February 7, 2015, 4:09 pm
昔自在古歷建正作於孟春
昔、古(いにしえ)に在(あ)るより、歴(天体の運行)は正(=政? 基準)を孟春(春の初め)に建(た)てた。
於時冰泮發蟄百草奮興秭鳺先滜
時(とき)は氷(こおり)が溶(と)けて、蟄(冬眠していた虫)が目をさまし、多くの草(くさ)が奮(ふる)い興(おこ)り、秭鳺(子規鳥=うぐいす)が滜(沢、沼)に先(さき)んずる。
物乃歲具生於東次順四時卒于冬分
物(もの)はすなわち一年で具(つぶさ)になり、東(春?)より生じて、四時(四季)に順次(じゅんじ)して、冬分(とうぶん)に終わる。
時雞三號卒明撫十二[月]節卒于丑
時に鶏(にわとり)が三度号(鳴く)すると、にわかに明るくなる。十二の節(時期)を撫(な)でると、丑(うし 律書より十二月)に終わる。
日月成故明也明者孟也幽者幼也幽明者雌雄也
日(太陽)、月が成(な)って、故(ゆえ)に明るい。明るいのは、孟(最年長)である、幽(くら)いのは幼(おさない)であり、幽明は雌雄(めすとおす)である。
雌雄代興而順至正之統也
雌雄(めすとおす)が代わる代わる興(おこ)って、至正(しせい)の統(はじめ)に順(じゅん)ずるのである。
日歸于西起明於東月歸於東起明于西
日(太陽)は西に帰って、東に起きて明るくする。月は東に帰って西に起きて明るくする。
正不率天又不由人則凡事易壞而難成矣
正(=政?基準)は天に率(したがう)さず、また人に由(よ)らなければ、凡(およ)そ事は壊れ易(やす)くして成(な)り難(がた)し。
王者易姓受命必慎始初
王とは、姓名を変えて天命を授(さず)かったときは、必ず最初の始まりを慎(つつし)む。
改正朔易服色推本天元順承厥意
正朔(こよみ 年のはじめと月のはじめ)を改(あらた)め、服色を変え、本(もと)を天元(君主のこと)に推(お)しいただいて、その意(い)を順承(したがいうけたまわる)する。
太史公曰神農以前尚矣
太史公曰く、「神農以前は尚(遠く久しい)である。
蓋黃帝考定星歷建立五行
思うに黄帝が星の歴(運行)を定めることを考え、五行を建立(こんりゅう)し、
起消息正閏餘於是有天地神祇物類之官是謂五官
消息(消えることと生じること)を起(お)こし、閏(うるう)の余(あま)りを正した。ここに於いて
天、地、神、祇、物類の官を有(ゆう)し、これが五官と謂(い)った。
各司其序不相亂也
各(おのおの)がその序(序列)をつかさどり、相(あい)乱れなかったのである。
民是以能有信神是以能有明
民(たみ)はここに信(まこと)を有(ゆう)することができるを以ってし、神はここに明徳を有(ゆう)することができるを以ってした。
民神異業敬而不瀆故神降之嘉生
民、神は業(しごと)を異(こと)にして、敬(うやま)って瀆(けがす)さず、故(ゆえ)に神がこれに嘉生(生を喜ぶ)を降(お)ろし、
民以物享災禍不生所求不匱
民は物(もの)を以って享(供える)し、災禍(さいか)は生じず、求めるところは 匱(欠乏する)さなかった。
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February 7, 2015, 9:42 pm
少暤氏之衰也九黎亂民神雜擾
少暤氏(しょうこうし 黄帝の長男 玄囂(青陽))が衰(おとろ)えて、九黎(官名)が徳を乱(みだ)し、民、神が雜擾(ざつじょう)といりみだれ、
不可放物禍菑薦至莫盡其氣
物に倣(ほう まねる)することができず、禍菑(かさい わざわい)は薦(せん しばしば)至り、その気を尽(ことごと)くして莫(ばく なにもない)した。
顓頊受之乃命南正重司天以屬神
帝顓頊(せんぎょく 黄帝の孫 高陽氏)はこれを受けて、すなわち、南正の重に命じて天を司(つかさど)らせ神を属(ぞく)させるを以ってし、
命火正黎司地以屬民使復舊常無相侵瀆
火正(北正)の黎に命じて地(ち)を司(つかさど)らせ、民を属(ぞく)させるを以ってし、旧常(きゅうじょう むかしの常態)に復(ふく)させて、相(あい)侵(おか)し瀆(とく けがす)しあうことが無くなった。
其後三苗服九黎之故二官咸廢所職
その後、三苗が九黎(官名)の徳に服(ふく)し、故(ゆえ)に二官(南生、火正(北正))は咸(あまねく)、職するところを廃(はい)された。
而閏餘乖次孟陬殄滅攝提無紀歷數失序
しこうして、閏(うるう)の余りは順次を乖(かい たがう)し、孟陬(もうすう 陰暦で正月の異名)は殄滅(てんめつ ほろびたえる)し、摂提(せってい 北斗星の柄のほうにある三星の名)は紀(き 記す)が無くなり、歴数は序(じょ 順序)を失(うしな)った。
堯復遂重黎之後不忘舊者
帝堯(帝嚳の子 黄帝の曾孫)が南正重、火正黎の後(子孫)をふたたび遂(すい 登用する)し、旧(きゅう 古い)ものを忘れず、
使復典之而立羲和之官
ふたたびこれを典(てん 手本)にして、羲、和の官を立てた。
明時正度則陰陽調風雨節
時(とき)の正度(せいど)を明らかすれば、陰陽が調(ととの)い、風雨が節(せつ 度をすごさぬこと)し、
茂氣至民無夭疫年耆禪舜
茂(しげ)る気が至り、民は夭疫(ようえき 疫病で早死にする)することが無くなった。年耆(年寄り 耆は六十歳)は帝舜(黄帝の子孫 帝顓頊の七代目)を禅(ぜん 天子の位をゆずる)し、
申戒文祖云天之歷數在爾躬
戒(いまし)めを文祖(帝堯の太祖の廟)で申し、云(い)う、「天の歴数は爾(に なんじ)躬(きゅう 自身)に在(あ)る」と。
舜亦以命禹由是觀之王者所重也
帝舜もまた 禹(夏王朝の始祖 黄帝の玄孫 帝顓頊の孫)に命ずるを以ってした。これに由(よ)りこれを観(み)るに、王とは重んずるところなのである。
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February 8, 2015, 3:48 pm
夏正以正月殷正以十二月周正以十一月
夏の正(年のはじめ)は正月を以ってし、殷の正(年のはじめ)は十二月を以ってし、周の正(年のはじめ)は十一月を以ってした。
蓋三王之正若循環窮則反本
思うに三王朝の正(年のはじめ)は循環するがごとく、窮(きわ)まれば本(もと)に返(かえ)るだろう。
天下有道則不失紀序
天下に道が有れば、紀序(きじょ 順序を記す)を失わず、
