上幸上林皇后慎夫人從
上(漢孝文帝劉恒)が、上林に行き、皇后、慎夫人が従(したが)った。
其在禁中常同席坐
その禁中に在(あ)るは、常(つね)に席を同じくして坐(すわ)った。
及坐郎署長布席袁盎引卻慎夫人坐
坐(すわ)るに及(およ)んで、郎署長が席を布(し)き、漢中郎将袁盎が慎夫人の座席を後(うし)ろに引いた。
慎夫人怒不肯坐上亦怒起入禁中
慎夫人は怒り、坐(すわ)ることをよしとしなかった。上(漢孝文帝劉恒)もまた怒り、立ち上がって、禁中に入った。
盎因前說曰臣聞尊卑有序則上下和
漢中郎将袁盎は因(よ)りて前に進み出て説(と)いた、曰く、「わたしは聞きます、尊卑(そんぴ)には序列(じょれつ)が有って、上下(じょうげ)が和(わ)する、と。
今陛下既已立后慎夫人乃妾
今、陛下はすでに后(きさき)を立て、慎夫人はすなわち妾(めかけ)です。
妾主豈可與同坐哉適所以失尊卑矣
妾主がどうしてともに坐(ざ)を同じくすることができましょうかな。正妻が尊卑(そんぴ)を失(うしな)うを以ってするところであります。
且陛下幸之即厚賜之
且(か)つ、陛下はこれを寵愛し、すなわち、これに厚(あつ)く賜(たま)わり、
陛下所以為慎夫人適所以禍之
陛下の慎夫人に為すを以ってするところは、正妻がこれに禍(わざわい)を以ってするところです。
陛下獨不見人彘乎
陛下はただ”人彘”を考えないのですか」と。
於是上乃說召語慎夫人慎夫人賜盎金五十斤
ここに於いて上(漢孝文帝劉恒)はすなわち慎夫人を召(め)しよせて語った。慎夫人は漢中郎将袁盎に金五十斤を賜(たま)わった。
然袁盎亦以數直諫不得久居中調為隴西都尉
然(しか)るに漢中郎将袁盎もまた、たびたび直々(じきじき)に諌(いさ)めるを以ってしたので、久(ひさ)しく中(なか)に居(お)ることを得(え)ず、移(うつ)って隴西都尉と為った。
仁愛士卒士卒皆爭為死遷為齊相
士卒を仁愛(じんあい)し、士卒は皆(みな)争って命がけに為した。遷(うつ)って斉相に為った。
徙為吳相辭行種謂盎曰
移(うつ)って呉相と為った。辞(じ)して行くとき、袁種が呉相袁盎に謂(い)った、曰く、
吳王驕日久國多姦今茍欲劾治
「呉王(劉 濞)は驕(おご)り高ぶる日々が久(ひさ)しく、国には不正が多いです。今、いやしくも治(ち)をきわめようと欲しても、
彼不上書告君即利劍刺君矣
彼は上書せずに君に告(つ)げ、すなわち鋭利(えいり)な剣で君を刺(さ)すことでしょう。
南方卑溼君能日飲毋何時說王曰毋反而已
南方は低く湿気があり、君は毎日酒を飲んで何もせず、時々王に叛(そむ)くことなかれとと説(と)くだけをよくして、
如此幸得脫盎用種之計吳王厚遇盎
この如(ごと)くすれば、幸いにもまぬかれることができるでしょう」と。呉相袁盎は袁種の計(はか)りごとを用(もち)い、呉王劉 濞は呉相袁盎を厚遇(こうぐう)した。
盎告歸道逢丞相申屠嘉
呉相袁盎が帰るを告(つ)げ、漢丞相申屠嘉に道で出逢い、
下車拜謁丞相從車上謝袁盎
下車して拝謁(はいえつ)した。漢丞相申屠嘉は車の上から呉相袁盎に謝した。
袁盎還愧其吏乃之丞相舍上謁求見丞相
