季布弟季心氣蓋關中遇人恭謹
季布の弟の季心は、人気は関中を蓋(おお)い、人にもてなすは恭(うやうや)しく謹(つつし)み、
為任俠方數千里士皆爭為之死
男気を為し、四方数千里、士は皆(みな)争って命がけでこの為(ため)にした。
嘗殺人亡之吳從袁絲匿
嘗(かつ)て人を殺し、逃げて呉に行き、袁絲に従(したが)って匿(かくま)われた。
長事袁絲弟畜灌夫籍福之屬
長く袁絲に仕(つか)え、灌夫、籍福の仲間を弟子にして養(やしな)った。
嘗為中司馬中尉郅都不敢不加禮
嘗(かつ)て中司馬に為ったとき、中尉郅都は敢(あ)えて礼を加えないことはなかった。
少年多時時竊籍其名以行當是時
少年たちの多くが時々、ひそかにその名をかりて行うを以ってした。まさにこの時、
季心以勇布以諾著聞關中
李心は勇(いさ)ましさを以って、季布は承諾(しょうだく)を以って、関中に著(いちじる)しく聞こえた。
季布母弟丁公為楚將
季布の母の弟の丁公は楚将と為った。
丁公為項羽逐窘高祖彭城西
楚将丁公は項羽の為(ため)に彭城の西で漢高祖劉邦を追いかけてゆきづまらせ、
短兵接高祖急顧丁公曰
刀剣兵が近づき、漢高祖劉邦はさしせまって、楚将丁公を顧(かえり)みて曰く、
兩賢豈相戹哉
「二人の賢者がどうして相(あい)苦しむのかな」と。
於是丁公引兵而還漢王遂解去
ここに於いて楚将丁公は兵を引いて、還(かえ)った。漢王劉邦は遂(つい)に解(と)かれて去(さ)った。
及項王滅丁公謁見高祖
項王(項羽)が滅ぶに及(およ)んで、楚将丁公は漢高祖劉邦に謁見(えっけん)した。
高祖以丁公徇軍中曰丁公為項王臣不忠
漢高祖劉邦は楚将丁公を以って軍じゅうに広く知らせた、曰く、「丁公は項王(項羽)の臣下として不忠(ふちゅう)で、
使項王失天下者乃丁公也
項王(項羽)をして天下を失(うしな)わせたのは、すなわち丁公である」と。
遂斬丁公曰使後世為人臣者無效丁公
遂(つい)に楚将丁公を斬り、曰く、「後世の人の臣下と為る者をして、丁公をまねること無かれ」と。
季布の弟の季心は、人気は関中を蓋(おお)い、人にもてなすは恭(うやうや)しく謹(つつし)み、
為任俠方數千里士皆爭為之死
男気を為し、四方数千里、士は皆(みな)争って命がけでこの為(ため)にした。
嘗殺人亡之吳從袁絲匿
嘗(かつ)て人を殺し、逃げて呉に行き、袁絲に従(したが)って匿(かくま)われた。
長事袁絲弟畜灌夫籍福之屬
長く袁絲に仕(つか)え、灌夫、籍福の仲間を弟子にして養(やしな)った。
嘗為中司馬中尉郅都不敢不加禮
嘗(かつ)て中司馬に為ったとき、中尉郅都は敢(あ)えて礼を加えないことはなかった。
少年多時時竊籍其名以行當是時
少年たちの多くが時々、ひそかにその名をかりて行うを以ってした。まさにこの時、
季心以勇布以諾著聞關中
李心は勇(いさ)ましさを以って、季布は承諾(しょうだく)を以って、関中に著(いちじる)しく聞こえた。
季布母弟丁公為楚將
季布の母の弟の丁公は楚将と為った。
丁公為項羽逐窘高祖彭城西
楚将丁公は項羽の為(ため)に彭城の西で漢高祖劉邦を追いかけてゆきづまらせ、
短兵接高祖急顧丁公曰
刀剣兵が近づき、漢高祖劉邦はさしせまって、楚将丁公を顧(かえり)みて曰く、
兩賢豈相戹哉
「二人の賢者がどうして相(あい)苦しむのかな」と。
於是丁公引兵而還漢王遂解去
ここに於いて楚将丁公は兵を引いて、還(かえ)った。漢王劉邦は遂(つい)に解(と)かれて去(さ)った。
及項王滅丁公謁見高祖
項王(項羽)が滅ぶに及(およ)んで、楚将丁公は漢高祖劉邦に謁見(えっけん)した。
高祖以丁公徇軍中曰丁公為項王臣不忠
漢高祖劉邦は楚将丁公を以って軍じゅうに広く知らせた、曰く、「丁公は項王(項羽)の臣下として不忠(ふちゅう)で、
使項王失天下者乃丁公也
項王(項羽)をして天下を失(うしな)わせたのは、すなわち丁公である」と。
遂斬丁公曰使後世為人臣者無效丁公
遂(つい)に楚将丁公を斬り、曰く、「後世の人の臣下と為る者をして、丁公をまねること無かれ」と。