無道則正朔不行於諸侯
道が無くなれば、正朔(こよみ)は諸侯に於いて行われない。
幽之後周室微陪臣執政史不記時
周幽王姫宮涅、周王姫胡の後に、周室は微(び おとろえる)になり、陪臣(ばいしん 家臣の家臣)が政治を執(と)り、史(史官)は時を記さず、
君不告朔故疇人子弟分散或在諸夏
君は朔(月のはじめ)を告げず、故(ゆえ)に,疇人(ちゅうじん 天文、暦算にすぐれた人)の子弟(してい)は分散して、或(あ)るものは諸(もろもろ)の夏(か ちゅうごく)に在(あ)り、
或在夷狄是以其禨祥廢而不統
或(あ)るものは夷狄(いてき 異民族)に在(あ)り、ここにその禨祥(きしょう たたりとさいわい)を以って廃(はい)されて統(す)べらなかった。
周襄王二十六年閏三月而春秋非之
周襄王姫鄭二十六年閏三月にして春秋経はこれを非(ひ あやまり)とした。
先王之正時也履端於始舉正於中歸邪於終
先王の時を正すは、始めに履端(りたん 端(たん いとぐち)を履(り 踏む))し、途中で正を挙(あ)げ、終わりに邪(じゃ 不正)に帰(き)する。
履端於始序則不愆
始めに履端(りたん 端(たん いとぐち)を履(り 踏む))すれば、序(じょ 順序だてる)は愆(けん まちがう)さず、
舉正於中民則不惑
途中で正を挙(あ)げれば、民はすなわち惑(まど)わず、
歸邪於終事則不悖
終わりに邪(じゃ 不正)に帰(き)すれば、事(こと)はすなわち勃(悖(ぼつ)=勃(ぼつ)? 興(おこ)る)らない。
其後戰國并爭在於彊國禽敵
その後、戦う国が並び争い、強国に在(あ)って、敵を擒(とりこ)にし、
救急解紛而已豈遑念斯哉
急(きゅう)を救(すく)い、紛乱(ふんらん)を解(と)いてそれのみ。どうしてこれを念(ねん 考える)ずる遑(こう いとま)があろうかな。
是時獨有鄒衍明於五之傳
この時、独(ひと)り鄒衍(人名 騶衍)がおり、五徳(五行)の伝を明らかにし、
而散消息之分以顯諸侯
消息(消えることと生じること)の分(ぶん)を散(さん 分ける くばる)して、諸侯に顕(あきらか)になった。
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February 8, 2015, 8:38 pm
而亦因秦滅六國兵戎極煩
しこうして、また秦に因(よ)りて六国を滅ぼし、兵戎(戦乱)は煩(わずら)わしさを極(きわ)め、
又升至尊之日淺未暇遑也
至尊(しそん 天子の敬称)を昇(のぼ)す日は浅(あさ)く、未(ま)だ暇遑(いとま)がなかった。
而亦頗推五勝而自以為獲水之瑞
しこうして、また頗(すこぶ)る五勝を推(お)し進め、しこうして、自ら水徳の瑞(めでたい前しらせ)を獲(え)たと思い、
更名河曰水而正以十月色上
河を改名して曰く、徳水、と。しこうして正(年のはじめ)は十月を以ってして、色は黒を上(=尚(しょう) とうとぶ)した。
然歷度閏餘未能睹其真也
然(しか)るに歴(天体の運行)は閏余(うるうの余り)を度(ど はかる)するに、未(ま)だその真(まこと)を睹(と 調べる)することができなかったのである。
漢興高祖曰北畤待我而起亦自以為獲水之瑞
漢が興(おこ)り、漢高祖劉邦曰く、「北の畤(境界)は我(われ)を待って起(お)こる」と。
また自ら水徳の瑞(めでたい前しらせ)を獲(え)ると思った。
雖明習歷及張蒼等咸以為然
歴(天体の運行)に習熟して明らかであると雖(いえど)も、張蒼らに及んでは、咸(かん あまねく)然(しか)りと思った。
是時天下初定方綱紀大基
この時、天下は定まったばかりで、方(まさ)に綱紀(こうき)は大いなる基(もと)にならんとし、
高后女主皆未遑故襲秦正朔服色
漢高后呂雉は女主(おんなあるじ)で、皆(みな)未だ 遑(こう いとま)がなく、故(ゆえ)に、秦の正朔(こよみ 年のはじめと月のはじめ)、服色を踏襲(とうしゅう)した。
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February 9, 2015, 4:16 pm
至孝文時魯人公孫臣以終始五上書
漢孝文帝劉恒の時に至り、魯人の公孫臣が五徳を終始(しゅうし しまいまでやりとおす)するを以って上書し、
言漢得土宜更元改正朔易服色
言った、「漢は土徳を得ており、宜(よろ)しく元(元号)を改(あらた)め、正朔(年のはじめと月のはじめ)を改(あらた)め、服色を変えるべきです。
當有瑞瑞黃龍見事下丞相張蒼
まさに瑞(ずい めでたい前しらせ)があり、瑞(ずい めでたい前しらせ)は黄龍が現(あらわ)れるでしょう」と。事は漢丞相張蒼に下(くだ)され、
張蒼亦學律歷以為非是罷之
漢丞相張蒼もまた律(音律)、歴(年まわり)を学び、これを非(ひ 正しくない)と為すを以って、これを罷(ひ 中止する)した。
其後黃龍見成紀張蒼自黜所欲論著不成
その後、黄龍が成紀に現(あらわ)れ、漢丞相張蒼は自ら黜(ちゅつ しりぞける)し、論じ著(あらわ)すを欲したところは成(な)らなかった。
而新垣平以望氣見頗言正歷服色事
しこうして、新垣平が望気(ぼうき 雲の様子をみて吉凶を判断する)を以って見(まみ)え、頗(すこぶ)る正しい歴(年まわり)、服色の事(こと)を言い、
貴幸後作亂故孝文帝廢不復問
貴幸(きこう 貴ばれてかわいがられる)されたが、後に作乱して、故(ゆえ)に漢孝文帝劉恒は廃(はい)してふたたび問わなかった。
至今上即位招致方士唐都分其天部
今上(漢孝武帝劉徹)が即位に至り、方士(ほうし)の唐都(人名)を招致(しょうち)して、その天部を分(わ)け、
而巴落下閎運算轉歷然後日辰之度與夏正同
しこうして巴(地方名)の落下閎(人名)が転歴(年まわり)を運算(うんざん 式を計算する)し、然(しか)る後に日(太陽)辰(星座)の度(ど)は夏王朝の正(年のはじめ)と同じであった。
乃改元更官號封泰山
そこで、元号を改(あらた)め、官号(官の名前)を新たにして、泰山に封(天を祭る)をした。
因詔御史曰乃者有司言星度之未定也
詔(みことのり)の御史に因(よ)りて曰く、「乃者(ないしゃ 以前に)、有司(役人)が星の度(ど)が未(ま)だ定まっていないと言った。
廣延宣問以理星度未能也
広延(こうえん 広く延(の)びる)に宣(せん 述べる)して問うは、星の度(ど)を理(り すじみち)するを以ってしたが、未(ま)だ(せん いたる しゃべる)することができなかったのである。
