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Channel: 倭人伝を解く
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孝文帝既立召田叔

孝文帝既立召田叔問之曰公知天下長者乎 漢孝文帝劉恒がすでに立ち、漢中守田叔を召(め)しよせてこれに問うた、曰く、「公は天下の長者を知っているか?」と。 對曰臣何足以知之上曰 応(こた)えて曰く、「わたしがどうしてこれを知るを以ってするに足(た)るでしょうか」と。上(漢孝文帝劉恒)曰く、 公長者也宜知之叔頓首曰...

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魯王好獵相常從入苑中

魯王好獵相常從入苑中 魯王劉余は猟(りょう)を好(この)み、魯相田叔が常(つね)に苑の中に入るに従(したが)った。 王輒休相就館舍相出常暴坐待王苑外 魯王劉余はそのたびごとに魯相田叔を休(やす)ませ館舎に就(つ)かせたが、魯相田叔は出て、常(つね)に雨風にあたりながら座(すわ)って、魯王劉余を苑の外で待(ま)った。 王數使人請相休終不休曰...

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乃為衛將軍舍人

乃為衛將軍舍人與田仁會俱為舍人 そこで衛将軍の舎人に為ろうとして、田仁と会(あ)い、ともに舎人と為った。 居門下同心相愛 門の下(もと)に居(きょ)し、心(こころ)同じくして相(あい)仲良くした。 此二人家貧無錢用以事將軍家監家監使養惡齧馬 この二人の家は貧(まず)しく、銭(ぜに)が無く将軍の家監に仕(つか)えるを以って用いられ、家監は、噛(か)みついて悪い馬を養(やしな)わせられた。...

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其後用任安為益州刺史

其後用任安為益州刺史以田仁為丞相長史 その後、任安を用いて益州刺史と為し、田仁を以って漢丞相長史と為した。 田仁上書言天下郡太守多為姦利 漢丞相長史田仁は上書して曰く、「天下の郡太守は多くが不正の利(り)を為しています。 三河尤甚臣請先刺舉三河 三河(河南、河内、河東)が尤(もっと)も甚(はなは)だしく、わたしは先(さき)に三河を挙(あ)げて罪を調べることを請(こ)い願います。...

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是時任安為北軍使者護軍

是時任安為北軍使者護軍太子立車北軍南門外 この時、任安は北軍使者護軍と為っており、漢太子劉拠が車を北軍の南門の外に立て、 召任安與節令發兵 漢北軍使者護軍任安を召(め)しよせて、旗印(はたじるし)を与(あた)えて兵を発さしめた。 安拜受節入閉門不出武帝聞之 漢北軍使者護軍任安は拝礼して旗印(はたじるし)を授(さず)かり、入って門を閉(し)めて出なかった。武帝はこれを聞いて、 以為任安為詳邪不傅事何也...

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史記 扁鵲倉公列伝 始め

扁鵲者勃海郡鄭人也姓秦氏名越人 扁鵲という者は勃海郡の鄭の人である。姓名は秦氏、名は越人。 少時為人舍長舍客長桑君過扁鵲獨奇之常謹遇之 若い時、人の舎長と為った。舎客の長桑君が立ち寄り、扁鵲はひとりこれをすぐれているとし、常(つね)につつしんでこれを遇(ぐう)した。 長桑君亦知扁鵲非常人也 長桑君もまた扁鵲を常人ではないと知ったのである。 出入十餘年乃呼扁鵲私坐與語曰...

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居二日半簡子寤語諸大夫曰

居二日半簡子寤語諸大夫曰 二日半がたち、趙簡子が目覚め、諸大夫に語った、曰く、 我之帝所甚樂與百神游於鈞天 「我(われ)は天帝の所で甚(はなは)だ楽しんだ。百神とともに鈞天(天帝の都)に於いて遊んだ。 廣樂九奏萬舞不類三代之樂其聲動心 天上の音楽を何度も奏(かな)でたくさん舞(ま)いおどった。三代(夏、殷、周)の音楽の類(たぐい)ではなく、その声は心を動かした。 有一熊欲援我帝命我射之中熊熊死...

