Quantcast
Channel: 倭人伝を解く
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2176

史記 張釈之馮唐列伝 始め

$
0
0
張廷尉釋之者堵陽人也

張廷尉釈之という者は堵陽の人であり、

字季有兄仲同居

字(あざな)は李(末弟の意)。兄の仲(真中の兄の意)が有り、住まいを同じくした。

以訾為騎郎事孝文帝十歲不得調無所知名

財産(訾=貲?)を以って騎郎と為り、漢孝文帝劉恒に仕(つか)えたが、十年しても移(うつ)ることを得られず、名を知られるところは無かった。

釋之曰久宦減仲之產不遂

漢騎郎張釈之曰く、「久しく宮仕えして張仲の財産を減らしてしまったのに、遂(と)げられない」と。

欲自免歸中郎將袁盎知其賢

自(みずか)ら免職して帰ろうと欲した。漢中郎將袁盎がその賢(かしこ)さを知り、

惜其去乃請徙釋之補謁者

その去(さ)るを惜(お)しんだ。そこで、漢騎郎張釈之を移(うつ)して謁者に任命することを請(こ)うた。

釋之既朝畢因前言便宜事

漢謁者張釈之はすでに朝し終わると、因(よ)りて前に進み出て、事(こと)を便宜(べんぎ)することを言上した。

文帝曰卑之毋甚高論令今可施行也

漢孝文帝劉恒曰く、「これを身近にせよ、甚(はなは)だ高遠(こうえん)な理論をすることなかれ、
今、施行(せこう)できるようにせしめるのである」と。

於是釋之言秦漢之事秦所以失而漢所以興者久之

ここに於いて漢謁者張釈之は秦、漢の間(あいだ)の事(こと)を言い、秦が失(うしな)われた理由、そして、漢が興(おこ)った理由を言うのは長々と述べた。

文帝稱善乃拜釋之為謁者仆射

漢孝文帝劉恒は善(よ)いと称(たた)え、そこで、漢謁者張釈之に官をさずけて謁者僕射と為した。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2176

Trending Articles