蓋聞昔者黃帝合而不死名察度驗
思うに聞く、昔、黄帝が迎(むか)えられて(合(ごう)=迎(ごう)?)、不死になり、度(ど)を
明察(めいさつ 名(めい)=明(めい)?)して験(けん しらべる)し、
定清濁起五部建氣物分數然蓋尚矣
清濁(せいだく)を定め、五部を起こし、気物(きぶつ)の分数を建てた。然(しか)るに蓋(けだ)し尚(しょう 尊ぶ)である。
書缺樂弛朕甚閔焉
書は欠(か)けて、楽は弛(ゆる)み、朕は甚(はなは)だ閔(びん うれえる)である。
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February 10, 2015, 3:52 pm
朕唯未能循明也紬績日分
朕はただ未だ、順明(循(じゅん)=順(じゅん)?)するは、日の分を紬績(ちゅうせき つむぐ)することができず、
率應水之勝今日順夏至
とうとう水徳の勝(勝(しょう)=祥(しょう)?=瑞 前知らせ)に応じた。今、日は夏正(夏至=夏正? )に順(じゅん)ずる。
黃鐘為宮林鐘為徵太蔟為商
黄鐘(ドとしてハ(C))は宮(おそらくハ長調の音階に似たもの)をつくり、林鐘(ソでト(G))は徴(おそらくト長調の音階に似たもの)をつくり、太蔟(レでニ(D))は商(おそらく二長調の音階に似たもの)をつくり、
南呂為羽姑洗為角
南呂(ラでイ(A))は羽(おそらくイ長調の音階に似たもの)をつくり、姑洗(ミでホ(E))は角(おそらくホ長調の音階に似たもの)をつくるが、
自是以後氣復正羽聲復清
これより以降、気は正に復(ふく)し、羽(おそらくイ長調の音階に似たもの 物を意味する)の声(ひびき)は清らかさを復(ふく)し、
名復正變以至子日當冬至
命じて(名(めい)=命(めい)?)正変(正歴? 正しい年まわり)を復(ふく)させる。
子(ね 十一月?)の日が冬至に当たるに至るを以って、
則陰陽離合之道行焉
すなわち、陰陽が離合の道を行うのである。
十一月甲子朔旦冬至已
十一月、甲子(きのえねの日)の朔旦(一日(ついたち))の冬至がすでに(せん いたる)し、
其更以七年為太初元年
その改めて七年を以って太初元年と為して、
年名焉逢攝提格月名畢聚
年名は焉逢攝提格、月名は畢聚、
日得甲子夜半朔旦冬至
日(ひ)は甲子(きのえね)の夜半、一日(ついたち)の冬至を得る」と。
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February 11, 2015, 4:21 pm
歷術甲子篇太初元年
歴術の甲子篇(十干と十二支を組み合わせた60周期篇)の、太初元年は、
歲名焉逢攝提格月名畢聚
歳(とし)名は、焉逢(甲)攝提格(寅)、月名は、畢聚、
日得甲子夜半朔旦冬至
日は甲子(きのえね)を得て、夜半に朔旦(新月)冬至(とうじ)になった。
正北十二無大餘無小餘
正北、(一年は)十二ヶ月、大(月の日)の余(あま)りは無く、小(月の日の端数)の余りは無く、
無大餘無小餘
大(太陽の日)の余(あま)りは無く、小(太陽の日の端数)は無く、
焉逢攝提格太初元年
焉逢(甲)攝提格(寅)太初元年
十二大餘五十四小餘三百四十八
(次年は)十二ヶ月で、大(月の日)の余りは五十四(月の一ヶ月の周期は29日+499/940として計算すると、二ヶ月で一日増えるので、十二ヶ月の内一ヶ月30日が6回、一ヶ月29日が6回で、一年の日数は354日になります。これを甲子篇の60周期で割ると余りが54になります)、
小(月の日の端数)の余りは三百四十八(二ヶ月で一日増えるときの端数は、499/940×2=1+58/940、これが一年に6回あるので、58/940×6=348/940で、分子をとって348になります)
大餘五小餘八
大(太陽の日)の余りは五(太陽の一年の周期は365+1/4として計算します。
一年365日を甲子篇の60周期で割ると5余ります)、
小(太陽の日の端数)の余りは、八(端数は1/4なので、満32で一日増えるとすると一年の端数は8)、
端蒙單閼二年
端蒙(乙)単閼(卯)太初二年。
閏十三大餘四十八小餘六百九十六
(次年は)閏(うるう)年で十三ヶ月で、大(月の日)の余りは四十八(一年で54日残るので、前年の残り54+54で108。108を60周期で割ると余り48)、
小(月の日の端数)の余りは六百九十六(一年で348ずつ余るので、前年の余り348+348で696)
大餘十小餘十六
大(太陽の日)の余りは十(毎年5日ずつ増えるので前年の余り5+5で10)、
小(太陽の日の端数)の余りは十六(毎年8ずつ増えるので前年の余り8+8で16)、
游兆執徐三年
游兆(丙)執徐(辰)太初三年。
十二大餘十二小餘六百三
(次年は)十二ヶ月で、大(月の日)の余りは十二(前年の余り48+54+閏月分(29+(小余の一日増えた分)1)=132、132を60周期で割ると余りは12)、小(月の日の端数)の余りは六百三(前年の余り696+348+閏月分の端数499=1543、 1543-940=603)、
大餘十五小餘二十四
大(太陽の日)の余りは十五(前年の余り10+5=15)、小(太陽の日の端数)の余りは二十四(前年の余り16+8=24)、
彊梧大荒落四年
彊梧(丁)大荒落(巳)太初四年。
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February 11, 2015, 8:33 pm
十二大餘七小餘十一大餘二十一無小餘徒維敦牂天漢元年
(次年は)十二ヶ月で大(月の日)の余りは七(前年の余り12+54+1(小余の一日増えた分)-60=7)小(月の日の端数)の余りは十一(前年の余り603+348-940=11)、大(太陽の日)の余りは二十一(前年の余り15+5+1(小余の一日増えた分)=21)、小(太陽の日の端数)の余りは無し(前年の余り24+8=32で一日分)で、徒維(戊)敦牂(午)天漢元年。
閏十三大餘一小餘三百五十九大餘二十六小餘八祝犁協洽二年
(次年は)閏(うるう)十三ヶ月、大余1(7+54-60=1)、小余三百五十九(11+348=359)、大余二十六(21+5=26)、小余八、(0+8=8)、祝犁(己)協洽(未)天漢二年。
