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其明年上廢太子誅栗卿之屬

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其明年上廢太子誅栗卿之屬

その明くる年、上(漢孝景帝劉啓)は漢太子劉栄を廃(はい)して、栗卿の仲間を誅(ちゅう)した。

上以為綰長者不忍乃賜綰告歸

上(漢孝景帝劉啓)は漢中尉建陵侯衛綰は長者(ちょうじゃ)で忍(しの)ばれないと思い、そこで、漢中尉建陵侯衛綰に告帰(官吏が吉事のために休暇を願い出て故郷に帰る)を賜(たま)わり、

而使郅都治捕栗氏既已

しこうして、郅都(人名)をして栗氏を捕(と)らえて取り調べさせた。すでに終わると、

上立膠東王為太子召綰拜為太子太傅

上(漢孝景帝劉啓)は膠東王劉徹を立てて漢太子と為し、漢中尉建陵侯衛綰を召(め)し寄せて、官をさずけて漢太子太傅に為した。

久之遷為御史大夫

しばらくして、遷(うつ)して漢御史大夫と為した。

五歲代桃侯舍為丞相朝奏事如職所奏

五年して、桃侯劉舍に代(か)えて(漢御史大夫建陵侯衛綰を)漢丞相と為し、朝(ちょう)して事(こと)を奏上するは、奏上するところの職の如(ごと)くであった。

然自初官以至丞相終無可言

然(しか)るに官になったばかりのときより、丞相に至(いた)るまで、とうとう言うべきものは無かった。

天子以為敦厚可相少主尊寵之賞賜甚多

天子はまごころがあって人情深く、若い主(あるじ)を補佐(ほさ)することができると思い、これを尊寵して、賞賜(しょうし)は甚(はなは)だ多かった。

為丞相三歲景帝崩武帝立

丞相と為って三年して、漢孝景帝劉啓が崩じ、漢孝武帝劉徹が立った。

建元年中丞相以景帝疾時諸官囚多坐不辜者而君不任職免之

建元年中、漢丞相建陵侯衛綰は漢孝景帝劉啓が病気の時、諸(もろもろ)の官が囚(とら)われて多くが罪なき者を罪に問うたのを以って、しこうして、君(漢孝武帝劉徹)は職を任(まか)せられないとして、これを罷免(ひめん)した。

其後綰卒子信代坐酎金失侯

その後、建陵侯衛綰が亡くなり、子の衛信が代(か)わったが、酎金(朝廷における祭祀の際に拠出する金)に罪を問われ、侯位を失(うしな)った。

塞侯直不疑者南陽人也

塞侯直不疑という者は南陽の人である。

為郎事文帝

郎(官名)と為って漢孝文帝劉恒に仕(つか)えた。

其同舍有告歸誤持同舍郎金去

その同じ官舎で告帰(官吏が吉事のために休暇を願い出て故郷に帰る)するものが有り、誤(あやま)って同じ官舎の郎の金を持って去(さ)った。

已而金主覺妄意不疑

しばらくして、金の持ち主が気付いて、直不疑を疑(うたが)った。

不疑謝有之買金償

直不疑はこれに有ると謝(しゃ)して、金を払って償(つぐな)った。

而告歸者來而歸金

しこうして、告帰者が来て金を帰(かえ)し、

而前郎亡金者大慚以此稱為長者

そして、前の金を亡(な)くした者の郎は大いに恥(は)じて、これを以って称(たた)えられ長者とされた。

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