正始六年樂浪太守劉茂
正始六年、楽浪(テジョン?)太守の劉茂
帶方太守弓遵以領東濊屬句麗
帯方(テグ? 音より 帯(タイ)→テ 方(ホウ)→フー→グ)太守の弓遵は、領東(単単大山領(ソベク山脈?)の東)の濊(アントン?)が句麗(ソウル?)に属したのを以て、
興師伐之不耐侯等舉邑降
師(軍)を興してこれを討伐し、不耐侯らは邑を挙げて降伏した。
其八年詣闕朝貢詔更拜不耐濊王
その八年、闕に詣で朝貢した。詔(みことのり)をして改めて不耐、濊王を拝(官をさずける)した。
居處雜在民間四時詣郡朝謁
居する処は雑(入り混じる)に民間に在る。四時(春夏秋冬)に郡に詣でて朝謁した。
二郡有軍征賦調供給役使遇之如民
二郡(楽浪、帯方)は軍征、賦調が有り、供給、役使はこれを遇するは民の如くした。
今日で三国志魏書 濊伝は終わりです。明日からは三国志魏書 韓伝に入ります。
正始六年、楽浪(テジョン?)太守の劉茂
帶方太守弓遵以領東濊屬句麗
帯方(テグ? 音より 帯(タイ)→テ 方(ホウ)→フー→グ)太守の弓遵は、領東(単単大山領(ソベク山脈?)の東)の濊(アントン?)が句麗(ソウル?)に属したのを以て、
興師伐之不耐侯等舉邑降
師(軍)を興してこれを討伐し、不耐侯らは邑を挙げて降伏した。
其八年詣闕朝貢詔更拜不耐濊王
その八年、闕に詣で朝貢した。詔(みことのり)をして改めて不耐、濊王を拝(官をさずける)した。
居處雜在民間四時詣郡朝謁
居する処は雑(入り混じる)に民間に在る。四時(春夏秋冬)に郡に詣でて朝謁した。
二郡有軍征賦調供給役使遇之如民
二郡(楽浪、帯方)は軍征、賦調が有り、供給、役使はこれを遇するは民の如くした。
今日で三国志魏書 濊伝は終わりです。明日からは三国志魏書 韓伝に入ります。