十二大餘二十五小餘二百六十六大餘三十一小餘十六商涒灘三年
(次年は)十二ヶ月で大余二十五(1+54+29(前年の閏月分)+1(小余の繰上げ分))-60=25)、小余二百六十六(359+348+499(前年の閏月分)-940=266)、大余三十一(26+5=31)、小餘十六(8+8=16)、商(庚)涒灘(申)天漢三年。
十二大餘十九小餘六百一十四大餘三十六小餘二十四昭陽作鄂四年
(次年は)十二ヶ月で大余十九(25+54-60=19)、小余六百一十四(266+348=614)、大余三十六(31+5=36)、小余二十四(16+8=24)、昭陽(辛)作鄂(酉)天漢四年。
閏十三大餘十四小餘二十二大餘四十二無小餘艾淹茂太始元年
(次年は)閏(うるう)十三ヶ月で、大余十四(19+54+1(小余の繰上げ分)-60=14)、
小余二十二(614+348-940=22)、大余四十二(36+5+1(小余の繰上げ分)=42)、小余は無し(24+8=32で一日分)、艾(壬)淹茂(戌)太始元年。
十二大餘三十七小餘八百六十九大餘四十七小餘八尚章大淵獻二年
十二大余三十七(14+54+29(閏月分)+小余の繰上げは無し-60=37)、小余八百六十九、大余四十七、小余八、尚章(癸)大淵獻(亥)太始二年。
閏十三大餘三十二小餘二百七十七大餘五十二小餘一十六焉逢困敦三年
(次年は)閏(うるう)十三ヶ月で大余三十二、小余二百七十七、大余五十二、小余一十六、焉逢(甲)困敦(子)太始三年。
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February 12, 2015, 3:28 pm
以下訳は省略します。
十二大餘五十六小餘一百八十四大餘五十七小餘二十四端蒙(乙)赤奮若(丑)四年
十二大餘五十小餘五百三十二大餘三無小餘游兆攝提格征和元年
閏十三大餘四十四小餘八百八十大餘八小餘八彊梧單閼二年
十二大餘八小餘七百八十七大餘十三小餘十六徒維執徐三年
十二大餘三小餘一百九十五大餘十八小餘二十四祝犁大芒落四年
閏十三大餘五十七小餘五百四十三大餘二十四無小餘商敦牂後元元年
十二大餘二十一小餘四百五十大餘二十九小餘八昭陽汁洽二年
閏十三大餘十五小餘七百九十八大餘三十四小餘十六艾涒灘始元元年
正西十二大餘三十九小餘七百五大餘三十九小餘二十四尚章作噩二年
十二大餘三十四小餘一百一十三大餘四十五無小餘焉逢淹茂三年
閏十三大餘二十八小餘四百六十一大餘五十小餘八端蒙大淵獻四年
十二大餘五十二小餘三百六十八大餘五十五小餘十六游兆困敦五年
十二大餘四十六小餘七百一十六無大餘小餘二十四彊梧赤奮若六年
閏十三大餘四十一小餘一百二十四大餘六無小餘徒維攝提格元鳳元年
十二大餘五小餘三十一大餘十一小餘八祝犁單閼二年
十二大餘五十九小餘三百七十九大餘十六小餘十六商執徐三年
閏十三大餘五十三小餘七百二十七大餘二十一小餘二十四昭陽大荒落四年
十二大餘十七小餘六百三十四大餘二十七無小餘艾敦牂五年
閏十三大餘十二小餘四十二大餘三十二小餘八尚章汁洽六年
十二大餘三十五小餘八百八十九大餘三十七小餘十六焉逢涒灘元平元年
十二大餘三十小餘二百九十七大餘四十二小餘二十四端蒙作噩本始元年
閏十三大餘二十四小餘六百四十五大餘四十八無小餘游兆閹茂二年
十二大餘四十八小餘五百五十二大餘五十三小餘八彊梧大淵獻三年
十二大餘四十二小餘九百大餘五十八小餘十六徒維困敦四年
閏十三大餘三十七小餘三百八大餘三小餘二十四祝犁赤奮若地節元年
十二大餘一小餘二百一十五大餘九無小餘商攝提格二年
閏十三大餘五十五小餘五百六十三大餘十四小餘八昭陽單閼三年
正南十二大餘十九小餘四百七十大餘十九小餘十六艾執徐四年
十二大餘十三小餘八百一十八大餘二十四小餘二十四尚章大荒落元康元年
閏十三大餘八小餘二百二十六大餘三十無小餘焉逢敦牂二年
十二大餘三十二小餘一百三十三大餘三十五小餘八端蒙協洽三年
十二大餘二十六小餘四百八十一大餘四十小餘十六游兆涒灘四年
閏十三大餘二十小餘八百二十九大餘四十五小餘二十四彊梧作噩神雀元年
十二大餘四十四小餘七百三十六大餘五十一無小餘徒維淹茂二年
十二大餘三十九小餘一百四十四大餘五十六小餘八祝犁大淵獻三年
閏十三大餘三十三小餘四百九十二大餘一小餘十六商困敦四年
十二大餘五十七小餘三百九十九大餘六小餘二十四昭陽赤奮若五鳳元年
閏十三大餘五十一小餘七百四十七大餘十二無小餘艾攝提格二年
十二大餘十五小餘六百五十四大餘十七小餘八尚章單閼三年
十二大餘十小餘六十二大餘二十二小餘十六焉逢執徐四年
閏十三大餘四小餘四百一十大餘二十七小餘二十四端蒙大荒落甘露元年
十二大餘二十八小餘三百一十七大餘三十三無小餘游兆敦執二年
十二大餘二十二小餘六百六十五大餘三十八小餘八彊梧協洽三年
閏十三大餘十七小餘七十三大餘四十三小餘十六徒維涒灘四年
十二大餘四十小餘九百二十大餘四十八小餘二十四祝犁作噩黃龍元年
閏十三大餘三十五小餘三百二十八大餘五十四無小餘商淹茂初元元年
正東十二大餘五十九小餘二百三十五大餘五十九小餘八昭陽大淵獻二年
十二大餘五十三小餘五百八十三大餘四小餘十六艾困敦三年
閏十三大餘四十七小餘九百三十一大餘九小餘二十四尚章赤奮若四年
十二大餘十一小餘八百三十八大餘十五無小餘焉逢攝提格五年
十二大餘六小餘二百四十六大餘二十小餘八端蒙單閼永光元年
閏十三無大餘小餘五百九十四大餘二十五小餘十六游兆執徐二年
十二大餘二十四小餘五百一大餘三十小餘二十四彊梧大荒落三年
十二大餘十八小餘八百四十九大餘三十六無小餘徒維敦牂四年
閏十三大餘十三小餘二百五十七大餘四十一小餘八祝犁協洽五年
十二大餘三十七小餘一百六十四大餘四十六小餘十六商涒灘建昭元年
閏十三大餘三十一小餘五百一十二大餘五十一小餘二十四昭陽作噩二年
十二大餘五十五小餘四百一十九大餘五十七無小餘艾閹茂三年
十二大餘四十九小餘七百六十七大餘二小餘八尚章大淵獻四年
閏十三大餘四十四小餘一百七十五大餘七小餘十六焉逢困敦五年
十二大餘八小餘八十二大餘十二小餘二十四端蒙赤奮若竟寧元年
十二大餘二小餘四百三十大餘十八無小餘游兆攝提格建始元年
閏十三大餘五十六小餘七百七十八大餘二十三小餘八彊梧單閼二年
十二大餘二十小餘六百八十五大餘二十八小餘十六徒維執徐三年
閏十三大餘十五小餘九十三大餘三十三小餘二十四祝犁大荒落四年
右歷書大餘者日也小餘者月也