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其後扁鵲過虢虢太子死扁鵲至虢宮門下

其後扁鵲過虢虢太子死扁鵲至虢宮門下 その後、扁鵲は虢に立ち寄ったとき、虢太子が死んだ。扁鵲が虢宮門の下に至り、 問中庶子喜方者曰太子何病國中治穰過於眾事 中庶子の医術を好む者に問(と)うた、曰く、「太子は何の病(やまい)ですか?国中、まつりの際に供える農作物を治(おさ)めるは多くの事より越えていますが」と。 中庶子曰太子病血氣不時虢中庶子曰く、「太子の病は血の気が不全(ふぜん)で、...

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搦髓腦揲荒爪幕湔浣腸胃

搦髓腦揲荒爪幕湔浣腸胃 重要な部分にいどみ 荒(あ)れたところを取り出し、膜(まく)(幕=膜?)をつかみ、 腸、胃を洗いすすぎ、 漱滌五藏練精易形 五臓を洗いすすぎ、白くきれいにし、形をととのえます。 先生之方能若是則太子可生也 先生の医術がこのごとくできれば、太子は生き返ることができるでしょう。 不能若是而欲生之曾不可以告咳嬰之兒...

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聞病之陽論得其陰聞病之陰論得其陽

聞病之陽論得其陰聞病之陰論得其陽 病(やまい)の陽(よう)を聞いて、その陰(いん)を得て論じ、病(やまい)の陰(いん)を聞いて、その陽(よう)を得て論じます。 病應見於大表不出千里決者至眾不可曲止也 病(やまい)はまさに広(ひろ)く表(おもて)に出たのを見るべきで、千里(せんり)の遠くに出かけなくても決めるものは、きわめて多く、小さく止(とど)まるべきではないのであります。 子以吾言為不誠試入診太子...

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中庶子聞扁鵲言目眩然而不瞚

中庶子聞扁鵲言目眩然而不瞚虢中庶子は扁鵲の言を聞き、目は眩然としてくらみてまばたきせず、 舌撟然而不下乃以扁鵲言入報虢君 舌(した)は撟然として上がったまま、下(さ)がらず、すなわち扁鵲の言を以って入り虢君に報告した。虢君聞之大驚出見扁鵲於中闕曰虢君はこれを聞いて大いに驚き、出て中門に於いて扁鵲に見えて曰く、 竊聞高義之日久矣然未嘗得拜謁於前也...

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服臆魂精泄流涕長潸

服臆魂精泄流涕長潸 よく心にとめて、思いは純粋にもれ出てあふれ、涙を流すはますますはらはらと流れ、 忽忽承睫悲不能自止容貌變更 忽忽(こつこつ)とはやくまつげをまばたかせ、悲しむこと自ら止(と)めることができず、容貌が変わることいよいよであった。 扁鵲曰若太子病所謂尸蹷者也 扁鵲曰く、「太子の病(やまい)のごとくは所謂(いわゆる)脚気(かっけ)というものであります。

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夫以陽入陰中動胃繵緣

夫以陽入陰中動胃繵緣 それ、陽(よう)を以って、陰(いん)の中に入り、胃を動かしてまとわりついて取り囲み、 中經維絡別下於三焦膀胱 経脈をみたし、絡脈につなぎ、別(わか)われ三焦、膀胱に下(くだ)り、 是以陽脈下遂陰脈上爭會氣閉而不通 ここに、陽脈を以っておしわけるように下(くだ)り、陰脈を以って引っ張られて上(あ)がり、 気を会(かい)して閉(し)まりて不通(ふつう)になり、...

