齊丞相舍人奴從朝入宮
斉の丞相の舎人の下男が朝するに従(したが)って宮に入りました。
臣意見之食閨門外望其色有病氣
わたしはこれが城の小門の外で食べるのを見て、その顔色に病気が有るのを望(のぞ)み見ました。
臣意即告宦者平平好為脈
わたしはそこで宦者の平に告げました。宦者平は脈をみることを好(この)み、
學臣意所臣意即示之舍人奴病
わたしの所で学(まな)び、わたしはそこでこれに舎人の下男の病(やまい)を示(しめ)し、
告之曰此傷脾氣也
これに告げて曰く、『これは脾が傷ついている気である。
當至春鬲塞不通不能食飲
きっと春に至れば、鬲塞が不通(ふつう)になって、飲食ができなくなり、
法至夏泄血死宦者平即往告相曰
法では夏に至って血を排泄(はいせつ)して死ぬと』と。宦者平はそこで往(い)って
斉丞相に告げて、曰く、
君之舍人奴有病病重死期有日
『君の舎人の下男に病(やまい)が有り、病(やまい)は重く、死期には日(ひ)が有(あ)ります』と。
相君曰卿何以知之曰
斉丞相君曰く、「卿は何ものを以ってこれを知ったのか?』と。曰く、
君朝時入宮君之舍人奴盡食閨門外
『君が朝する時、宮に入り、君の舎人の下男が城の小門の外で食事を尽くし、
平與倉公立即示平曰病如是者死
わたしは倉公(淳于意)とともに立っており、そこでわたしに示(しめ)して曰く、
病(やまい)はこの者に死を及ぼすと』と。
相即召舍人(奴)而謂之曰
斉丞相はそこで舎人を召し寄せてこれに謂(い)いました、曰く、
公奴有病不舍人曰
『公の下男は病(やまい)が有るのかないのか?』と。舎人曰く、
奴無病身無痛者至春果病
『下男は病(やまい)いはありません。からだには痛いものはありません』と。春に至って
果(は)たして病(やまい)にかかりました。
至四月泄血死所以知奴病者
四月に至り、血を排泄(はいせつ)して死にました。下男の病(やまい)を知ったわけとは、
脾氣周乘五藏傷部而交故傷脾之色也
脾の気があまねく五臓に乗(の)り、部を傷(きず)つけて入り乱れ、故(ゆえ)に傷(きず)ついた脾の顔色だったのです。
望之殺然黃察之如死青之茲
これを望(のぞ)みみると殺然とした黄色で、これを察(さっ)するに死に及んで青くなることますますであろうと。
眾醫不知以為大蟲不知傷脾
多くの医者は知らず、大虫だと思って、傷(きず)ついた脾だとは知りませんでした。
所以至春死病者胃氣黃
春に至って死の病(やまい)となったわけとは、胃の気が黄色く、
黃者土氣也土不勝木故至春死
黄色とは土の気であり、土は木に勝(まさ)らず、故(ゆえ)に春に至れば死ぬと。
所以至夏死者脈法曰
夏に至って死んだわけとは、脈法で曰く、
病重而脈順清者曰內關
『病(やまい)が重くして脈が順清なものは、内関という』と。
內關之病人不知其所痛
内関の病(やまい)は、人はその痛(いた)いところを知らず、
心急然無苦若加以一病死中春
心が急然とせわしくなっても苦しくないのです。もしも一つの病(やまい)を以って加(くわ)われば
死は春の中ごろでしたが、
一愈順及一時其所以四月死者
いったん癒(い)えておだやかになるが、一時(いっとき)及び、その四月に死んだわけとは、
診其人時愈順愈順者人尚肥也
その人を診(み)た時、癒(い)えておだやかになっていたからです。癒(い)えておだやかになるのは、人は尚(なお)肥(こ)えるのです。
奴之病得之流汗數出
下男の病(やまい)は流汗がたびたび出ることから得て、
(灸)[炙]於火而以出見大風也
火に炙(あぶ)られて(汗を)出すを以って大風を見たのであります。