右(上)の歴(年回り)書の、大余とは、日(正数)であり、小余とは、月(端数)である。
端(旃)蒙者年名也支丑名赤奮若寅名攝提格
端(旃)蒙とは、年名であり、支(えと)は丑(うし)は赤奮若と名づけ、寅(とら)は摂提格と名づけ、
干丙名游兆正北冬至加子時
干(十干)は、丙(へい)は游兆と名づけた。正北は、冬至が子(ね)の時に重ねあわせ、
正西加酉時正南加午時正東加卯時
正西は酉(とり)の時に重ねあわせ(子(ね)の三つ前)、正南は午(うま)の時に重ねあわせ(酉の三つ前)、正東は卯(う)の時に重ねあわせる(午の三つ前)。
史記 歴書は今日で終わりです。明日からは史記 天官書に入ります。
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February 13, 2015, 4:50 pm
中宮天極星其一明者太一常居也
中宮(ちゅうぐう)の天の極(最上)の星で、その一(はじめ)に明るいものは、太一(おそらくシリウス)が常(つね)に居(い)るのである。
旁三星三公或曰子屬
傍(かたわ)らの三つの星(おそらくオリオン座の三星)は三人の公で、或(あ)るものは曰く、子供たち、と。
後句四星末大星正妃
後ろの句(く 区切ること)している四つの星は、末(すえ)の大きな星(おそらくオリオン座のリゲル)が正妃で、
餘三星後宮之屬也
残りの三つの星が後宮(こうきゅう 妃たちのすむ宮殿)の属である。
環之匡衛十二星藩臣皆曰紫宮
これを環(かこむ)にして匡衛(きょうえい 助け守る)するのは十二の星(おそらくプロキオン、ポルックス、カストル、カペラ、プレアデス、アルデバラン等)で、藩臣(はんしん)で、皆(みな)曰く、紫宮、と。
前列直斗口三星隨北端兌
前列直(まっすぐ)の斗(北斗七星)の口の部分の三つの星が、北(きた)に端兌(たんえい まっすぐ)と隨(ずい ついていく)すると、
若見若不曰陰或曰天一
見えるか見えないかの、曰く、陰徳(かげの徳)と、或(あ)るものは曰く、天一と(おそらく北極星)。
紫宮左三星曰天槍右五星曰天棓
紫宮(藩臣)の左の三つの星は曰く、天槍(天の槍(やり) おそらくレグルス等)と。右の五つの星は
曰く、天棓(天の棓(ぼう 農具の名 脱穀に用いる)おそらくカシオペア座)と。
後六星絕漢抵營室曰閣道
後ろの六つの星(おそらくミルファク、アルマク、アルフェラッソ、マルカブ等)は 漢(天の川)を絶(た)って営室に抵(てい 達する)する、曰く閣道(かくどう 桟道(さんどう)と。
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February 14, 2015, 3:48 pm
北斗七星所謂旋璣玉衡以齊七政
北斗七星は所謂(いわゆる)、「璿璣(せんき 天文を測る機械)玉衡(璣衡きこう 球体の表面に天文をえがきこれを回転させて天文を観測する機械 )は七政(七正)を整えるを以ってする」である。
杓攜龍角衡殷南斗魁枕參首
杓(ひしゃくの柄の持つところの二星を直線で結んだ線)は龍角(おそらくアークツルス)に携(けい つれていく)し、衡(ひしゃくの柄の持つところの端から二、三、四番目の星を直線で結んだ線)は南斗(さそり座のあたり)にみちびき(殷(いん)=引(いん)?)、
魁(ひしゃくの口の部分)は、参(二十八宿の一つ おさらく既出の天の槍の部分の三つの星 レグルス等(しし座のあたり)を指す。 律書によれば参は六月(旧暦六月)あたりにあって、十一月の須女の真向かいにあるので律書の位置説明に対しても一致しますが、通説の二十八宿図とは異なります)の首(あたま)に枕(まくら)をしている。
用昏建者杓杓自華以西南
昏(たそがれどき)を用いて(観察して)建(た)つ(地平に対して垂直に立つ)のは杓(柄の持つところの二星を直線で結んだ線)で、杓は、華(中国)より西南を以ってしめす。
夜半建者衡衡殷中州河濟之
夜半に建(た)つ(地平にたいして垂直に立つ)のは衡(柄の持つところの端から二、三、四番目の星を直線で結んだ線)で、衡は中州の河、済の間にみちびく(殷(いん)=引(いん)?)。
平旦建者魁魁海岱以東北也
平旦(へいたん 夜明け)に建(た)つ(地平にたいして垂直に立つ)のは魁(ひしゃくの口の一、二番目の星を直線で結んだ線)で、魁は海岱の東北を以ってしめすのである。
斗為帝車運于中央臨制四鄉
斗(北斗七星)は帝車と為って、中央に運び、四つの郷(さと)を臨(のぞ)み制(せい)する。
分陰陽建四時均五行移節度定諸紀皆系於斗
陰陽を分け、四時(四季)を建(た)て、五行(ごぎょう)を均(ひと)しくし、節度を移し、諸紀を定めるは、皆(みな)斗(北斗七星)につながる。
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February 15, 2015, 3:46 pm
斗魁戴匡六星曰文昌宮
斗(北斗七星)の魁(口の部分の第一星)は、六つの星に匡(きょう 助ける)し戴(いただ)かれて、
曰く、文昌宮、と。
一曰上將二曰次將三曰貴相四曰司命五曰司中六曰司祿
最初の星曰く、上将、二番目の星曰く、次将、三番目の星曰く、貴相、四番目の星曰く、司命、五番目の星曰く、司中、六番目の星曰く、司禄、と。
在斗魁中貴人之牢
斗(北斗七星)の魁(口の部分)の中には、貴人の牢(ろう)が在(あ)る。
魁下六星兩兩相比者名曰三能
魁(口の部分の第一星)の下の六つの星が、二つづつ相(あい)並ぶのは、名づけて曰く、三能、と。
三能色齊君臣和不齊為乖戾
三能の色が斉(さい ととのう)していれば、君臣は和(わ)する。斉(さい ととのう)していなければ、(君臣は)乖戾(かいれい もとりそむく)を為す。
輔星明近輔臣親彊斥小疏弱
輔佐(ほさ)する(六つの星)が、明るく近ければ、輔臣は親(した)しまれて強く、(六つの星が)斥(せき しりぞける)して小さければ、(輔臣は)疎(うと)んぜられて弱い。
杓端有兩星一內為矛招搖
杓(ひしゃくの柄の持ち手の部分)の端(たん さき)には二つの星(うしかい座のアークツルスとイザール?)が有り、一つは内(うち)に矛(ほこ)と為り、招搖
一外為盾天鋒
一つは外に盾(たて)と為り、天鋒。
有句圜十五星屬杓曰賤人之牢
