だ。まさに智者は固(もと)よりこの如(ごと)くを為すだろうか」と。

韓信謝曰臣事項王官不過郎中

斉王韓信は謝(しゃ)して曰く、「わたしは項王(項羽)に仕え、官位は郎中を越えませんでした。

位不過執戟言不聽畫不用故倍楚而歸漢

地位は戟(ほこの一種)を執(と)るに過ぎず、言(げん)は聴き入れられず、画策(かくさく)は用いられず、故(ゆえ)に楚にそむいて漢に帰属したのです。

漢王授我上將軍印予我數萬眾解衣衣我

漢王劉邦はわれに上将軍印を授(さず)け、我(われ)に数万人の衆を与(あた)え、衣(ころも)を解(と)いて我(われ)に着せ、

推食食我言聽計用故吾得以至於此

食事をすすめて我(われ)に食べさせ、言(げん)は聴き入れられ、計画は用いられ、故(ゆえ)に吾(われ)はここに至るを以ってするを得(え)たのです。

夫人深親信我我倍之不祥雖死不易幸為信謝項王

それ、人が我(われ)を深く親しみ信ずれば、我(われ)がこれにそむくは不祥(ふしょう)で、死ぬと雖(いえど)もかえられません。わたしの為(ため)に項王(項羽)に謝(しゃ)していただければ幸(さいわ)いです」と。

