頃之至中郎將從行至霸陵居北臨廁
しばらくして、(漢中大夫張釈之は)漢中郎将に至った。巡行に従(したが)い、霸陵に至り、北に(道の?)いりまじるさまを臨(のぞ)んで居(きょ)した。
是時慎夫人從上指示慎夫人新豐道曰
この時、慎夫人が従(したが)っており、上(漢孝文帝劉恒)は慎夫人に新豐道を指(さ)し示して曰く、
此走邯鄲道也使慎夫人鼓瑟
「これは(趙の)邯鄲道につながるのだ」と。慎夫人をして瑟(おおごと)を鳴(な)らせ、
上自倚瑟而歌意慘悽悲懷顧謂群臣曰
上(漢孝文帝劉恒)は瑟(おおごと)に調子をあわせて歌った。意(い)は(故郷を?)なんともいえないほどいたみ悲しみ懐(なつか)しみ、顧(かえり)みて群臣に謂(い)った、曰く、
嗟乎以北山石為槨用紵絮斮陳
「ああ、北山の石を以って石槨(せっかく)を作り、麻(あさ)のわたを用いて打ち並べ、
蕠漆其豈可動哉
その間(あいだ)に漆(うるし)を塗(ぬ)れば(蕠=塗?)、どうして動(うご)かすことができるだろうかな」と。
左右皆曰善釋之前進曰
左右の者は皆(みな)曰く、「善いと思います」と。漢中郎将張釈之は前に進み出て曰く、
使其中有可欲者雖錮南山猶有郄
「その中(なか)にして欲するべきものが有れば、南山にとじこめようと雖(いえど)も猶(なお)すきまを有(ゆう)し、
使其中無可欲者雖無石槨又何戚焉
その中(なか)をして欲するべきものが無ければ、石槨(せっかく)が無いと雖(いえど)も、またどうして患(うれ)えるでしょうか」と。
文帝稱善其後拜釋之為廷尉
漢孝文帝劉恒は善いと称(たた)えた。その後、漢中郎将張釈之に官をさずけて漢廷尉と為した。
しばらくして、(漢中大夫張釈之は)漢中郎将に至った。巡行に従(したが)い、霸陵に至り、北に(道の?)いりまじるさまを臨(のぞ)んで居(きょ)した。
是時慎夫人從上指示慎夫人新豐道曰
この時、慎夫人が従(したが)っており、上(漢孝文帝劉恒)は慎夫人に新豐道を指(さ)し示して曰く、
此走邯鄲道也使慎夫人鼓瑟
「これは(趙の)邯鄲道につながるのだ」と。慎夫人をして瑟(おおごと)を鳴(な)らせ、
上自倚瑟而歌意慘悽悲懷顧謂群臣曰
上(漢孝文帝劉恒)は瑟(おおごと)に調子をあわせて歌った。意(い)は(故郷を?)なんともいえないほどいたみ悲しみ懐(なつか)しみ、顧(かえり)みて群臣に謂(い)った、曰く、
嗟乎以北山石為槨用紵絮斮陳
「ああ、北山の石を以って石槨(せっかく)を作り、麻(あさ)のわたを用いて打ち並べ、
蕠漆其豈可動哉
その間(あいだ)に漆(うるし)を塗(ぬ)れば(蕠=塗?)、どうして動(うご)かすことができるだろうかな」と。
左右皆曰善釋之前進曰
左右の者は皆(みな)曰く、「善いと思います」と。漢中郎将張釈之は前に進み出て曰く、
使其中有可欲者雖錮南山猶有郄
「その中(なか)にして欲するべきものが有れば、南山にとじこめようと雖(いえど)も猶(なお)すきまを有(ゆう)し、
使其中無可欲者雖無石槨又何戚焉
その中(なか)をして欲するべきものが無ければ、石槨(せっかく)が無いと雖(いえど)も、またどうして患(うれ)えるでしょうか」と。
文帝稱善其後拜釋之為廷尉
漢孝文帝劉恒は善いと称(たた)えた。その後、漢中郎将張釈之に官をさずけて漢廷尉と為した。