円(えん)に区切る十五の星(かんむり座?)が有り、杓(ひしゃくの柄の持ち手の部分)に属(ぞく)し、曰く、賤人(せんじん)の牢(ろう)、と。
其牢中星實則囚多虛則開出
その牢(ろう)の中の星が実(みちる)れば、囚人は多く、虚(から)になれば開いて出る。
天一槍棓矛盾動搖角大兵起
天一(北極星?)、槍(二十八宿の参?しし座のレグルス等)、 棓(カシオペア座?)、矛(イザール?)、盾(アークツルス?)、が動揺(どうよう)して、角(龍角?杓の線を真っ直ぐ黄道に当てたところ? 南斗(さそり座のあたり)の隣りの、おおかみ座の最も明るい星とケンタウルス座の中心の星を結んだ線?)が大きくなれば、兵(戦い)が起(お)こる。
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February 16, 2015, 5:26 pm
東宮蒼龍房心
東宮は蒼龍で、房、心。
心為明堂大星天王前後星子屬
心(さそり座のあたり?)で明堂と為し、大きい星は天王(アンタレス?)で、前後の星は子供の属(ぞく)。
不欲直直則天王失計
真っ直ぐを欲さず、真っ直ぐになれば、天王(アンタレス?)は計(はか)りごとを失う。
房為府曰天駟其陰右驂
房は府(ふ)と為し、曰く、天の駟(四頭立て馬車)、と。その陰(いん 暗い)のは、右驂(御者の右に乗る護衛)。
旁有兩星曰衿北一星曰舝
傍(かたわ)には二つの星が有り、曰く、衿(えり)、と。北の一つの星は舝(楔くさび)と。
東北曲十二星曰旗
東北に曲(ま)がる十二の星は曰く、旗(はた)、と。
旗中四星天市中六星曰市樓
旗の中の四つの星は、天の市(いち)で、中の六つの星は曰く、市(いち)の楼(ろう やぐら)と。
市中星眾者實其虛則秏
市の中の星が衆(しゅう 多い)のは、実(じつ みちる)で、その虚(きょ から)になれば、秏(もう へる 少なくなる)になる。
房南眾星曰騎官
房の南の衆(多くの)星は曰く、騎官、と。
左角李右角將
左角(左側の三角?)は李(り 裁判官)、右角(右側の三角?)は将(しょう 将軍)で、
大角者天王帝廷
大角(大きい三角? 三角形の空間(庭)を指す?)とは、天王(アンタレス?)の帝廷(ていてい 王の庭)。
其兩旁各有三星鼎足句之曰攝提
その両方の傍(かたわ)らには、各(おのおの)三つの星が有り(デネブ、ベガ、アルタイルとアークルツス、デネボラ、スピカ?)、鼎(かなえ 三脚で耳の二つある釜)の足にこれを区切り、曰く
摂提(せってい 手に持ってさげる)、と。
攝提者直斗杓所指以建時節故曰攝提格
摂提(せってい)とは、斗(北斗七星)の杓(柄の部分)を真っ直ぐに指したところで、時節(じせつ)を建てるを以ってして、故(ゆえ)に曰く、摂提格(格(かく)=角(かく)? 干支は寅、律書では辰)、と。
亢為疏廟主疾其南北兩大星曰南門
亢は疏廟(遠い廟)と為し、疾(しつ 病気)をつかさどる。その南北の二つの大きい星(アークツルスとスピカ?)は曰く、南門(南宮に入る門)、と。
氐為天根主疫
氐は天の根(ね)と為し、疫( えき 伝染病)をつかさどる。
尾為九子曰君臣斥絕不和箕為敖客曰口舌
尾は九人の子供と為し、曰く、君臣、と。斥絕(せきぜつ しりぞけて絶つ)すれば、不和になる。
箕は、敖客(ごうきゃく やかましい客)と為し、曰く、口舌(こうぜつ)、と。
火犯守角則有戰房心王者惡之也
火(火星)が角(大角 王の庭?)を犯(おか)し守(とどまる)すれば、戦いを有(ゆう)する。房、心、王者はこれを悪(にくむ)するのである。
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February 17, 2015, 5:52 pm
南宮朱鳥權衡
南宮は朱鳥で、権(おもり)、衡(さお)。
衡太微三光之廷
(南宮の)衡は、太微(非常に星が少ない? デネボラ、レグルスの下あたり)で、三光(太陽、月、五星)の廷(庭 軌道)。
匡衛十二星藩臣
(中宮の)匡衛(助けまもる)十二の星は,藩臣(はんしん)で、
西將東相
西側は将軍、東側は相(大臣)、
南四星執法
南側の四つの星は法を執(と)る。
中端門
中間は、端門(中宮の宮殿の正門 ボルックスとおおいぬ座のウェズンの間? 赤道、黄道の軌道上)で、
門左右掖門
門の左右は、掖門(えきもん 宮殿の正門の両側にある小門 ボルックスとカストルの間、おおいぬ座のウェズンとアダーラの間?)。
門內六星諸侯
門の内(うち)には六つの星(おそらくペテルギウス、ベラトリックス、サイフ、メンカリナン、アルヘナ、おおいぬ座のムルジム?)があって、諸侯。
其內五星五帝坐
その内の五星は、五帝の坐(座席)。
後聚一十五星蔚然曰郎位
後ろにあつまる十五の星は、蔚然(うつぜん こんもりと茂っているさま)と
しており、曰く、郎(官名)の地位。
傍一大星將位也
傍(かたわ)らの一大星(おそらくアルデバラン)は将軍の地位であり、
月五星順入軌道司其出
月、五星(火星、水星、木星、金星、土星)が順に入り、軌道(きどう)で、その出(い)でるを司(つかさ)どり、
所守天子所誅也
守るところは、天子が誅するところである。
其逆入若不軌道以所犯命之
その逆行して入って、もし軌道でなければ、犯(おか)すところを以ってこれに命(めい)じる。
中坐成形皆群下從謀也
中心に坐(ざ)じて形を成(な)し、皆(みな)群下は謀(はかりごと)に従う。
金火尤甚
金星、火星が尤(もっと)も甚(はなは)だしい。
廷藩西有隋星五曰少微士大夫
廷藩の西には隋星が五つ有り、曰く、少微(少し星数が少ない?)で、士大夫。
權軒轅
(南宮の)権は軒轅(黄帝の名)。
軒轅黃龍體
軒轅は黄色の龍(りゅう)の体(からだ)(うみへび座?)。
前大星女主象
前の大きい星(レグルス?)は女主の象(ぞう かたどる)で、
旁小星御者後宮屬
傍(かたわ)らの小さい星は、御者(ぎょしゃ)や、後宮の属(ぞく)。
月五星守犯者如衡占
月、五星が守(とどまる)って犯(おか)すものは、衡の占(うらな)いの如(ごと)くする。
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February 18, 2015, 4:55 pm
東井為水事
東の井(井戸)は水事を為す。
其西曲星曰鉞
その西の曲(=極(きょく)?)星(プロキオン?)は曰く、鉞(まさかり)と、と。
