先是鮮卑慕容寶治中山為索虜所破東走黃龍
先(以前)、是(これ)、鮮卑の慕容宝は中山に治め、索虜の破る所と為って、東に黄龍に敗走した。
義熙初寶弟熙為其下馮跋所殺
義熙の初め、慕容宝の弟の熙がその下の馮跋の殺される所と為った。
跋自立為主自號燕王以其治黃龍城故謂之黃龍國
馮跋は自ら立って主と為り、自ら燕王を号した。その黄龍城を治めるを以てしたので、故(ゆえ)にこれを黄龍国と謂う。
跋死子弘立屢為索虜所攻不能下
馮跋が死に、子の弘が立った。屢(たびたび)索虜の攻める所と為ったが、下すことはできなかた。
太祖世每歲遣使獻方物
太祖(劉裕)の世は、毎年使者を遣わして方物を献じた。
先(以前)、是(これ)、鮮卑の慕容宝は中山に治め、索虜の破る所と為って、東に黄龍に敗走した。
義熙初寶弟熙為其下馮跋所殺
義熙の初め、慕容宝の弟の熙がその下の馮跋の殺される所と為った。
跋自立為主自號燕王以其治黃龍城故謂之黃龍國
馮跋は自ら立って主と為り、自ら燕王を号した。その黄龍城を治めるを以てしたので、故(ゆえ)にこれを黄龍国と謂う。
跋死子弘立屢為索虜所攻不能下
馮跋が死に、子の弘が立った。屢(たびたび)索虜の攻める所と為ったが、下すことはできなかた。
太祖世每歲遣使獻方物
太祖(劉裕)の世は、毎年使者を遣わして方物を献じた。