當是時諸公皆多季布能摧剛為柔
当時、諸公は皆(みな)季布が剛をおさえて柔に為ったことを多(た)とした。
朱家亦以此名聞當世季布召見謝上拜為郎中
朱家もまたこれを以って当世に名が聞(き)こえた。季布が召(め)されて見(まみ)え、謝(しゃ)し、上(漢高帝劉邦)は官をさずけて郎中と為した。
孝惠時為中郎將單于嘗為書嫚呂后
漢孝恵帝劉盈の時、中郎将に為った。単于(匈奴王冒頓)は嘗(かつ)て書状をつくって漢呂后(呂雉)をあなどり、
不遜呂后大怒召諸將議之
不遜(ふそん)で、漢呂后(呂雉)は大いに怒り、諸(もろもろ)の将軍を召(め)しよせてこれを議(ぎ)させた。
上將軍樊噲曰臣願得十萬眾行匈奴中
上将軍樊噲(漢相国舞陽侯樊噲)曰く、「わたしは願わくは、十万の衆を得(え)て、匈奴の中を横行(おうこう)したいと思います」と。
諸將皆阿呂后意曰然
諸(もろもろ)の将軍は皆(みな)漢呂后の意(い)に阿(おもね)って、曰く、「然(しか)り)と。
季布曰樊噲可斬也夫高帝將兵四十餘萬眾
漢中郎将季布曰く、「樊噲は斬るべきであります。それ、高帝(劉邦)が兵四十余万の衆を率(ひき)いて、
困於平城今噲柰何以十萬眾行匈奴中面欺
平城に於いて困窮したのに、今、樊噲がどうして十万の衆を以って匈奴の中を横行(おうこう)できるでしょうか、うわべの欺(あざむ)きであります。
且秦以事於胡陳勝等起
まさに秦は胡(匈奴)に於いて事(こと)とするを以ってしたので、陳勝らが立ち上がったのです。
于今創痍未瘳噲又面諛欲搖動天下
今に於いて切り傷が未(ま)だ治らないうちに、樊噲がまたおべっかをつかって(匈奴に於いて事とするは)、天下を揺(ゆ)り動かそうと欲しているのです」と。
是時殿上皆恐太后罷朝遂不復議擊匈奴事
この時、殿上(でんじょう)の皆(みな)は恐れ、漢太后呂雉は朝廷を退出して、遂(つい)にふたたび匈奴を撃つことを議(ぎ)さなかった。
当時、諸公は皆(みな)季布が剛をおさえて柔に為ったことを多(た)とした。
朱家亦以此名聞當世季布召見謝上拜為郎中
朱家もまたこれを以って当世に名が聞(き)こえた。季布が召(め)されて見(まみ)え、謝(しゃ)し、上(漢高帝劉邦)は官をさずけて郎中と為した。
孝惠時為中郎將單于嘗為書嫚呂后
漢孝恵帝劉盈の時、中郎将に為った。単于(匈奴王冒頓)は嘗(かつ)て書状をつくって漢呂后(呂雉)をあなどり、
不遜呂后大怒召諸將議之
不遜(ふそん)で、漢呂后(呂雉)は大いに怒り、諸(もろもろ)の将軍を召(め)しよせてこれを議(ぎ)させた。
上將軍樊噲曰臣願得十萬眾行匈奴中
上将軍樊噲(漢相国舞陽侯樊噲)曰く、「わたしは願わくは、十万の衆を得(え)て、匈奴の中を横行(おうこう)したいと思います」と。
諸將皆阿呂后意曰然
諸(もろもろ)の将軍は皆(みな)漢呂后の意(い)に阿(おもね)って、曰く、「然(しか)り)と。
季布曰樊噲可斬也夫高帝將兵四十餘萬眾
漢中郎将季布曰く、「樊噲は斬るべきであります。それ、高帝(劉邦)が兵四十余万の衆を率(ひき)いて、
困於平城今噲柰何以十萬眾行匈奴中面欺
平城に於いて困窮したのに、今、樊噲がどうして十万の衆を以って匈奴の中を横行(おうこう)できるでしょうか、うわべの欺(あざむ)きであります。
且秦以事於胡陳勝等起
まさに秦は胡(匈奴)に於いて事(こと)とするを以ってしたので、陳勝らが立ち上がったのです。
于今創痍未瘳噲又面諛欲搖動天下
今に於いて切り傷が未(ま)だ治らないうちに、樊噲がまたおべっかをつかって(匈奴に於いて事とするは)、天下を揺(ゆ)り動かそうと欲しているのです」と。
是時殿上皆恐太后罷朝遂不復議擊匈奴事
この時、殿上(でんじょう)の皆(みな)は恐れ、漢太后呂雉は朝廷を退出して、遂(つい)にふたたび匈奴を撃つことを議(ぎ)さなかった。