至孫高晉安帝義熙中始奉表通貢職
孫の高に至り、晋安帝義熙中に、奉表を始め貢職に通った。
歷宋齊並授爵位年百餘歲死
宋、斉を歴(へる)して、並びに爵位を授かり、百余才を重ねて(年(ネン)=稔(ネン)?)死んだ。
子雲齊隆昌中以為使持節散騎常侍都督營平二州征東大將軍樂浪公
子の雲は、斉の隆昌中、使持節、散騎常侍、都督栄、平二州、征東大将軍、楽浪公と為るを以てした。(栄州は字の通りヨンジュ?)
高祖即位進雲車騎大將軍
高祖(斉の明帝)が即位し、雲を車騎大将軍に進めた。
天監七年詔曰高驪王樂浪郡公雲乃誠款著貢驛相尋宜隆秩命式弘朝典
天監七年(梁の武帝)、詔して曰く、「高驪王楽浪郡公(楽浪郡はアントン?)雲は、乃ち誠款(まごころ)は著しく、貢職(駅(イー)=職(チー)?)は襲尋(うけつぐ 相(ショウ)=襲(シュウ)?)した。宜しく秩命を隆(たかめる)し、朝典を式弘(手本にして広める)するべし。
可撫東大將軍開府儀同三司持節常侍都督王並如故
撫東大将軍、開府儀同三司がよい。持節、常侍、都督、王は並びに故(以前)の如し」と。
十一年十五年累遣使貢獻
十一年、十五年、累(重ねて)使者を遣わし貢献した。
十七年雲死子安立
十七年、雲が死に、子の安が立った。
普通元年詔安纂襲封爵持節督營平二州諸軍事寧東將軍
普通元年、詔して、安は封爵,持節、督營、平二州諸軍事、寧東将軍を纂襲(うけつぐ)した。
七年安卒子延立遣使貢獻詔以延襲爵
七年、安が卒(なくなる)し、子の延が立った。使者を遣わし貢献した。詔して延を以て爵を襲(うけつぐ)した。
中大通四年六年大同元年七年累奉表獻方物
中大通四年、六年、大同元年、七年、累(重ねて)奉表し方物を献じた。
太清二年延卒詔以其子襲延爵位
太清二年、延が卒(なくなる)し、詔してその子を以て爵を襲延(うけつぐ)した。
今日で梁書 高句麗伝は終わりです。明日からは梁書 百済伝に入ります。
孫の高に至り、晋安帝義熙中に、奉表を始め貢職に通った。
歷宋齊並授爵位年百餘歲死
宋、斉を歴(へる)して、並びに爵位を授かり、百余才を重ねて(年(ネン)=稔(ネン)?)死んだ。
子雲齊隆昌中以為使持節散騎常侍都督營平二州征東大將軍樂浪公
子の雲は、斉の隆昌中、使持節、散騎常侍、都督栄、平二州、征東大将軍、楽浪公と為るを以てした。(栄州は字の通りヨンジュ?)
高祖即位進雲車騎大將軍
高祖(斉の明帝)が即位し、雲を車騎大将軍に進めた。
天監七年詔曰高驪王樂浪郡公雲乃誠款著貢驛相尋宜隆秩命式弘朝典
天監七年(梁の武帝)、詔して曰く、「高驪王楽浪郡公(楽浪郡はアントン?)雲は、乃ち誠款(まごころ)は著しく、貢職(駅(イー)=職(チー)?)は襲尋(うけつぐ 相(ショウ)=襲(シュウ)?)した。宜しく秩命を隆(たかめる)し、朝典を式弘(手本にして広める)するべし。
可撫東大將軍開府儀同三司持節常侍都督王並如故
撫東大将軍、開府儀同三司がよい。持節、常侍、都督、王は並びに故(以前)の如し」と。
十一年十五年累遣使貢獻
十一年、十五年、累(重ねて)使者を遣わし貢献した。
十七年雲死子安立
十七年、雲が死に、子の安が立った。
普通元年詔安纂襲封爵持節督營平二州諸軍事寧東將軍
普通元年、詔して、安は封爵,持節、督營、平二州諸軍事、寧東将軍を纂襲(うけつぐ)した。
七年安卒子延立遣使貢獻詔以延襲爵
七年、安が卒(なくなる)し、子の延が立った。使者を遣わし貢献した。詔して延を以て爵を襲(うけつぐ)した。
中大通四年六年大同元年七年累奉表獻方物
中大通四年、六年、大同元年、七年、累(重ねて)奉表し方物を献じた。
太清二年延卒詔以其子襲延爵位
太清二年、延が卒(なくなる)し、詔してその子を以て爵を襲延(うけつぐ)した。
今日で梁書 高句麗伝は終わりです。明日からは梁書 百済伝に入ります。