鉞北北河南南河兩河天闕為關梁
鉞(プロキオン?)は、北は北河(端門の北門のところ?)で、南は南河(端門の南門のところ?)で、二つの河、天闕(天の門、端門)の間(あいだ)の関梁(橋げた?)と為す。
輿鬼鬼祠事中白者為質
鬼を輿(こし)に乗せて、鬼は事を祀(まつ)る。中位に白(明るい?星)とは、質(しち)と為す。
火守南北河兵起穀不登
火星が南北の河に守(とどまる)れば、兵(戦い)が起こり、穀物は登(とう みのる)さない。
故成衡觀成潢傷成鉞
故(ゆえ)に徳(とく)は衡(三光の廷)を成(な)し、観(み)るは潢(こう 黄龍?)を成(な)し、傷(きず)は鉞(まさかり)を成(な)し、
禍成井誅成質
禍(わざわい)は井(井戸)を成(な)し、誅(ちゅう)は質(しち)を成(な)す。
柳為鳥注主木草
柳は鳥注(注は二十八宿の一つ 律書より)と為して、草木を主(つかざどる)する。
七星頸為員官主急事
七星(二十八宿の一つ 律書より)、頸は、官員(かんいん)と為し、急事を主(つかさどる)する。
張素為廚主觴客
張(二十八宿の一つ 律書より)、素は厨(炊事場)と為し、觴客(しょうかく 客をもてなす)を主(つかさどる)する。
翼為羽翮主遠客
翼(二十八宿の一つ 律書より)は羽翮(うかく つばさ)と為し、遠客を主(つかさどる)する。
軫為車主風
軫(二十八宿の一つ 律書より)は車と為し、風(かぜ)を主(つかさどる)する。
其旁有一小星曰長沙星星不欲明
その傍(かたわ)らには一つの小さい星(デネボラ?)が有り、曰く、長沙、と。星星(ほしぼし)は明るいを欲さず、
明與四星等若五星入軫中兵大起
明るさは四等星に与(あずか)り、もし五星(火星、水星、木星、金星、土星)が軫の中に入れば、兵(戦い)が大いに起こる。
軫南眾星曰天庫樓庫有五車
軫の南の衆(多い)星は曰く、天の庫楼(ころう 車庫の建物)、と。庫(車庫)には五つの車が有る。
車星角若益眾及不具無處車馬
車(庫楼?)の星が角(=較(かく)? 明らかなさま)して益々(ますます)衆(多い)のごとくであり、具(ぐ そなわる)さずに及べば、車馬を処(しょ 置くところ)するところが無くなる。
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February 19, 2015, 5:40 pm
西宮咸池曰天五潢
西宮は咸池(天の川の池?咸(かん)=漢(かん)?)で、曰く、天の五潢(潢=いけ)、と。
五潢五帝車舍
五潢は五帝の車が泊まる。
火入旱金兵水水
火星が入ると、旱(旱魃(かんばつ))、金星は兵(戦い)、水星は水(洪水)。
中有三柱;柱不具兵起
中には三つの柱(はしら)が有り、柱が具(そろう)さないと、兵(戦い)が起こる。
奎曰封豕為溝瀆婁為聚眾
奎(二十八宿の一つ)は曰く、封豕(おおきないのしし)、と。溝瀆(こうとく みぞ)と為す。
婁(二十八宿の一つ)は聚眾(しゅうしゅう 衆が集まる)と為す。
胃為天倉其南眾星曰廥積
胃(二十八宿の一つ)は天の倉(くら)と為す。その南の多い星は曰く、廥積(かいせき まぐさをたくわえる倉)、と。
昴曰髦頭胡星也為白衣會
昴(すばる)は曰く、髦頭(ぼうとう たてがみの頭)、胡(匈奴)の星であり、白衣会と為す。
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February 20, 2015, 4:29 pm
畢曰罕車為邊兵主弋獵
畢(おそらく二十八宿の一つ濁にあたる 律書より)は、曰く、罕車(旗車)、と。辺境の戦いと為し、
弋(ほこ)猟(ゆみ)を主(しゅ つかさどる)する。
其大星旁小星為附耳
その大きな星(おそらくアルデバラン)の傍(かたわ)らの小さな星は附耳(耳を附(つ)ける)と為す。
附耳搖動有讒亂臣在側
附耳が揺動(ようどう)すれば、讒乱(ざんらん そしってみだらな)臣下が側に在(あ)るを有(ゆう)する。
昴畢為天街
昴(すばる おそらく二十八宿の留にあたる 律書より)、畢(おそらくアルデバラン)の間は天の街(まち)と為す。
其陰陰國陽陽國
その陰(くらい?)のは陰(いん)の国、陽(あかるい?)のは、陽(よう)の国。
參為白虎三星直者是為衡石
参(二十八宿の一つ おそらくぎょしゃ座のあたり)は白虎と為す。三つの星の真っ直ぐなのは、これが衡(はかりのさお)の石と為す。
下有三星兌曰罰為斬艾事
下には三つの星が有り(ぎょしゃ座の左下あたり)、兌(まっすぐ)で、曰く罰(二十八宿の一つ 律書より 別説では觜とされる)と。斬艾(ざんがい 斬り刈り取る 伐採の伐(ばつ))事を為す。
其外四星左右肩股也
その外の四つの星が(白虎の)左右の肩(かた)股(こ また)であり、である。
小三星隅置曰觜觿為虎首主葆旅事
小さい三つの星が隅(すみ)に置かれ(ぎょしゃ座のカペラの近く?)、曰く、觜(けづの)觿(つのぎり)と、虎の首(既出の「参の首は北斗の魁の部分を枕にしている」)と為す。旅事を葆(ほ まもる)するを主(しゅ つかさどる)する。
其南有四星曰天廁
その南に四つの星が有り、曰く、天の厠(かわや)、と。
廁下一星曰天矢
厠の下の一つの星は、曰く、天の矢(や)、と。
矢黃則吉青白凶
矢(や)が黄色ければ吉(きち)、青、白、黒であれば凶(きょう)。
其西有句曲九星三處羅
その西に曲がって区切る九つの星が有り、三つの処(ところ)の羅(あみ)で、
一曰天旗,二曰天苑,三曰九游。
一つを曰く、天の旗、二つ目を曰く、天の苑(その)、三つ目を曰く、九遊、と。
其東有大星曰狼
その東に大きい星(ふたご座のアルヘナ?)が有り、曰く狼(二十八宿の一つ 律書より おそらく別説の井(二十八宿の一つ)にあたるところ)と。
狼角變色多盜賊
狼が色を変えて較(かく 明らかなさま 角(かく)=較(かく)?)するときは、盗賊が多い。
下有四星曰弧直狼
下に四つの星が有り曰く、弧(こ ゆみ 二十八宿の一つ 律書より おそらく別説の鬼(二十八宿の一つ)にあたるところ 律書では南方は弧におわるので南宮と西宮の境界になります。南宮の境界は注からはじまります。別説では井、鬼が南宮に含まれる)と。狼に直(ちょく あたる)する。
狼比地有大星曰南極老人
狼が地面に比(ひ ならぶ)ところに大星が有り、曰く、南極老人(カノーブス)と。
