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淮南王至雍病死聞上輟食哭甚哀

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淮南王至雍病死聞上輟食哭甚哀

淮南王劉長が雍に至り、病死したのが耳に入ると、上(漢孝文帝劉恒)は食事を軽(かろ)んじ、慟哭(どうこく)して甚(はなは)だ哀(かな)しんだ。

盎入頓首請罪上曰以不用公言至此

漢中郎将袁盎が入り、頓首(とんしゅ)して罪(つみ)を請(こ)うた。上(漢孝文帝劉恒)曰く、「公の言(げん)を用いなかったのを以ってここに至ったのだ」と。

盎曰上自此往事豈可悔哉

漢中郎将袁盎曰く、「上は自ら寛大(かんだい)で、これは過去の事、  どうして悔(く)やむべきかな。

且陛下有高世之行者三此不足以毀名

且(か)つ、陛下は世間に評判の高い行(おこな)いが有るは三つで、これは、名をそしるを以ってするには足(た)りません。

上曰吾高世行三者何事

上(漢孝文帝劉恒)曰く、「吾(われ)の世間に評判の高い行いの三つとは、どんな事か?」と。

盎曰陛下居代時太后嘗病三年

漢中郎将袁盎曰く、「陛下が代に居(い)る時、太后(薄氏)が病を経験すること三年、

陛下不交睫不解衣湯藥非陛下口所嘗弗進

陛下はまばたきもせず、衣(ころも)も脱(ぬ)がず、湯薬は陛下の口で試(ため)したところでなければ、進めませんでした。

夫曾參以布衣猶難之今陛下親以王者修之過曾參孝遠矣

それ、曾参が無位無冠(むいむかん)を以ってしても猶(なお)を難(むずか)しいのに、今、陛下はみずから王者を以ってこれを修(おさ)め、曾参の孝行(こうこう)をはるかに越えています。

夫諸呂用事大臣專制

それ、諸(もろもろ)の呂氏が政治を思うままににし、大臣が専制(せんせい)し、

然陛下從代乘六傳馳不測之淵雖賁育之勇不及陛下

然(しか)るに陛下が代より六回宿次(しゅくつぎ)の馬車に乗りかえて、不測(ふそく)の淵(ふち)に馳(は)せるは、賁育の勇敢さと雖(いえど)も、陛下には及(およ)びません。

陛下至代邸西向讓天子位者再南面讓天子位者三

陛下が代邸に至り、西に向(むか)って天子の地位を譲(ゆず)ること二度、南に面(めん)して天子の地位を譲(ゆず)ること三度、

夫許由一讓而陛下五以天下讓過許由四矣

それ、許由は一度の謙譲(けんじょう)にして、陛下は五度、天下を以って謙譲(けんじょう)し、許由を四度も上まわっています。

且陛下遷淮南王欲以苦其志使改過有司衛不謹故病死

まさに陛下が淮南王を遷(うつ)すは、その志(こころざし)を苦々(にがにが)しく思うを以って過(あやま)ちを改(あらた)めさしめようと欲したのであって、役人が護衛(ごえい)するに謹(つつし)まなかったので、故(ゆえ)に病死したのです」と。

於是上乃解曰將柰何盎曰

ここに於いて上(漢孝文帝劉恒)はすなわち解(かい)し、曰く、「まさにどうしたらよいだろうか?」と。漢中郎将袁盎曰く、

淮南王有三子唯在陛下耳

「淮南王(劉長)には三人の子が有り、ただ陛下に在(あ)るのみ」と。

於是文帝立其三子皆為王盎由此名重朝廷

ここに於いて漢孝文帝劉恒はその三人の子を立てて、皆(みな)王(おう)にした。漢中郎将袁盎はこれに由(よ)り、名は朝廷に重(おも)んぜられた。

袁盎常引大體慨

漢中郎将袁盎は常(つね)に大体(完備した徳)を引(ひ)いてなげきうれえていた。

宦者趙同以數幸常害袁盎袁盎患之

宦官(かんがん)の趙同は占(うらな)いを以って寵愛され、常(つね)に漢中郎将袁盎をじゃまに思い、漢中郎将袁盎はこれを患(うれ)えた。

盎兄子種為常侍騎持節夾乘說盎曰

漢中郎将袁盎の兄の子の袁種が漢常侍騎と為り、符節を持って馬車の左右に侍(はべ)っていた。漢中郎将袁盎に説(と)いて曰く、

君與鬬廷辱之使其毀不用

「君はともに闘(たたか)って、朝廷でこれを辱(はずかし)め、その謗(そし)りをして不用(ふよう)にさしめるのです」と。

孝文帝出趙同參乘袁盎伏車前曰

漢孝文帝劉恒が出かけるとき、宦者趙同が参乗(さんじょう)した。漢中郎将袁盎は車の前に伏(ふ)して曰く、

臣聞天子所與共六尺輿者皆天下豪英

「わたしは聞きます、天子が六尺の輿(こし)と共にするところの者は、皆(みな)天下の豪英であると。

今漢雖乏人陛下獨奈何與刀鋸餘人載

今、漢は人材が乏(とぼ)しいと雖(いえど)も、陛下はよりによってどうして刀鋸余人(宦官のこと)とともに載(の)るのですか?」と。

於是上笑下趙同趙同泣下車

ここに於いて上(漢孝文帝劉恒)は笑い、趙同を下(お)ろした。趙同は泣いて下車した。

文帝從霸陵上欲西馳下峻阪

漢孝文帝劉恒は霸陵の上から、西に峻阪を馳(は)せ下(くだ)ろうと欲した。

袁盎騎并車擥轡上曰將軍怯邪

漢中郎将袁盎は馬に乗ったまま、馬車に並(なら)んで轡(くつわ)をつまみとった。
上(漢孝文帝劉恒)曰く、「将軍はおびえているのか?」と。

盎曰臣聞千金之子坐不垂堂

漢中郎将袁盎曰く、「わたしは聞きます、千金の子は坐(ざ)して(なんとはなしに)堂(壁のない平土間で、庭から上がったところ)にぶらさがったりしない(危険をおかさないという意)、

百金之子不騎衡聖主不乘危而徼幸

百金の子は手摺(てすり 或いは横木)に乗らない、聖主は危険を掛(か)けて、分不相応の幸福をもとめたりしない、と。

今陛下騁六騑馳下峻山如有馬驚車敗

今、陛下は六騑(左右に添え馬のついた四頭+二頭立て馬車?)を走らせて、峻山を馳(は)せ下(くだ)ろうとし、万が一、馬が驚(おどろ)いて車が敗(やぶ)れることが有(あ)れば、

陛下縱自輕柰高廟太后何上乃止

陛下は勝手きままに自らを軽(かろ)んじて、高廟(漢高祖劉邦の廟)、太后(薄氏)にどうしたらよいでしょうか」と。上(漢孝文帝劉恒)はすなわち止(や)めた。

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