武涉已去齊人蒯通知天下權在韓信

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武涉已去齊人蒯通知天下權在韓信

武涉はすでに去(さ)り、斉人の蒯通は天下のおもりが斉王韓信に在(あ)ることを知り、

欲為奇策而感動之以相人說韓信曰

奇策(きさく)をつくってこれを心動かせようと欲し、人相(にんそう)を見るを以って斉王韓信を説(と)いた、曰く、

仆嘗受相人之術韓信曰

「わたしはかつて人相見の術を受けました」と。斉王韓信曰く、

先生相人何如對曰

「先生が人相を見るはどのようであるのか?」と。応(こた)えて曰く、

貴賤在於骨法憂喜在於容色

「貴賎(きせん)は骨格に於いて在(あ)り、憂喜は容色(ようしょく)に在(あ)り、

成敗在於決斷以此參之萬不失一

成敗(せいばい)は決断に在(あ)り、この三つを以ってすれば、万に一つもあやまりません」と。

韓信曰善先生相寡人何如

斉王韓信曰く、「よろしい。先生はわたしの人相を見るにどのようであるか?」と。

對曰願少信曰左右去矣

応(こた)えて曰く、「願わくは、少し人目をさけてください」と。斉王韓信曰く、「左右の者は去った」と。

通曰相君之面不過封侯又危不安

蒯通曰く、「君の顔を見るに、侯を封ぜられるに過ぎず、また安定せず危(あや)ういです。

相君之背貴乃不可言韓信曰

君の背骨を見るに、貴(とうと)くてすなわち言葉にできません」と。斉王韓信曰く、

何謂也蒯通曰天下初發難也

「どういうことを謂(い)ったのか」と。蒯通曰く、「天下が災難を発したばかりのとき、

俊雄豪桀建號壹呼天下之士雲合霧集

俊雄、豪桀が号を建(た)ててひとたび呼ぶと、天下の士が雲や霧(きり)のように多く集まり、

魚鱗襍遝熛至風起當此之時

魚の鱗(うろこ)のようにこまかくかさなり、火の粉(こ)が至って風が起こりました。ちょうどこの時、

憂在亡秦而已今楚漢分爭使天下無罪之人肝膽涂地

憂(うれ)いは秦を亡(ほろ)ぼすことに在(あ)ってそれのみでした。今、楚、漢が分かれて争い、天下の罪無き人の肝膽(肝臓と胆嚢)をして地にまみれさせ、

父子暴骸骨於中野不可勝數楚人起彭城

父子は骸骨を野の中に曝(さら)すは、数えきれません。楚人は彭城(楚の都)に起(お)こり、

轉鬬逐北至於滎陽乘利席卷威震天下

転戦(てんせん)して敗走を追いかけ、栄陽に至り、利(り)に乗じて席巻(せっけん)し、威(い)は天下を震(ふる)えさせました。

然兵困於京索之迫西山而不能進者

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然兵困於京索之迫西山而不能進者

然(しか)るに兵は京、索の間に於いて困窮し、西山に迫(せま)って前進することができず、

三年於此矣漢王將數十萬之眾

ここに於いて三年。漢王劉邦は数十万人の衆を率(ひき)いて、

距鞏雒阻山河之險一日數戰

鞏、雒に山や河の険(けん)を阻(はば)んで対峙(たいじ)し、一日たびたび戦い、

無尺寸之功折北不救敗滎陽傷成皋

尺寸の功も無く、戦いに負けて逃げるはふせぐことができず、栄陽に敗(やぶ)れ、成皋に傷つき、

遂走宛葉之此所謂智勇俱困者也

遂(つい)に、宛、葉の間に走り、これ、所謂(いわゆる)智、勇がともに困窮したというものなり。

夫銳氣挫於險塞而糧食竭於內府

それ、鋭気(えいき)は険塞(けんそく)に挫(くじ)かれ、しこうして、食糧は内府に於いて尽(つ)き、

百姓罷極怨望容容無所倚以臣料之

百姓はつかれはてうらめしく思い、容容とゆったりともたれるところ無ありません。わたしを以ってこれをはかるに、

其勢非天下之賢聖固不能息天下之禍

その勢(いきお)いは天下の賢、聖でなければ、固(もと)より天下の禍(わざわい)をなくすことはできないでしょう。

當今兩主之命縣於足下足下為漢則漢勝

まさに今、両主の運命は足下(斉王韓信)に懸(か)かっています。足下が漢の為にすれば漢が勝ち、

與楚則楚勝臣願披腹心輸肝膽

楚とともにすれば、楚が勝ちます。わたしは願わくは、心の底を披(ひら)き心の中をうちあけ、

效愚計恐足下不能用也

愚計をたてまつり、足下(斉王韓信)が用いることができないことを恐れるのであります。

誠能聽臣之計莫若兩利而俱存之

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誠能聽臣之計莫若兩利而俱存之

誠(まこと)にわたしの計(はか)りごとを聴き入れることができるなら、二つの利(り)にしてともにこれを存(ながら)えさせ、

參分天下鼎足而居其勢莫敢先動

天下を三分して、鼎(かなえ)の足(あし 鼎は三脚)のように居(お)るにこしたことはありません。その勢いは敢(あ)えて先(さき)に動こうとしないでしょう。

夫以足下之賢聖有甲兵之眾據彊齊

それ、足下(斉王韓信)の賢聖を以って、鎧(よろい)をつけた兵の衆を有(ゆう)し、強い斉に拠(よ)りて、

從燕趙出空虛之地而制其後

空(から)っぽの地に出てその後(うし)ろを制(せい)し、燕、趙を従(したが)えるに、

因民之欲西鄉為百姓請命則天下風走而響應矣

民の欲するに因(よ)り、西に向って百姓の為(ため)に命ずるを請(こ)えば、天下は風のように走って響応(きょうおう)して、

孰敢不聽邦大弱彊以立諸侯

誰が敢(あ)えて聴き入れないでしょうか。領地は弱も強も諸侯を立てるを以って大きくなり、

諸侯已立天下服聽而歸於齊

諸侯がすでに立てば、天下は斉に於いて服(ふく)し聴き入れて恩(おん)に帰(き)することでしょう。

案齊之故有膠泗之地懷諸侯以

斉の故地をなでやすんじ、膠、泗の地を有(ゆう)するに、諸侯を徳を以って懐(なつ)け、

深拱揖讓則天下之君王相率而朝於齊矣

深く手を拱(こまね)いて揖讓(両手を胸の前てあわせておじぎをすること)すれば、天下の君王は
相(あい)率(ひき)いて斉に朝(ちょう)することでしょう。

蓋聞天與弗取反受其咎

おもうに聞きます、天が与(あた)えて取らないければ、かえってその咎(とが)を受け、

時至不行反受其殃願足下孰慮之

好機が至っても行わなければ、帰ってそのわざわいを受けると。願わくは、足下(斉王韓信)にはこれをご熟慮(じゅくりょ)ください」と。
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