我是皇天之子母河伯女郎鄒牟王
「我は是(これ)、皇天の子で母は河伯女郎(オオハクチョウ?)の鄒牟王(チュモン)である。
爲我連葭浮龜
我の為に鮫(サメ おそらくチョウザメ?=鰉(コウ) 葭(チア)=鮫(チアオ)?)を連ね、縦(たて 亀(チュン)=縦(ツォン)?)に浮かべよ」と。
應聲即爲連葭浮龜
声に応じて即ち鮫(サメ おそらくチョウザメ?=鰉(コウ) 葭(チア)=鮫(チアオ)?)を連ね縦(たて 亀(チュン)=縦(ツォン)?)に浮かぶを為した。
然後造渡於沸流谷忽本西城山上而建都焉
然る後、沸流谷(夫余国(ピョンヤン)? 後漢書夫余国伝より)に渉渡(わたる 造(ソウ)=渉(ショウ)?)し、忽本西城山上にして都を建てたのである。
「我は是(これ)、皇天の子で母は河伯女郎(オオハクチョウ?)の鄒牟王(チュモン)である。
爲我連葭浮龜
我の為に鮫(サメ おそらくチョウザメ?=鰉(コウ) 葭(チア)=鮫(チアオ)?)を連ね、縦(たて 亀(チュン)=縦(ツォン)?)に浮かべよ」と。
應聲即爲連葭浮龜
声に応じて即ち鮫(サメ おそらくチョウザメ?=鰉(コウ) 葭(チア)=鮫(チアオ)?)を連ね縦(たて 亀(チュン)=縦(ツォン)?)に浮かぶを為した。
然後造渡於沸流谷忽本西城山上而建都焉
然る後、沸流谷(夫余国(ピョンヤン)? 後漢書夫余国伝より)に渉渡(わたる 造(ソウ)=渉(ショウ)?)し、忽本西城山上にして都を建てたのである。