斉の丞相の舎人の下男が朝するに従(したが)って宮に入りました。
臣意見之食閨門外望其色有病氣
わたしはこれが城の小門の外で食べるのを見て、その顔色に病気が有るのを望(のぞ)み見ました。
臣意即告宦者平平好為脈
わたしはそこで宦者の平に告げました。宦者平は脈をみることを好(この)み、
學臣意所臣意即示之舍人奴病
わたしの所で学(まな)び、わたしはそこでこれに舎人の下男の病(やまい)を示(しめ)し、
告之曰此傷脾氣也
これに告げて曰く、『これは脾が傷ついている気である。
當至春鬲塞不通不能食飲
きっと春に至れば、鬲塞が不通(ふつう)になって、飲食ができなくなり、
法至夏泄血死宦者平即往告相曰
法では夏に至って血を排泄(はいせつ)して死ぬと』と。宦者平はそこで往(い)って
斉丞相に告げて、曰く、
君之舍人奴有病病重死期有日
『君の舎人の下男に病(やまい)が有り、病(やまい)は重く、死期には日(ひ)が有(あ)ります』と。
相君曰卿何以知之曰
斉丞相君曰く、「卿は何ものを以ってこれを知ったのか?』と。曰く、
君朝時入宮君之舍人奴盡食閨門外
『君が朝する時、宮に入り、君の舎人の下男が城の小門の外で食事を尽くし、
平與倉公立即示平曰病如是者死
わたしは倉公(淳于意)とともに立っており、そこでわたしに示(しめ)して曰く、
病(やまい)はこの者に死を及ぼすと』と。
相即召舍人(奴)而謂之曰
斉丞相はそこで舎人を召し寄せてこれに謂(い)いました、曰く、
公奴有病不舍人曰
『公の下男は病(やまい)が有るのかないのか?』と。舎人曰く、
奴無病身無痛者至春果病
『下男は病(やまい)いはありません。からだには痛いものはありません』と。春に至って
果(は)たして病(やまい)にかかりました。
至四月泄血死所以知奴病者
四月に至り、血を排泄(はいせつ)して死にました。下男の病(やまい)を知ったわけとは、
脾氣周乘五藏傷部而交故傷脾之色也
脾の気があまねく五臓に乗(の)り、部を傷(きず)つけて入り乱れ、故(ゆえ)に傷(きず)ついた脾の顔色だったのです。
望之殺然黃察之如死青之茲
これを望(のぞ)みみると殺然とした黄色で、これを察(さっ)するに死に及んで青くなることますますであろうと。
眾醫不知以為大蟲不知傷脾
多くの医者は知らず、大虫だと思って、傷(きず)ついた脾だとは知りませんでした。
所以至春死病者胃氣黃
春に至って死の病(やまい)となったわけとは、胃の気が黄色く、
黃者土氣也土不勝木故至春死
黄色とは土の気であり、土は木に勝(まさ)らず、故(ゆえ)に春に至れば死ぬと。
所以至夏死者脈法曰
夏に至って死んだわけとは、脈法で曰く、
病重而脈順清者曰內關
『病(やまい)が重くして脈が順清なものは、内関という』と。
內關之病人不知其所痛
内関の病(やまい)は、人はその痛(いた)いところを知らず、
心急然無苦若加以一病死中春
心が急然とせわしくなっても苦しくないのです。もしも一つの病(やまい)を以って加(くわ)われば
死は春の中ごろでしたが、
一愈順及一時其所以四月死者
いったん癒(い)えておだやかになるが、一時(いっとき)及び、その四月に死んだわけとは、
診其人時愈順愈順者人尚肥也
その人を診(み)た時、癒(い)えておだやかになっていたからです。癒(い)えておだやかになるのは、人は尚(なお)肥(こ)えるのです。
奴之病得之流汗數出
下男の病(やまい)は流汗がたびたび出ることから得て、
(灸)[炙]於火而以出見大風也
火に炙(あぶ)られて(汗を)出すを以って大風を見たのであります。