太史公曰袁盎雖不好學亦善傅會
太史公曰く、「袁盎は学問を好まなかったと雖(いえど)も、傅会(こじつけ)が上手く、
仁心為質引義慨
情け深い心を性格とし、義(ぎ)を引いてはなげきうれえていた。
遭孝文初立資適逢世
漢孝文帝劉恒が立ったばかりの時に遭(あ)って、資質が世(よ)に適合(てきごう)した。
時以變易及吳楚一說說雖行哉
時は変易(へんえき)するを以ってし、呉楚七国の乱に及んで、ひとたび説(と)き、説(せつ)は行われたと雖(いえど)も、
然復不遂好聲矜賢竟以名敗
然(しか)るに復(ふく)することは遂(と)げられなかった。名誉を好み、賢(かしこ)さを誇(ほこ)ったが、とうとう聞こえを以って敗(やぶ)れた。
鼂錯為家令時數言事不用
鼂錯が(漢太子劉啓の)家令にに為っていた時、たびたび事(こと)を言ったが用いられず、
後擅權多所變更諸侯發難
後(のち)に権力を思うままにして、変更(へんこう)した所は多かった。諸侯は難(なん)を発したが、
不急匡救欲報私讎反以亡軀
急いで正(ただ)し救(すく)わず、個人的な仇(あだ)に報(むく)いることを欲し、反(かえ)って身を亡(ほろ)ぼした。
語曰變古亂常不死則亡豈錯等謂邪
ことわざに曰く、古(いにしえ)を変えて平常(へいじょう)を乱(みだ)せば、死ぬか、逃げるかである、と。いったい鼂錯らのことを謂(い)うのであろうか」と。
今日で史記 袁盎鼂錯列伝は終わりです。明日からは史記 張釋之馮唐列伝に入ります。
太史公曰く、「袁盎は学問を好まなかったと雖(いえど)も、傅会(こじつけ)が上手く、
仁心為質引義慨
情け深い心を性格とし、義(ぎ)を引いてはなげきうれえていた。
遭孝文初立資適逢世
漢孝文帝劉恒が立ったばかりの時に遭(あ)って、資質が世(よ)に適合(てきごう)した。
時以變易及吳楚一說說雖行哉
時は変易(へんえき)するを以ってし、呉楚七国の乱に及んで、ひとたび説(と)き、説(せつ)は行われたと雖(いえど)も、
然復不遂好聲矜賢竟以名敗
然(しか)るに復(ふく)することは遂(と)げられなかった。名誉を好み、賢(かしこ)さを誇(ほこ)ったが、とうとう聞こえを以って敗(やぶ)れた。
鼂錯為家令時數言事不用
鼂錯が(漢太子劉啓の)家令にに為っていた時、たびたび事(こと)を言ったが用いられず、
後擅權多所變更諸侯發難
後(のち)に権力を思うままにして、変更(へんこう)した所は多かった。諸侯は難(なん)を発したが、
不急匡救欲報私讎反以亡軀
急いで正(ただ)し救(すく)わず、個人的な仇(あだ)に報(むく)いることを欲し、反(かえ)って身を亡(ほろ)ぼした。
語曰變古亂常不死則亡豈錯等謂邪
ことわざに曰く、古(いにしえ)を変えて平常(へいじょう)を乱(みだ)せば、死ぬか、逃げるかである、と。いったい鼂錯らのことを謂(い)うのであろうか」と。
今日で史記 袁盎鼂錯列伝は終わりです。明日からは史記 張釋之馮唐列伝に入ります。