呉相袁盎は還(かえ)り、その役人に羞(は)じて、そこで、漢丞相申屠嘉の邸舎に行って謁見を申し上げ、漢丞相申屠嘉に見(まみ)えることを求めた。
丞相良久而見之盎因跪曰
漢丞相申屠嘉はしばらくしてこれに見(まみ)えた。呉相袁盎は因(よ)りて跪(ひざまず)いて曰く、
願請丞相曰使君所言公事
「願わくは時間を請(こ)う」と。漢丞相申屠嘉曰く、「君が言うところをして、公(おおやけ)の事ならば、
之曹與長史掾議吾且奏之即私邪吾不受私語
役所に行き、長史、掾史とともに議(ぎ)したら、吾(われ)はまさにこれを奏上しよう。すなわち、私(わたくし)ごとならば、吾(われ)は私事の話しは受(う)けない」と。
袁盎即跪說曰君為丞相自度孰與陳平絳侯
呉相袁盎はすなわち、跪(ひざまず)いて説(と)いて曰く、「君は丞相と為って、自らをはかるに陳平、絳侯(周勃)とどちらがよいですか?」と。
丞相曰吾不如袁盎曰
漢丞相申屠嘉曰く、「吾(われ)は及(およ)ばない」と。呉相袁盎曰く、
善君即自謂不如
「善いことです、君がすなわち自らを及ばないと謂(い)うは。
夫陳平絳侯輔翼高帝定天下為將相而誅諸呂存劉氏
それ、陳平、絳侯(周勃)は漢高帝劉邦を守り助け、天下を平定し、将相に為り、しこうして、諸(もろもろ)の呂氏を誅(ちゅう)し、劉氏を存(ながら)えさせました。
君乃為材官蹶張遷為隊率
君はすなわち材官蹶張と為って、遷(うつ)って隊率と為り、
積功至淮陽守非有奇計攻城野戰之功
手柄(てがら)を積(つ)んで、淮陽守に至りましたが、奇計、攻城、野戦の功が有るのでは非(あら)ず。
上(漢孝文帝劉恒)が、上林に行き、皇后、慎夫人が従(したが)った。
其在禁中常同席坐
その禁中に在(あ)るは、常(つね)に席を同じくして坐(すわ)った。
及坐郎署長布席袁盎引卻慎夫人坐
坐(すわ)るに及(およ)んで、郎署長が席を布(し)き、漢中郎将袁盎が慎夫人の座席を後(うし)ろに引いた。
慎夫人怒不肯坐上亦怒起入禁中
慎夫人は怒り、坐(すわ)ることをよしとしなかった。上(漢孝文帝劉恒)もまた怒り、立ち上がって、禁中に入った。
盎因前說曰臣聞尊卑有序則上下和
漢中郎将袁盎は因(よ)りて前に進み出て説(と)いた、曰く、「わたしは聞きます、尊卑(そんぴ)には序列(じょれつ)が有って、上下(じょうげ)が和(わ)する、と。
今陛下既已立后慎夫人乃妾
今、陛下はすでに后(きさき)を立て、慎夫人はすなわち妾(めかけ)です。
妾主豈可與同坐哉適所以失尊卑矣
妾主がどうしてともに坐(ざ)を同じくすることができましょうかな。正妻が尊卑(そんぴ)を失(うしな)うを以ってするところであります。
且陛下幸之即厚賜之
且(か)つ、陛下はこれを寵愛し、すなわち、これに厚(あつ)く賜(たま)わり、
陛下所以為慎夫人適所以禍之
陛下の慎夫人に為すを以ってするところは、正妻がこれに禍(わざわい)を以ってするところです。
陛下獨不見人彘乎
陛下はただ”人彘”を考えないのですか」と。
於是上乃說召語慎夫人慎夫人賜盎金五十斤
ここに於いて上(漢孝文帝劉恒)はすなわち慎夫人を召(め)しよせて語った。慎夫人は漢中郎将袁盎に金五十斤を賜(たま)わった。
