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章邯引兵至邯鄲皆徙其民河內

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章邯引兵至邯鄲皆徙其民河內

秦将章邯は兵を引いて邯鄲に至ると、皆(みな)その民(たみ)を河内に移(うつ)し、

夷其城郭張耳與趙王歇走入鉅鹿城

その城郭(じょうかく)を滅(ほろ)ぼした。趙右丞相張耳は趙王趙歇とともに逃走し鉅鹿城に入った。

王離圍之陳餘北收常山兵

秦将王離がこれを包囲(ほうい)した。趙大将軍陳余は北に常山の兵を収(おさ)め、

得數萬人軍鉅鹿北

数万人を得て、鉅鹿の北に軍営をしいた。

章邯軍鉅鹿南棘原筑甬道屬河

秦将章邯は鉅鹿の南の棘原に軍営をしき、甬道(兵糧を運んだ道)を河に並(なら)んで築(きず)き、

餉王離王離兵食多急攻鉅鹿

(鉅鹿城を包囲している)秦将王離に食糧を送り届けた。秦将王離の兵はたくさん食べて、急いで鉅鹿を攻(せ)めようとした。

鉅鹿城中食盡兵少張耳數使人召前陳餘

鉅鹿城の中は食糧が尽(つ)き、兵は少なく、趙右丞相張耳はたびたび人をつかわし趙大将軍陳余を前進させて召しよせさせたが、

陳餘自度兵少不敵秦不敢前

趙大将軍陳余はみずからを兵が少なく秦には敵(かな)わないとはかり、敢(あ)えて前進しなかった。

數月張耳大怒怨陳餘使張黶

数ヶ月して、趙右丞相張耳は大いに怒り、趙大将軍陳余を怨(うら)み、張黶、

陳澤往讓陳餘曰始吾與公為刎頸交

陳沢をつかわして趙大将軍陳余に往(い)かせしかり責めさせた、曰く、「以前、吾(われ)は公(こう)とともに刎頸(ふんけい)の交(まじ)わり(生死をともにする親交)を為した。

今王與耳旦暮且死而公擁兵數萬

今、王(趙王趙歇)はわたしとともに今にもまさに死なんとしているのに、公(こう)は兵を数万人かかえて、

不肯相救安在其相為死茍必信

相(あい)救(すく)うことをよしとしないのなら、どこにその相(あい)為(ため)に死することが在(あ)るだろうか。かりそめにも必ず信じ、

胡不赴秦軍俱死且有十一二相全

どうして秦軍に赴(おもむ)いてともに死なないのか?且(か)つ十に一、二の確率で相(あい)全(まっと)うすることを有(ゆう)するのだ」と。

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