二十年倭國王濟遣使奉獻復以為安東將軍倭國王
二十年、倭国王済は使者を遣わして奉献した。復(また)、安東将軍、倭国王と為すを以てした。
二十八年加使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事安東將軍如故
二十八年、使持節、都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事を加え、安東将軍は故(以前)の如し。
并除所上二十三人軍郡
併せて上る所の二十三人を軍号(郡(グン)=号(ゴウ)?)に叙した。
濟死世子興遣使貢獻
済が死に、世子興は使者を遣わして貢献した。
世祖大明六年詔曰倭王世子興奕世載忠
世祖大明六年、詔して曰く、「倭王の世子興は奕世(代々)忠を載(おこなう)し、
作籓外海稟化寧境恭修貢職
藩を外海に作り、豊国(国を豊かにする 稟(ホン)=豊(ホウ)? 化(クヮ)=国(クオ)?)し、境界を寧(やすんじる)し、貢職を恭修(つつしんでおさめる)した。
新嗣邊業宜授爵號可安東將軍倭國王
新たに覇業(辺(ヘン)=覇(ハ)?)を嗣(つぐ)し、宜しく爵号を授けるべきで、安東将軍、倭国王がよろしい」と。
興死弟武立自稱使持節都督倭百濟新羅任那加羅秦韓慕韓七國諸軍事安東大將軍倭國王
世子興が死に、弟の武が立った。自ら使持節、都督倭百済新羅任那加羅秦韓慕韓七国諸軍事、安東大將軍、倭国王と称した。
二十年、倭国王済は使者を遣わして奉献した。復(また)、安東将軍、倭国王と為すを以てした。
二十八年加使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事安東將軍如故
二十八年、使持節、都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事を加え、安東将軍は故(以前)の如し。
并除所上二十三人軍郡
併せて上る所の二十三人を軍号(郡(グン)=号(ゴウ)?)に叙した。
濟死世子興遣使貢獻
済が死に、世子興は使者を遣わして貢献した。
世祖大明六年詔曰倭王世子興奕世載忠
世祖大明六年、詔して曰く、「倭王の世子興は奕世(代々)忠を載(おこなう)し、
作籓外海稟化寧境恭修貢職
藩を外海に作り、豊国(国を豊かにする 稟(ホン)=豊(ホウ)? 化(クヮ)=国(クオ)?)し、境界を寧(やすんじる)し、貢職を恭修(つつしんでおさめる)した。
新嗣邊業宜授爵號可安東將軍倭國王
新たに覇業(辺(ヘン)=覇(ハ)?)を嗣(つぐ)し、宜しく爵号を授けるべきで、安東将軍、倭国王がよろしい」と。
興死弟武立自稱使持節都督倭百濟新羅任那加羅秦韓慕韓七國諸軍事安東大將軍倭國王
世子興が死に、弟の武が立った。自ら使持節、都督倭百済新羅任那加羅秦韓慕韓七国諸軍事、安東大將軍、倭国王と称した。