然袁盎亦以數直諫不得久居中調為隴西都尉
然(しか)るに漢中郎将袁盎もまた、たびたび直々(じきじき)に諌(いさ)めるを以ってしたので、久(ひさ)しく中(なか)に居(お)ることを得(え)ず、移(うつ)って隴西都尉と為った。
仁愛士卒士卒皆爭為死遷為齊相
士卒を仁愛(じんあい)し、士卒は皆(みな)争って命がけに為した。遷(うつ)って斉相に為った。
徙為吳相辭行種謂盎曰
移(うつ)って呉相と為った。辞(じ)して行くとき、袁種が呉相袁盎に謂(い)った、曰く、
吳王驕日久國多姦今茍欲劾治
「呉王(劉 濞)は驕(おご)り高ぶる日々が久(ひさ)しく、国には不正が多いです。今、いやしくも治(ち)をきわめようと欲しても、
彼不上書告君即利劍刺君矣
彼は上書せずに君に告(つ)げ、すなわち鋭利(えいり)な剣で君を刺(さ)すことでしょう。
南方卑溼君能日飲毋何時說王曰毋反而已
南方は低く湿気があり、君は毎日酒を飲んで何もせず、時々王に叛(そむ)くことなかれとと説(と)くだけをよくして、
如此幸得脫盎用種之計吳王厚遇盎
この如(ごと)くすれば、幸いにもまぬかれることができるでしょう」と。呉相袁盎は袁種の計(はか)りごとを用(もち)い、呉王劉 濞は呉相袁盎を厚遇(こうぐう)した。
盎告歸道逢丞相申屠嘉
呉相袁盎が帰るを告(つ)げ、漢丞相申屠嘉に道で出逢い、
下車拜謁丞相從車上謝袁盎
下車して拝謁(はいえつ)した。漢丞相申屠嘉は車の上から呉相袁盎に謝した。
袁盎還愧其吏乃之丞相舍上謁求見丞相
呉相袁盎は還(かえ)り、その役人に羞(は)じて、そこで、漢丞相申屠嘉の邸舎に行って謁見を申し上げ、漢丞相申屠嘉に見(まみ)えることを求めた。
丞相良久而見之盎因跪曰
漢丞相申屠嘉はしばらくしてこれに見(まみ)えた。呉相袁盎は因(よ)りて跪(ひざまず)いて曰く、
願請丞相曰使君所言公事
「願わくは時間を請(こ)う」と。漢丞相申屠嘉曰く、「君が言うところをして、公(おおやけ)の事ならば、
之曹與長史掾議吾且奏之即私邪吾不受私語
役所に行き、長史、掾史とともに議(ぎ)したら、吾(われ)はまさにこれを奏上しよう。すなわち、私(わたくし)ごとならば、吾(われ)は私事の話しは受(う)けない」と。
袁盎即跪說曰君為丞相自度孰與陳平絳侯
呉相袁盎はすなわち、跪(ひざまず)いて説(と)いて曰く、「君は丞相と為って、自らをはかるに陳平、絳侯(周勃)とどちらがよいですか?」と。
丞相曰吾不如袁盎曰
漢丞相申屠嘉曰く、「吾(われ)は及(およ)ばない」と。呉相袁盎曰く、
善君即自謂不如
「善いことです、君がすなわち自らを及ばないと謂(い)うは。
夫陳平絳侯輔翼高帝定天下為將相而誅諸呂存劉氏
それ、陳平、絳侯(周勃)は漢高帝劉邦を守り助け、天下を平定し、将相に為り、しこうして、諸(もろもろ)の呂氏を誅(ちゅう)し、劉氏を存(ながら)えさせました。
君乃為材官蹶張遷為隊率
君はすなわち材官蹶張と為って、遷(うつ)って隊率と為り、
積功至淮陽守非有奇計攻城野戰之功
手柄(てがら)を積(つ)んで、淮陽守に至りましたが、奇計、攻城、野戦の功が有るのでは非(あら)ず。