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史記 扁鵲倉公列伝 始め

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扁鵲者勃海郡鄭人也姓秦氏名越人

扁鵲という者は勃海郡の鄭の人である。姓名は秦氏、名は越人。

少時為人舍長舍客長桑君過扁鵲獨奇之常謹遇之

若い時、人の舎長と為った。舎客の長桑君が立ち寄り、扁鵲はひとりこれをすぐれているとし、常(つね)につつしんでこれを遇(ぐう)した。

長桑君亦知扁鵲非常人也

長桑君もまた扁鵲を常人ではないと知ったのである。

出入十餘年乃呼扁鵲私坐與語曰

出入りして十余年、すなわち、扁鵲を呼んで個人的に座(ざ)し、ひそかにともに語った、曰く、

我有禁方年老欲傳與公公毋泄

「我(われ)には秘伝の医術が有る。年老いて、公に伝(つた)え与(あた)えることを欲する。公は漏(も)らすことなかれ」と。

扁鵲曰敬諾乃出其懷中藥予扁鵲

扁鵲曰く、「つつしんで承諾(しょうだく)します」と。そこでその懐(ふところ)の中の薬を出して、扁鵲に与(あた)えた。

飲是以上池之水三十日當知物矣

「これを飲むに上池(雨)の水を以ってし、三十日でまさに物を知るべし」と。

乃悉取其禁方書盡與扁鵲

そこでことごとくその秘伝の医術書を取ってことごとく扁鵲に与(あた)えた。

忽然不見殆非人也

忽然(こつぜん)と見えなくなった。ほとんど人では非(あら)ざるなり。

扁鵲以其言飲藥三十日視見垣一方人

扁鵲はその言葉を以って薬を飲むこと三十日、垣(かき)のもう一方の人が見えた。

以此視病盡見五藏癥結特以診脈為名耳

これを以って病(やまい)を視(み)ると、ことごとく五つの臓器の癥結(腹の中にかたまりのできる病気)を見つけ、特に脈(みゃく)を診(み)るを以ってするは外見上の形式としただけである。

為醫或在齊或在趙在趙者名扁鵲

医者と為って或いは斉に在(あ)り、或いは趙に在(あ)り、趙に在(あ)るのは名は扁鵲といった。

當晉昭公時諸大夫彊而公族弱

まさに晋昭公姫夷(晋頃公?)の時、諸(もろもろ)の大夫は強く、そして公族は弱く、

趙簡子為大夫專國事

趙簡子(趙鞅)が晋大夫と為ると、国事を専(もっぱ)らにした。

簡子疾五日不知人大夫皆懼於是召扁鵲

(晋定公時に)趙簡子(趙鞅)が病にかかり、五日間、人事不省(じんじふせい)になり、晋大夫たちは皆(みな)懼(おそ)れ、ここに於いて扁鵲を召し寄せた。

扁鵲入視病出董安于問扁鵲扁鵲曰

扁鵲は入って病を視(み)た。出ると、董安于が扁鵲に問うた、扁鵲曰く、

血脈治也而何怪

「血脈は治(おさ)まっているが何と不思議なことか。

昔秦穆公嘗如此七日而寤

昔、秦穆公嬴任好も嘗(かつ)てこの如(ごと)くなり、七日して目覚めました。

寤之日告公孫支與子輿曰

目覚めた日、公孫支と子輿に告げて曰く、

我之帝所甚樂吾所以久者適有所學也

『我(われ)は天帝のところで甚(はなは)だ楽しんだ。吾(われ)が長くいたわけとは、たまたま学ぶところが有ったからだ。

帝告我晉國且大亂五世不安

天帝は我(われ)に告げた、晋国はまさに大乱とならんとし、五世代(献公~懐公まで)は不安定になる、

其後將霸未老而死

その後はまさに諸侯の旗頭(はたがしら)となり、老(お)いずに死ぬ、

霸者之子且令而國男女無別

覇者の子はまさに令(れい)して国の男女は区別が無くなるだろう、と。

公孫支書而藏之秦策於是出

公孫支は記録してこれを所蔵しました。秦の策謀はここより出(い)でたのです。

夫獻公之亂文公之霸

それ、晋献公姫詭諸の乱、晋文公姫重耳の覇(は)、

而襄公敗秦師於殽而歸縱淫此子之所聞

そして晋襄公姫驩が秦軍を殽に於いて敗(やぶ)り、しこうして帰り勝手きままに乱れ、これ、なんじらの聞くところである。

今主君之病與之同

今、主君の病はこれと同じで、

不出三日必必有言也

三日もたたずに必ず癒(い)えて、癒(い)えれば必ず言葉が有るでしょう」と。

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