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乃為衛將軍舍人

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乃為衛將軍舍人與田仁會俱為舍人

そこで衛将軍の舎人に為ろうとして、田仁と会(あ)い、ともに舎人と為った。

居門下同心相愛

門の下(もと)に居(きょ)し、心(こころ)同じくして相(あい)仲良くした。

此二人家貧無錢用以事將軍家監家監使養惡齧馬

この二人の家は貧(まず)しく、銭(ぜに)が無く将軍の家監に仕(つか)えるを以って用いられ、家監は、噛(か)みついて悪い馬を養(やしな)わせられた。

兩人同床臥仁竊言曰

二人は同じ寝床に横になって寝た。田仁がこっそり言った曰く、

不知人哉家監也任安曰

「人を知らないのかな、家監とは」と。任安曰く、

將軍尚不知人何乃家監也

「将軍もやはり人を知らない、何と家監とは」と。

衛將軍從此兩人過平陽主主家令兩人與騎奴同席而食

衛将軍はこの二人を従えて平陽主に立ち寄った時、平陽主家は二人に騎奴と席を同じくして食事をさせた。

此二子拔刀列斷席別坐

この二氏は刀(かたな)を抜(ぬ)いて席(せき)を切り断(た)ち、座(ざ)を別(わ)けた。

主家皆怪而惡之莫敢呵

平陽主家は皆(みな)怪(あや)しみてこれを憎(にく)んだが、敢(あ)えてとがめなかった。

其後有詔募擇衛將軍舍人以為郎將軍取舍人中富給者

その後、詔(みことのり)が有り、衛将軍の舎人を択(えら)んで郎と為すを以ってするを募(つの)らせた。衛将軍は舎人の中の富(と)んで物がじゅうぶんにある者を選び取り、

令具鞌馬絳衣玉具劍欲入奏之

鞍(くら)を置いた馬(うま)、赤い衣(ころも)、宝石のついた剣を準備させ、入ってこれを奏上しようと欲した。

會賢大夫少府趙禹來過衛將軍,

この時、賢大夫少府の趙禹が来て衛将軍に立ち寄った。

將軍呼所舉舍人以示趙禹

衛将軍は推挙(すいきょ)したところの舎人を呼(よ)んで、賢大夫少府趙禹に示(しめ)すを以ってした。

趙禹以次問之十餘人無一人習事有智略者

賢大夫少府趙禹は順次(じゅんじ)を以ってこれに問(と)い、十余人が、事に習熟(しゅうじゅく)して智略(ちりゃく)の有る者が一人もいなかった。

趙禹曰吾聞之將門之下必有將類

賢大夫少府趙禹曰く、「吾(われ)はこれを聞く、将軍の門下には必ず将軍の類(たぐい)が有ると。

傳曰不知其君視其所使不知其子視其所友

言い伝(つた)えに曰く、その君を知らなければ、その使われるところを視(み)よ、その子を知らなければその友(とも)とするところを視(み)よ、と。

今有詔舉將軍舍人者

今、詔(みことのり)が有って、将軍の舎人を挙(あ)げさせるのは、

欲以觀將軍而能得賢者文武之士也

将軍を観(み)るを以って、賢者、文武の士を得ることができるのを欲したからである。

今徒取盎人子上之又無智略

今、むだに富裕な人の子をえらび取ってこれを上(あ)げるは、また智略(ちりゃく)無く、

如木偶人衣之綺繡耳將柰之何

木の人形にきれいな刺繍(ししゅう)の着物を着せたが如(ごと)くなだけで、まさにこれをどうしようというのか?」と。

於是趙禹悉召衛將軍舍人百餘人

ここに於いて賢大夫少府趙禹はことごとく衛将軍の舎人百余人を召(め)しよせ、

以次問之得田仁任安曰

順次(じゅんじ)を以ってこれに問(と)い、家監田仁、家監任安を得て曰く、

獨此兩人可耳餘無可用者

「ただこの二人だけが良いだけで、残りは用いることができる者はいない」と。

衛將軍見此兩人貧意不平

衛将軍はこの二人を貧(まず)しいと見て、心の中は不平(ふへい)であった。

趙禹去謂兩人曰各自具樾象絳衣

賢大夫少府趙禹が去(さ)ると、二人に謂(い)った、曰く、「各(おのおの)自ら、樾象(鞍を置いた馬?)、赤い衣を準備せよ」と。

兩人對曰家貧無用具也

二人は応(こた)えて曰く、「家が貧(まず)しく用具(ようぐ)がありません」と。

將軍怒曰今兩君家自為貧何為出此言

衛将軍は怒って曰く、「今、二人の家は自(おの)ずから貧(まず)しいと為し、どうしてこの言を出すのか?

鞅鞅如有移於我者何也

鞅鞅(おうおう)と不満そうで、我(われ)より威徳(移=威?)有る者の如(ごと)くは、どうしてか?」と。

將軍不得已上籍以聞有詔召見衛將軍舍人

衛将軍はやむを得ず、文書を上(あ)げて申し上げるを以ってした。詔(みことのり)が有り、衛将軍の舎人を召し寄せて見(まみ)えさせた。

此二人前見詔問能略相推第也

この二人が前に進み出て見(まみ)えると、詔(みことのり)して智略(ちりゃく)の才能を問(と)い、互いに推(お)しいただかせて品定めさせたのである。(第=題?)

田仁對曰提桴鼓立軍門

田仁は応(こた)えて曰く、「ばち、太鼓(たいこ)をひっさげて軍門に立ち、

使士大夫樂死戰鬬仁不及任安

士大夫をして戦闘で死するをよろこばせるは、わたしは任安には及(およ)びません」と。

任安對曰夫決嫌疑定是非辯治官

任安は応(こた)えて曰く、「それ、嫌疑(けんぎ)を決(けっ)し、是非(ぜひ)を定(さだ)め、官を言葉で治(おさ)め、

使百姓無怨心安不及仁也

百姓をして怨(うら)む心を無くさせるは、わたしは田仁には及(およ)びません」と。

武帝大笑曰善使任安護北軍

漢孝武帝劉徹は大いに笑って曰く、「よろしい」と。任安をして北軍を護(まも)らせ、

使田仁護邊田穀於河上

田仁をして河上に於いて辺境の田の穀物(こくもつ)を護(まも)らせた。

此兩人立名天下

このようにして二人は天下に名を立てた。

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