所以後三日而當狂者肝一絡連屬結絕乳下陽明
三日後にしてまさに精神が乱れるわけとは、肝の一絡脈がつづけざまに結(時に止まるが止まり方は一定しない)になって乳下陽明を絶(た)ち、
故絡絕開陽明脈陽明脈傷即當狂
故(ゆえ)に絡脈が絶(た)えて、陽明脈を開き、陽明脈が傷つけば、すなわちまさに精神が乱れるのです。
後五日死者肝與心相去五分
五日後に死んだのは、肝と心が相(あい)去ること五分で、
故曰五日盡盡即死矣
故(ゆえ)に曰く、五日して尽(つ)きると、尽(つ)きればすなわち死ぬのです。
齊中尉潘滿如病少腹痛臣意診其脈曰
斉中尉潘満如が少腹痛を病(や)み、わたしはその脈を診(み)て曰く、
遺積瘕也臣意即謂齊太仆臣饒
『遺積瘕であります』と。わたしはそこで斉太僕臣饒、
內史臣繇曰中尉不復自止於內則三十日死
斉内史臣繇に謂(い)いました、曰く、『中尉は自ら内(うち)に於いて止(や)み復(ふく)しません。すなわち三十日して死にます』と。
後二十餘日溲血死病得之酒且內
二十余日後に、血を便して死にました。病(やまい)は酒でまさに内(うち)に得たのです。
所以知潘滿如病者臣意切其脈深小
斉中尉潘満如の病(やまい)を知ったわけとは、わたしはその脈を診断して、深く小さく、
其卒然合合也是脾氣
その卒然とにわかに合合と脈が盛んになり、これは脾の気で、
右脈口氣至緊小見瘕氣也
右脈口の気がいたってぴんと張り小さく、瘕の気を見たからです。
以次相乘故三十日死
つぎつぎに相乗(そうじょう)するを以って、故(ゆえ)に三十日で死ぬと。
三陰俱摶者如法不俱摶者決在急期
三陰がともに摶(くるくるまわる意)するのは、脈法の如(ごと)くは、
ともに摶(くるくるまわる意)さないのは、急な最期(さいご)に在(あ)るを決め、
一摶一代者近也故其三陰摶溲血如前止
一摶(くるくるまわる意)一代(一定した間隔で途中で止まりまた動く)するのは、近いのである、と。
故(ゆえ)にその三陰が摶(くるくるまわる意)し、血を便して前(さき)に及んで死んだ(止=死?)のです。
三日後にしてまさに精神が乱れるわけとは、肝の一絡脈がつづけざまに結(時に止まるが止まり方は一定しない)になって乳下陽明を絶(た)ち、
故絡絕開陽明脈陽明脈傷即當狂
故(ゆえ)に絡脈が絶(た)えて、陽明脈を開き、陽明脈が傷つけば、すなわちまさに精神が乱れるのです。
後五日死者肝與心相去五分
五日後に死んだのは、肝と心が相(あい)去ること五分で、
故曰五日盡盡即死矣
故(ゆえ)に曰く、五日して尽(つ)きると、尽(つ)きればすなわち死ぬのです。
齊中尉潘滿如病少腹痛臣意診其脈曰
斉中尉潘満如が少腹痛を病(や)み、わたしはその脈を診(み)て曰く、
遺積瘕也臣意即謂齊太仆臣饒
『遺積瘕であります』と。わたしはそこで斉太僕臣饒、
內史臣繇曰中尉不復自止於內則三十日死
斉内史臣繇に謂(い)いました、曰く、『中尉は自ら内(うち)に於いて止(や)み復(ふく)しません。すなわち三十日して死にます』と。
後二十餘日溲血死病得之酒且內
二十余日後に、血を便して死にました。病(やまい)は酒でまさに内(うち)に得たのです。
所以知潘滿如病者臣意切其脈深小
斉中尉潘満如の病(やまい)を知ったわけとは、わたしはその脈を診断して、深く小さく、
其卒然合合也是脾氣
その卒然とにわかに合合と脈が盛んになり、これは脾の気で、
右脈口氣至緊小見瘕氣也
右脈口の気がいたってぴんと張り小さく、瘕の気を見たからです。
以次相乘故三十日死
つぎつぎに相乗(そうじょう)するを以って、故(ゆえ)に三十日で死ぬと。
三陰俱摶者如法不俱摶者決在急期
三陰がともに摶(くるくるまわる意)するのは、脈法の如(ごと)くは、
ともに摶(くるくるまわる意)さないのは、急な最期(さいご)に在(あ)るを決め、
一摶一代者近也故其三陰摶溲血如前止
一摶(くるくるまわる意)一代(一定した間隔で途中で止まりまた動く)するのは、近いのである、と。
故(ゆえ)にその三陰が摶(くるくるまわる意)し、血を便して前(さき)に及んで死んだ(止=死?)のです。