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使於齊未還漢召彭越責以謀反夷三族

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使於齊未還漢召彭越責以謀反夷三族

(梁大夫欒布が)斉に於いて使(つか)いし、未(ま)だ還(かえ)らないうちに、漢が梁王彭越を召(め)しよせ、責(せ)めとがめるに謀反(むほん)を以ってし、三族を滅(ほろ)ぼした。

已而梟彭越頭於雒陽下詔曰

しばらくして、梁王彭越の頭を雒陽の下(もと)に於いてさらし首にし、詔(みことのり)して曰く、

有敢收視者輒捕之

敢(あ)えてまみえるを収(おさ)める者は、そのたびごとにこれを捕(と)らえよ」と。

布從齊還奏事彭越頭下祠而哭之

梁大夫欒布が斉から還(かえ)り、梁王彭越の頭の下(もと)で事(こと)を奏上し、祀(まつ)って、これに哭礼(こくれい)をした。

吏捕布以聞上召布罵曰

役人は梁大夫欒布を捕(と)らえ、申し上げるを以ってした。上(漢高帝劉邦)は梁大夫欒布を召(め)しよせ、罵(ののし)って曰く、

若與彭越反邪吾禁人勿收

「なんじは彭越とともに叛(そむ)いたのだな。吾(われ)は人に収(おさ)めることないように禁じたのに、

若獨祠而哭之與越反明矣趣亨之

なんじは一人祀(まつ)ってこれに哭礼をした。彭越とともに謀反(むほん)したことは明らかである。烹刑におもむけよ」と。

方提趣湯布顧曰願一言而死

まさにひっさげられて湯(ゆ)におもむくとき、梁大夫欒布は顧(かえり)みて曰く、「願わくは一言(ひとこと)言って死なせてください」と。

上曰何言布曰方上之困於彭城

上(漢高帝劉邦)曰く、「何を言うのか」と。梁大夫欒布曰く、「まさに上(漢高帝劉邦)は彭城に於いて困窮し、

敗滎陽成皋項王所以(遂)不能[遂]西

栄陽、成皋の間に敗(やぶ)れましたが、項王(項羽)が西に遂(と)げることができなかったわけは、

徒以彭王居梁地與漢合從苦楚也

ただ彭王(彭越)が梁の地に居住しているのを以って漢と合従して楚を苦しめたからであります。

當是之時彭王一顧與楚則漢破與漢而楚破

まさにこの時、彭王(彭越)が一(いつ)に顧(かえり)みて、楚とともにすれば漢が破(やぶ)れ、漢とともにすれば楚が破(やぶ)れたのです。

且垓下之會微彭王項氏不亡

且(か)つ、垓下の会に彭王(彭越)がいなかったら、項氏は亡(ほろ)ばなかったでしょう。

天下已定彭王剖符受封亦欲傳之萬世

天下がすでに平定され、彭王(彭越)は剖符をさずかり封を受けて、おおいに万世に伝えることを欲しました。

今陛下一徵兵於梁彭王病不行而陛下疑以為反

今回、陛下が一(いつ)に梁に於いて兵を徴集(ちょうしゅう)し、彭王(彭越)は病(やまい)にかかり行きませんでした。しかし、陛下は疑って謀反(むほん)だと思いました。

反形未見以苛小案誅滅之臣恐功臣人人自危也

謀反の形(かたち)が未(ま)だ現(あら)われていないうちに、小さな案件をとがめるを以ってこれを誅(ちゅう)し滅ぼしました。わたしは功臣の人々が自(みずか)らを危(あや)ぶむことを恐れるのであります。

今彭王已死臣生不如死請就亨

今、彭王(彭越)がすでに死に、わたしは生きるより死んだほうがましです。烹刑に就(つ)くことを請(こ)う」と。

於是上乃釋布罪拜為都尉

ここに於いて、上(漢高帝劉邦)はすなわち梁大夫欒布の罪をゆるして、官をさずけて漢都尉と為した。

孝文時為燕相至將軍

漢孝文帝劉恒の時、燕相と為って、燕将軍に至った。

布乃稱曰窮困不能辱身下志非人也

燕将欒布はそこで称(とな)えて曰く、「困窮(こんきゅう)して身(み)を辱(はずかし)めることができずに、志(こころざし)をいやしめるは、人では非(あら)ざるなり。

富貴不能快意非賢也

富貴になって思いを快(こころよ)くできないのは、賢者では非(あら)ざるなり」と。

於是嘗有者厚報之有怨者必以法滅之

ここに於いて嘗(かつ)て恩の有った者には厚(あつ)くこれに報(むく)い、怨(うら)みの有った者には必ず法を以ってこれを滅ぼした。

吳(軍)[楚]反時以軍功封俞侯復為燕相

呉、楚が反乱した時、軍功を以って俞侯に封ぜられ、ふたたび燕相と為った。

燕齊之皆為欒布立社號曰欒公社

燕、斉の間は皆(みな)欒布の為(ため)に社(やしろ)を立てて、号(ごう)して、欒公社といった。

景帝中五年薨子賁嗣為太常

漢孝景帝(劉啓)中五年に死んだ。子の欒賁が継(つ)いで、漢太常と為った。

犧牲不如令國除

祭祀の犠牲(いけにえ)が令(れい きまり)に及(およ)ばず、国が除(のぞ)かれた。

太史公曰以項羽之氣而季布以勇顯於楚

太史公曰く、「項羽の気概(きがい)を以ってして、季布は勇(ゆう)を以って楚に於いて顕(あきら)かになり、

身屨(典)軍搴旗者數矣可謂壯士

身(み)みずから、くつをはいて戦い、旗(はた)を抜き取るのは、たびたびで、壮士と謂(い)うべきである。

然至被刑戮為人奴而不死何其下也

然(しか)るに刑戮を被(こうむ)るに至って、人の奴隷と為っても、死ななかったのは、どうしてその見下(みくだ)せようか。

彼必自負其材故受辱而不羞

彼は必ずその才能を自負(じふ)し、故(ゆえ)に辱(はずかし)めを受けても羞(は)じず、

欲有所用其未足也故終為漢名將

用いられる所を有(ゆう)することを欲して、その未(ま)だ満足していなかったのである。故(ゆえ)に終(しま)いには漢の名将と為ったのである。

賢者誠重其死夫婢妾賤人感慨而自殺者

賢者は誠(まこと)にその死を重(おも)んずる。それ、婢妾(ひしょう)賤人(せんじん)が感慨(かんがい)して自殺するのは、

非能勇也其計畫無復之耳

勇(いさ)みたつことができたのでは非(あら)ざるなり、そのこれ(感慨)をふたたびすることが無きよう計画しただけである。

欒布哭彭越趣湯如歸者彼誠知所處

欒布は彭越に哭礼し、帰結(きけつ)するが如(ごと)く湯(ゆ)におもむいたのは、彼は誠(まこと)に処(しょ)するところを知っていたのであり、

不自重其死雖往古烈士何以加哉

自(おのず)からその死を重(おも)んずることはなかったのである。むかしの烈士と雖(いえど)も、何ものを以って(彼を)しのぐだろうかな」と。

今日で史記 季布欒布列伝は終わりです。明日からは史記 袁盎鼂錯列伝に入ります。

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