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孝文帝既立召田叔

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孝文帝既立召田叔問之曰公知天下長者乎

漢孝文帝劉恒がすでに立ち、漢中守田叔を召(め)しよせてこれに問うた、曰く、「公は天下の長者を知っているか?」と。

對曰臣何足以知之上曰

応(こた)えて曰く、「わたしがどうしてこれを知るを以ってするに足(た)るでしょうか」と。上(漢孝文帝劉恒)曰く、

公長者也宜知之叔頓首曰

「公は長者であるから、宜(よろ)しくこれを知っているにちがいない」と。漢中守田叔は頭を地につけて曰く、

故雲中守孟舒長者也

「前の雲中守孟舒が長者であります」と。

是時孟舒坐虜大入塞盜劫雲中尤甚免

この時、孟舒は敵(てき)が大いに塞(とりで)に入っておどして盗みを働き、雲中郡が最も甚(はなは)だしかったことに罪を問われ、免(めん)ぜられていた。

上曰先帝置孟舒雲中十餘年矣虜曾一人

上(漢孝文帝劉恒)曰く、「先帝が孟舒を雲中に置いて十余年、敵(てき)がすなわちたった一度だけ入り(人=入?)

孟舒不能堅守毋故士卒戰死者數百人

雲中守孟舒は堅守(けんしゅ)できずに、故(ゆえ)なくして士卒の戦死者は数百人。

長者固殺人乎公何以言孟舒為長者也

長者がどうして人を殺すのか?公は何ものを以って孟舒を長者だと思うと言うのか?」と。

叔叩頭對曰是乃孟舒所以為長者也

漢中守田叔は頭を叩(たた)いて応(こた)えて曰く、「是(これ)がずなわち孟舒の長者たる所以(ゆえん)であります。

夫貫高等謀反上下明詔趙有敢隨張王罪三族

それ、趙相貫高らが謀反(むほん)したとき、上(漢高祖劉邦)が明らかな詔(みことのり)を下(くだ)し、趙に敢(あ)えて張王(趙王張敖)につき従う者が有れば、三族刑に罪すると。

然孟舒自髡鉗隨張王敖之所在

然(しか)るに孟舒は自ら髪(かみ)を切り首かせをはめて、張王敖(趙王張敖)の在(あ)る所につき従ったのは、

欲以身死之豈自知為雲中守哉

身(み)を以って死ぬことを欲したのであって、どうして自(みずか)ら雲中守に為ることを知っていたでしょうかな。

漢與楚相距士卒罷敝

漢が楚と相(あい)対峙(たいじ)したとき、士卒は疲弊(ひへい)しました。

匈奴冒頓新服北夷來為邊害

匈奴冒頓が新(あら)たに北夷を服属(ふくぞく)させて来て、国境地帯を荒らしました。

孟舒知士卒罷敝不忍出言士爭臨城死敵

雲中守孟舒は士卒が疲弊していることを知っていたので、言(げん)を出すことを忍(しの)ばれませんでしたが、士は争(あらそ)って城に臨(のぞ)んで敵(てき)を殺し、

如子為父弟為兄以故死者數百人

子は父の為(ため)の如(ごと)く、弟は兄の為(ため)の如(ごと)くしました。故(ゆえ)に死者は数百人を以ってしたのです。

孟舒豈故驅戰之哉是乃孟舒所以為長者也

雲中守孟舒がどうしてことさらにこれに戦いを駆(か)りたてるでしょうかな。是(これ)がすなわち孟舒の長者たる所以(ゆえん)であります」と。

於是上曰賢哉孟舒復召孟舒以為雲中守

ここに於いて上(漢孝文帝劉恒)曰く、「賢いかな、孟舒は」と。ふたたび孟舒を召し寄せて雲中守と為すを以ってした。

後數歲叔坐法失官

数年後、漢中守田叔は法(ほう)に罪を問われ官位を失(うしな)った。

梁孝王使人殺故吳相袁盎

梁孝王劉武が人をつかわし、もと呉相袁盎を殺させた。

景帝召田叔案梁具得其事還報

漢孝景帝劉啓は田叔を召(め)し寄せて梁を取調べさせ、具(つぶさ)にその事を得て、還(かえ)って報告した。

景帝曰梁有之乎叔對曰

漢孝景帝劉啓曰く、「梁はこれに有ったのか?」と。田叔は応(こた)えて曰く、

死罪有之上曰其事安在

「おそれながらこれに有りました」と。上(漢孝景帝劉啓)曰く、「その事はいずこに在(あ)るのか?」と。

田叔曰上毋以梁事為也上曰

田叔曰く、「上は梁事を以って為されることなかれ」と。上(漢孝景帝劉啓)曰く、

何也曰今梁王不伏誅是漢法不行也

「どうしてなのか?」と。曰く、「今、梁王(劉武)が誅(ちゅう)に伏(ふ)さなければ、是(これ)、漢の法が行われなかったことになります。

如其伏法而太后食不甘味

その法に伏(ふ)すに及べば、しこうして、竇太后は食べても美味しくなく、

臥不安席此憂在陛下也

横になっても寝ても床(とこ)に安(やす)んぜず、此(こ)れ、憂(うれ)いは陛下に在(あ)るようになるのです」と。

景帝大賢之以為魯相

漢孝景帝劉啓は大いにこれを賢いと思い、魯相と為すを以ってした。

魯相初到民自言相

魯相田叔が到(いた)ったばかりのとき、民が自ら魯相田叔に言い、

訟王取其財物百餘人

魯王劉余がその財物を取ったと訴(うった)えた者は数百人。

田叔取其渠率二十人各笞五十餘各搏二十

魯相田叔はその頭(かしら)二十人をつかまえ、各(おのおの)にむちうち五十回、残りの者に各(おのおの)手でなぐること二十回、

怒之曰王非若主邪何自敢言若主

これを怒って曰く、「王はなんじらの主(あるじ)ではないのか?どうして自(みずか)ら敢(あ)えてなんじらの主(あるじ)を訴えるのか」と。

魯王聞之大慚發中府錢使相償之

魯王劉余はこれを聞いて大いに恥じ入り、中府銭を発して、魯相田叔をしてこれを償(つぐな)わせようとした。

相曰王自奪之使相償之

魯相田叔曰く、「王が自(みずか)らこれを奪(うば)ったのに、宰相をしてこれを償(つぐな)わせれば、

是王為惡而相為善也相毋與償之

ここに王が悪(あく)と為って宰相が善(ぜん)と為ります。宰相はこれを償(つぐ)なうに与(くみ)してはなりません」と。

於是王乃盡償之

ここに於いて魯王劉余はすなわちことごとくこれを償(つぐな)った。

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