普通二年王餘隆始復遣使奉表
普通二年、王の余隆は復(また)使者を遣わし奉表を始めた。
稱累破句驪今始與通好而百濟更為彊國
称えて、「累(たびたび)句驪を破り、今、通好に与することを始める」と。而して、百済は更(あらためて)に強国に為った。
其年高祖詔曰行都督百濟諸軍事鎮東大將軍百濟王餘隆
その年、高祖は詔して曰く、「行都督百済諸軍事、鎮東大将軍、百済王余隆は、
守籓海外遠脩貢職迺誠款到朕有嘉焉
藩を海外(黄海の外)に守り、遠く貢職を脩(おさめる)し、迺(すなわち)誠款(まごころ)は到り、朕は嘉(よろこび)を有する。
宜率舊章授茲榮命可使持節都督百濟諸軍事寧東大將軍百濟王
宜しく旧章(昔からのしきたり)に率(したがう)い、栄命を授茲(増してさずける)する。使持節、都督百済諸軍事、寧東大将軍、百済王がよい」と。
五年隆死詔復以其子明為持節督百濟諸軍事綏東將軍百濟王
五年、隆が死に、詔して復(また)、その子の明を以て持節、督百済諸軍事、綏東将軍、百済王に為した。
普通二年、王の余隆は復(また)使者を遣わし奉表を始めた。
稱累破句驪今始與通好而百濟更為彊國
称えて、「累(たびたび)句驪を破り、今、通好に与することを始める」と。而して、百済は更(あらためて)に強国に為った。
其年高祖詔曰行都督百濟諸軍事鎮東大將軍百濟王餘隆
その年、高祖は詔して曰く、「行都督百済諸軍事、鎮東大将軍、百済王余隆は、
守籓海外遠脩貢職迺誠款到朕有嘉焉
藩を海外(黄海の外)に守り、遠く貢職を脩(おさめる)し、迺(すなわち)誠款(まごころ)は到り、朕は嘉(よろこび)を有する。
宜率舊章授茲榮命可使持節都督百濟諸軍事寧東大將軍百濟王
宜しく旧章(昔からのしきたり)に率(したがう)い、栄命を授茲(増してさずける)する。使持節、都督百済諸軍事、寧東大将軍、百済王がよい」と。
五年隆死詔復以其子明為持節督百濟諸軍事綏東將軍百濟王
五年、隆が死に、詔して復(また)、その子の明を以て持節、督百済諸軍事、綏東将軍、百済王に為した。