吳楚已破上更以元王子平陸侯禮為楚王袁盎為楚相
呉、楚がすでに破れ、上(漢孝景帝劉啓)は(楚の)元王子の平陸侯劉礼を以って楚王と為し、漢太常袁盎を以って楚相と為した。
嘗上書有所言不用
嘗(かつ)て言う所有って上書し、用(もち)いられなかった。
袁盎病免居家與閭里浮沈相隨行鬬雞走狗
楚相袁盎は病(やまい)になり免ぜられて家に居(い)た。村民とともに浮(う)き沈(しず)みして相(あい)随行(ずいこう)しあい、闘鶏(とうけい)、走狗(犬の競走)をした。
雒陽劇孟嘗過袁盎盎善待之
雒陽の劇孟が嘗(かつ)て袁盎に立ち寄り、袁盎は善(よ)くこれをもてなした。
安陵富人有謂盎曰吾聞劇孟博徒
安陵の金持ちの袁盎に謂(い)う者が有り、曰く、「吾(われ)は劇孟は博徒(ばくと)だと聞きます。
將軍何自通之盎曰
将軍はどうして自らこれと往き来するのですか?」と。袁盎曰く、
劇孟雖博徒然母死客送葬車千餘乘
「劇孟は博徒と雖(いえど)も、然(しか)るに母が死んだとき、客の葬儀を見送るは車千余台で、
此亦有過人者且緩急人所有
これもまた人を越(こ)えるものがある。まさに緩急(かんきゅう)は人の有(ゆう)するところ。
夫一旦有急叩門不以親為解
それ、一旦(いったん)急(きゅう)が有って門(もん)を叩(たた)けば、親(おや)を以っていいわけを為さず、
不以存亡為辭天下所望者獨季心劇孟耳
存亡(そんぼう)を以ってことわりを為さず、天下が望むところの者はただ李心、劇孟のみ。
今公常從數騎一旦有緩急寧足恃乎
今、公は常(つね)に数騎を従(したが)えているが、一旦(いったん)、緩急(かんきゅう この場合危急)が有れば、寧(むし)ろたよるに足(た)るだろうか」と。
罵富人弗與通諸公聞之皆多袁盎
富人を罵(ののし)り、ともに往き来することはなかった。諸公はこれを聞いて、皆(みな)袁盎をほめた。
呉、楚がすでに破れ、上(漢孝景帝劉啓)は(楚の)元王子の平陸侯劉礼を以って楚王と為し、漢太常袁盎を以って楚相と為した。
嘗上書有所言不用
嘗(かつ)て言う所有って上書し、用(もち)いられなかった。
袁盎病免居家與閭里浮沈相隨行鬬雞走狗
楚相袁盎は病(やまい)になり免ぜられて家に居(い)た。村民とともに浮(う)き沈(しず)みして相(あい)随行(ずいこう)しあい、闘鶏(とうけい)、走狗(犬の競走)をした。
雒陽劇孟嘗過袁盎盎善待之
雒陽の劇孟が嘗(かつ)て袁盎に立ち寄り、袁盎は善(よ)くこれをもてなした。
安陵富人有謂盎曰吾聞劇孟博徒
安陵の金持ちの袁盎に謂(い)う者が有り、曰く、「吾(われ)は劇孟は博徒(ばくと)だと聞きます。
將軍何自通之盎曰
将軍はどうして自らこれと往き来するのですか?」と。袁盎曰く、
劇孟雖博徒然母死客送葬車千餘乘
「劇孟は博徒と雖(いえど)も、然(しか)るに母が死んだとき、客の葬儀を見送るは車千余台で、
此亦有過人者且緩急人所有
これもまた人を越(こ)えるものがある。まさに緩急(かんきゅう)は人の有(ゆう)するところ。
夫一旦有急叩門不以親為解
それ、一旦(いったん)急(きゅう)が有って門(もん)を叩(たた)けば、親(おや)を以っていいわけを為さず、
不以存亡為辭天下所望者獨季心劇孟耳
存亡(そんぼう)を以ってことわりを為さず、天下が望むところの者はただ李心、劇孟のみ。
今公常從數騎一旦有緩急寧足恃乎
今、公は常(つね)に数騎を従(したが)えているが、一旦(いったん)、緩急(かんきゅう この場合危急)が有れば、寧(むし)ろたよるに足(た)るだろうか」と。
罵富人弗與通諸公聞之皆多袁盎
富人を罵(ののし)り、ともに往き来することはなかった。諸公はこれを聞いて、皆(みな)袁盎をほめた。