夫士卒盡家人子起田中從軍安知尺籍伍符
それ、士卒はことごとくみな一般庶民の子で田の中に立ち上がって従軍(じゅうぐん)し、どうして尺籍伍符を知るでしょうか。
終日力戰斬首捕虜上功莫府
終日(しゅうじつ)力戦(りきせん)し、首を斬り虜(とりこ)を捕(と)らえ、幕府に手柄(てがら)を申し上げ、
一言不相應文吏以法繩之
たった一つでも不相応(ふそうおう)を言えば、文吏が法(ほう)を以ってこれをお縄(なわ)にかけます。
其賞不行而吏奉法必用
その賞(しょう)するは行われずして、役人は法(ほう)を奉(たてまつ)って必ず用います。
臣愚以為陛下法太明賞太輕罰太重
わたしは愚(おろ)かですが、陛下が法(ほう)にのっとるは大いにはっきりと明らかで、賞するは大いに軽(かる)く、罰するは大いに重(おも)いと思います。
且雲中守魏尚坐上功首虜差六級
まさに、雲中守魏尚が首、虜(とりこ)を上功するに六級誤(あやま)って申し上げたことに罪を問われ、
陛下下之吏削其爵罰作之
陛下はこれを役人に下(くだ)し、その爵位を削(けず)り、これを罰作刑にしました。
由此言之陛下雖得廉頗李牧弗能用也
これに由(よ)り、これを言ったのです、陛下が廉頗、李牧を得たと雖(いえど)も、用いることはできないでしょう、と。
臣誠愚觸忌諱死罪死罪
わたしは誠(まこと)に愚(おろ)かもので、忌(い)み嫌(きら)うことに触(ふ)れました、死罪にしてください、死罪にしてください」と。
文帝說是日令馮唐持節赦魏尚
漢孝文帝劉恒は悦(よろこ)び、この日、漢中郎署長馮唐に令(れい)して節(使者の旗)を持たせて魏尚を赦(ゆる)し、
復以為雲中守而拜唐為車騎都尉
雲中守と為すを以って復位させた。しこうして漢中郎署長馮唐に官をさずけて漢車騎都尉と為し、
主中尉及郡國車士
中尉及(およ)び、郡、国の車士をつかさどらせた。
七年景帝立以唐為楚相免
七年して、漢孝景帝劉啓が立ち、漢車騎都尉馮唐を以って楚相と為り、免(めん)ぜられた。
武帝立求賢良舉馮唐
漢孝武帝劉徹が立ち、賢良を求(もと)め、馮唐を推挙(すいきょ)した。
唐時年九十餘不能復為官乃以唐子馮遂為郎
馮唐は年(とし)九十余歳で、ふたたび官に為ることができず、そこで、馮唐の子の馮遂を以って郎と為した。
遂字王孫亦奇士與余善
漢郎馮遂の字(あざな)は王孫で、また奇才の士で、余(よ わたし)と仲が善かった。
太史公曰張季之言長者守法不阿意
太史公曰く、「張季(張釈之)の言(げん)が長者(ちょうじゃ)を言ったこと、法(ほう)を守って意(い)に阿(おもね)らなかったこと、
馮公之論將率有味哉有味哉
馮公(馮唐)の将軍の率(ひき)いるを論(ろん)じたこと、味(あじ)あるかな、味(あじ)あるかな。
語曰不知其人視其友
ことわざに曰く、その人を知らなければ、その友(とも)を視(み)よ、と。
二君之所稱誦可著廊廟
二君のほめたたえたところは、廊廟(ろうびょう 政治を行う所)に著(あらわ)すべきである。
書曰不偏不黨王道蕩蕩不黨不偏王道便便
書経曰く、偏(かたよ)らず、おもねりあわず、王道(おうどう)は蕩蕩(とうとう)として広く遠く、
おもねりあわず、偏(かたよ)らず、王道(おうどう)は便々(べんべん)とよく治(おさ)まる、と。
張季馮公近之矣
張季(張釈之)、馮公(馮唐)がこれに近い」と。
今日で史記 張釈之馮唐列伝は終わりです。明日からは史記 萬石張叔列伝に入ります。