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扁鵲乃使弟子子陽鍼砥石

扁鵲乃使弟子子陽鍼砥石 扁鵲はそこで弟子の子陽をつかわし、はりを砥石(といし)でみがかせ、 以取外三陽五會有太子蘇 三陽五会にうって外(はず)すを以ってした。しばらくして、虢太子は目をさました。 乃使子豹為五分之熨 そこで、子豹をつかわし五分のひのし(熱いものでおさえる)をつくらせ、 以八減之齊和煮之以更熨兩脅下...

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扁鵲過齊齊桓侯客之

扁鵲過齊齊桓侯客之 扁鵲が斉に立ち寄ると、斉桓侯姜小白(呂小白)はこれを賓客とした。 入朝見曰君有疾在腠理不治將深 朝見に入って曰く、「君には腠理(皮膚表面の細かいしわ)に在(あ)る病気が有り、治(なお)さないとまさに深刻になっていくでしょう」と。 桓侯曰寡人無疾 斉桓侯姜小白曰く、「わたしは病気では無い」と。 扁鵲出桓侯謂左右曰 扁鵲が退出すると、斉桓侯姜小白は左右のものに謂(い)った、曰く、...

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人之所病病疾多

人之所病病疾多 人の病(や)むところ、病気が多く、 而醫之所病病道少 しこうして、医の病(や)むところ、病(やまい)の療法が少ない。 故病有六不治驕恣不論於理一不治也 故(ゆえ)に病には六つの不治が有り、おごりたかぶってほしいままにし、道理を説(と)かないのが、一の不治である。 輕身重財二不治也 身を軽(かろ)んじて財(ざい)を重んずるのが、二の不治である。 衣食不能適三不治也...

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太倉公者齊太倉長臨菑人也

太倉公者齊太倉長臨菑人也姓淳于氏名意 太倉公という者は、斉の太倉長で、臨菑の人であり、姓名は淳于氏、名は意。 少而喜醫方術高后八年更受師同郡元里公乘陽慶 若くして医方の術を喜んだ。漢高后呂雉八年、改(あらた)めて同郡元里の公乗(爵位名)陽慶に学び師事(しじ)した。 慶年七十餘無子使意盡去其故方 公乗陽慶の年は七十余歳、子が無く、淳于意をしてことごとくその以前の医術を去(さ)らせ、...

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意家居詔召問

意家居詔召問所為治病死生驗者幾何人也主名為誰 淳于意が家住まいをしているとき、詔(みことのり)して召し寄せ、病を治(なお)す方法、死生の試(こころ)みた者は幾人(いくにん)で、主(おも)な名は誰であるのかを問うた。 詔問故太倉長臣意方伎所長及所能治病者 詔(みことのり)して前の太倉長臣意(淳于意)に問(と)うた、「医術のうでまえの長ずるところ、及び病を治(なお)すことができたところのものは?...

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齊侍御史成自言病頭痛臣意診其脈

齊侍御史成自言病頭痛臣意診其脈 斉侍御史成は自(みずか)ら頭痛に病(や)むと言い、わたし(淳于意)はその脈を診(み)ました。 告曰君之病惡不可言也 告(つ)げて曰く、『君の病(やまい)は悪く、言うべきではありません』と。 即出獨告成弟昌曰此病疽也 すぐに退出して、ともかく斉侍御史成の弟の昌に告げて曰く、『この病(やまい)は疽(悪性のはれもの)であります。內發於腸胃之後五日當擁腫...

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齊王中子諸嬰兒小子病召臣意診切其脈

齊王中子諸嬰兒小子病召臣意診切其脈告曰 斉王の中子の諸(もろもろ)の赤ん坊の年少の子が病(やまい)にかかり、わたしを召し寄せました。その脈を切って診(み)て、告げて曰く、 氣鬲病病使人煩懣食不下時嘔沫 『気鬲の病(やまい)です。病(やまい)は人をして思いわずらわせ、食べても下(くだ)らず、時には沫(あわ)を吐(は)きます。 病得之(少)[心]憂數忔食飲...

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