老人見治安不見兵起
老人が見えると、治が安んじ、見えないと兵(戦い)が起こる。
常以秋分時候之于南郊
常(つね)に秋分の時に南効でこれを候(こう うかがう)する。
附耳入畢中兵起
附耳が畢(おそらくおうし座のアルデバラン)の中に入れば、兵(戦い)が起こる。
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February 21, 2015, 4:53 pm
北宮玄武虛危
北宮は玄武で、虚(二十八宿の一つ)、危(二十八宿の一つ)。
危為蓋屋虛為哭泣之事
危は蓋屋(屋根を蓋(おお)う)と為す。虚は哭泣の事と為す。
其南有眾星曰羽林天軍
その南には衆(多くの)星が有り(みざがめ座のあたり?)、曰く、羽林天軍、と。
軍西為壘或曰鉞
軍の西は壘(るい とりで)と為す。或(あ)るものは曰く、鉞(まさかり)と、
旁有一大星為北落
傍(かたわ)らの一大星は北落(ホーマルハウト)と為す。
北落若微亡軍星動角益希
北落がもし微亡すれば、羽林天軍の星は動いてますます希(き 薄い)して較(かく 明るいさま 角(かく)=較(かく)?)する。
及五星犯北落入軍軍起
五星(火星、水星、木星、金星、土星)が北落を犯(おか)に及べば、軍に入って軍が起こる。
火金水尤甚火軍憂
火星、金星、水星が尤(もっと)も甚(はなは)だしく、火星は軍が憂(うれ)え、
水[水]患木土軍吉
水星は、水害に患(うれ)え、木星、土星は軍が吉(きち)になる。
危東六星兩兩相比曰司空
危の東の六つの星(みずがめ座のあたり)は、二つずつ相(あい)ならび、曰く、司空、と。
營室為清廟曰離宮閣道
営室(二十八宿の一つ ベガスス座のマルカブ?)は清廟と為し、曰く閣道の離宮と。
漢中四星曰天駟
漢(天の川)の中の四つの星(おそらく白鳥座)は、曰く、天の駟(四頭立て馬車)と。
旁一星曰王良
傍(かたら)らの一星は曰く、王良(おそらくベガ 通説と異なります)。
王良策馬車騎滿野
王良は馬を策(さく むちうつ)して、車騎は野に満ちる。
旁有八星絕漢曰天潢
傍(かたわ)らに八つの星が有り、漢(天の川)を絶(た)って、曰く、天の潢(こう いけ)と。
天潢旁江星江星動人涉水
天の潢の傍(かたわ)らには江星(りゅう座のエルタニン?)。江星が動くと、人は水(川)を渉(わた)る。
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February 22, 2015, 2:57 pm
杵臼四星在危南
杵(きね)、臼(うす)四つの星は危の南に在(あ)る。
匏瓜有青星守之魚鹽貴
匏瓜(ほうか ひょうたん)は青黒星が有ってこれを守り、魚塩が貴ばれる。
南斗為廟其北建星
南斗(いて座)は廟(びょう)と為し、その北は建星(二十八宿の一つ 律書より)
建星者旗也
建星とは、旗である。
牽牛為犧牲其北河鼓
牽牛(牛をひく 二十八宿の一つ 律書より やぎ座のあたり?)は犧牲(いけにえ)と為す。その北は河(川)の鼓(=坑(こう)?くぼんだ所)。
河鼓大星上將左右左右將
河鼓の大きな星(ワシ座のアルタイル)で上将(通説と異なります)で、左右が左右将。
婺女其北織女織女天女孫也
婺女(須女?二十八宿の一つ 律書より)は、その北は織女(ベガスス座のエニフ? 通説とは異なります)で、天女の孫である。
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February 23, 2015, 3:13 pm
察日月之行以揆歲星順逆
太陽、月の行(みちすじ)を察(さつ つまびらかにする)して、歳星(木星)の順行と逆行を揆(き みつもる)するを以ってした。
曰東方木主春日甲乙
曰く、東方木(東方の木星)、春を主(しゅ つかさどる)して、日(太陽)は甲乙、と。
義失者罰出歲星
義が失われた者は罰(ばつ)が歳星(木星)から出る。
歲星贏縮以其捨命國
歳星(木星)は贏縮(えいしゅく 進退)して、その、国を命(=明? 照らす)することを捨(す)てるを以ってする。
所在國不可伐可以罰人
国に在(あ)るところは討(う)つべきではなく、人を罰するを以ってすることができる。
其趨舍而前曰贏退舍曰縮
その舎(星宿)を趨(すう 急ぎ足で歩く)して、前に進むは曰く、贏(えい)、舎(星宿)を退くは曰く、縮(しゅく)と。
贏其國有兵不復縮其國有憂將亡國傾敗
贏(えい)すれば、その国は兵(たたかい)が復(ふく もう一度)さないことを有(ゆう)し、
縮(しゅく)すれば、その国は憂(うれ)いを有(ゆう)し将(まさ)に亡(ほろ)ばんとして国が傾敗(けいはい かたむきやぶれる)する。
其所在五星皆從而聚於一舍其下之國可以義致天下
その在(あ)るところ、五星(火星、水星、木星、金星、土星)が皆(みな)従いて一つの舎(星宿)に聚(しゅう あつまる)した時、その下(した)の国は義を以って天下に致(いた)すことができる。
以攝提格歲歲陰左行在寅歲星右轉居丑
攝提格の歳(年)を以ってするに、歳(木星)の陰(いん ものかげ)の星は左に行って寅に在(あ)り、歳星(木星)は右に転じて丑に居(い)る。
正月與斗牽牛晨出東方名曰監
正月、斗(南斗)、牽牛(二十八宿の一つ)とともに東方から出て、名は曰く、監徳、と。
色蒼蒼有光其失次有應見柳
色は蒼蒼(そうそう 青々)として光を有(ゆう)する。その次(じ 順次)を失ったときは、(西方の)柳(鳥注 注は二十八宿の一つ 律書より)を見て応ずるを有(ゆう)する。
歲早水晚旱
歳(木星)が(動きが)早ければ、水害、晩(おそ)ければ、旱魃(かんばつ)。
歲星出東行十二度
歳星(木星)が出て東に十二度行くのは、
百日而止反逆行
百日にして止まり、反(かえ)して逆行し、
逆行八度百日復東行
逆行は八度で、百日。ふたたび東に行く。
歲行三十度十六分度之七
歳(一年)に行くは三十度と十六分度の七。
率日行十二分度之一十二歲而周天
率(りつ おおむね)、一日に行くは十二分度の一、十二年にして天を一周する。
出常東方以晨入於西方用昏
出るは常に東方で、晨(しん よあけ)を以ってし、西方に入るは昏(こん 日暮れ)を用いる。
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