それ、士卒はことごとくみな一般庶民の子で田の中に立ち上がって従軍(じゅうぐん)し、どうして尺籍伍符を知るでしょうか。
終日力戰斬首捕虜上功莫府
終日(しゅうじつ)力戦(りきせん)し、首を斬り虜(とりこ)を捕(と)らえ、幕府に手柄(てがら)を申し上げ、
一言不相應文吏以法繩之
たった一つでも不相応(ふそうおう)を言えば、文吏が法(ほう)を以ってこれをお縄(なわ)にかけます。
其賞不行而吏奉法必用
その賞(しょう)するは行われずして、役人は法(ほう)を奉(たてまつ)って必ず用います。
臣愚以為陛下法太明賞太輕罰太重
わたしは愚(おろ)かですが、陛下が法(ほう)にのっとるは大いにはっきりと明らかで、賞するは大いに軽(かる)く、罰するは大いに重(おも)いと思います。
且雲中守魏尚坐上功首虜差六級
まさに、雲中守魏尚が首、虜(とりこ)を上功するに六級誤(あやま)って申し上げたことに罪を問われ、
陛下下之吏削其爵罰作之
陛下はこれを役人に下(くだ)し、その爵位を削(けず)り、これを罰作刑にしました。
由此言之陛下雖得廉頗李牧弗能用也
これに由(よ)り、これを言ったのです、陛下が廉頗、李牧を得たと雖(いえど)も、用いることはできないでしょう、と。
臣誠愚觸忌諱死罪死罪
わたしは誠(まこと)に愚(おろ)かもので、忌(い)み嫌(きら)うことに触(ふ)れました、死罪にしてください、死罪にしてください」と。
文帝說是日令馮唐持節赦魏尚
漢孝文帝劉恒は悦(よろこ)び、この日、漢中郎署長馮唐に令(れい)して節(使者の旗)を持たせて魏尚を赦(ゆる)し、
復以為雲中守而拜唐為車騎都尉
雲中守と為すを以って復位させた。しこうして漢中郎署長馮唐に官をさずけて漢車騎都尉と為し、
主中尉及郡國車士
中尉及(およ)び、郡、国の車士をつかさどらせた。
七年景帝立以唐為楚相免
七年して、漢孝景帝劉啓が立ち、漢車騎都尉馮唐を以って楚相と為り、免(めん)ぜられた。
武帝立求賢良舉馮唐
漢孝武帝劉徹が立ち、賢良を求(もと)め、馮唐を推挙(すいきょ)した。
唐時年九十餘不能復為官乃以唐子馮遂為郎
馮唐は年(とし)九十余歳で、ふたたび官に為ることができず、そこで、馮唐の子の馮遂を以って郎と為した。
遂字王孫亦奇士與余善
漢郎馮遂の字(あざな)は王孫で、また奇才の士で、余(よ わたし)と仲が善かった。
太史公曰張季之言長者守法不阿意
太史公曰く、「張季(張釈之)の言(げん)が長者(ちょうじゃ)を言ったこと、法(ほう)を守って意(い)に阿(おもね)らなかったこと、
馮公之論將率有味哉有味哉
馮公(馮唐)の将軍の率(ひき)いるを論(ろん)じたこと、味(あじ)あるかな、味(あじ)あるかな。
語曰不知其人視其友
ことわざに曰く、その人を知らなければ、その友(とも)を視(み)よ、と。
二君之所稱誦可著廊廟
二君のほめたたえたところは、廊廟(ろうびょう 政治を行う所)に著(あらわ)すべきである。
書曰不偏不黨王道蕩蕩不黨不偏王道便便
書経曰く、偏(かたよ)らず、おもねりあわず、王道(おうどう)は蕩蕩(とうとう)として広く遠く、
おもねりあわず、偏(かたよ)らず、王道(おうどう)は便々(べんべん)とよく治(おさ)まる、と。
張季馮公近之矣
張季(張釈之)、馮公(馮唐)がこれに近い」と。
今日で史記 張釈之馮唐列伝は終わりです。明日からは史記 萬石張叔列伝に入ります。