問臣意知文王所以得病不起之狀
臣意(淳于意)に問うた、「斉文王が立ち上がれない状態に病(や)むを得たわけを知っているか?」
臣意對曰不見文王病
臣意(淳于意)は応(こた)えて曰く、「斉文王の病を見ていませんが、
然竊聞文王病喘頭痛目不明
然(しか)るにひそかに聞くに、斉文王の病は咳(せき)、頭痛、視力がないと。
臣意心論之以為非病也
わたしの心はこれを論ずるに、病(やまい)ではないと思うのであります。
以為肥而蓄精身體不得搖
肥(こ)えて精を蓄(たくわ)えるを以ってして、身体を動かすことを得なければ、
骨肉不相任故喘不當醫治
骨、肉が相(あい)つとめず、故(ゆえ)に咳(せき)をするのであって、医者が治療するには当たりません。
脈法曰年二十脈氣當趨
脈法曰く『年二十歳の脈気はまさに小走りで、
年三十當疾步年四十當安坐
年三十歳はまさに速歩きで、年四十歳はまさに安座(あんざ)で、
年五十當安臥年六十已上氣當大董
年五十歳はまさに安臥(あんが)であり、年六十以上の気はまさに大いに深くかくすである』と。
文王年未滿二十方脈氣之趨也而徐之
斉文王の年は未(ま)だ二十に満(み)たず、まさに脈気は小走りでありて、これをゆっくりに
するは、
不應天道四時後聞醫灸之即篤
天(てん)が四時(四季または朝、昼、夕、夜)を導(みちび)くに応(おう)じていません。後に聞きました、医者がこれに灸(きゅう)をしてすぐに病気が重くなったと。
此論病之過也臣意論之
これは病(やまい)を論ずるの過(あやま)ちであります。わたしはこれを論ずるに、
以為神氣爭而邪氣入非年少所能復之也
神気が争って邪気が入ったと思い、年若いものはこれを復(ふく)することができるところではないのであり、
以故死所謂氣者當調飲食
故(ゆえ)を以って死ぬのです。所謂(いわゆる)気とは、飲食をほどよくしたり、
擇晏日車步廣志以適筋骨肉血脈
晴れの日を選んだり、車や足で志(こころざし)を広めたりするに当(あ)たり、筋、骨、肉、血脈をほどよくするを以って、
以瀉氣故年二十是謂易眢
気を注(そそ)ぐを以ってするのです。故(ゆえ)に年二十歳は、ここに『水のかれた井戸になりがちである』と謂(い)い、
法不當砭灸砭灸至氣逐
法は砭(いしばり)灸(きゅう)を当てません。砭(いしばり)灸(きゅう)は気が追い払われてしまうに至るのです」と。
臣意(淳于意)に問うた、「斉文王が立ち上がれない状態に病(や)むを得たわけを知っているか?」
臣意對曰不見文王病
臣意(淳于意)は応(こた)えて曰く、「斉文王の病を見ていませんが、
然竊聞文王病喘頭痛目不明
然(しか)るにひそかに聞くに、斉文王の病は咳(せき)、頭痛、視力がないと。
臣意心論之以為非病也
わたしの心はこれを論ずるに、病(やまい)ではないと思うのであります。
以為肥而蓄精身體不得搖
肥(こ)えて精を蓄(たくわ)えるを以ってして、身体を動かすことを得なければ、
骨肉不相任故喘不當醫治
骨、肉が相(あい)つとめず、故(ゆえ)に咳(せき)をするのであって、医者が治療するには当たりません。
脈法曰年二十脈氣當趨
脈法曰く『年二十歳の脈気はまさに小走りで、
年三十當疾步年四十當安坐
年三十歳はまさに速歩きで、年四十歳はまさに安座(あんざ)で、
年五十當安臥年六十已上氣當大董
年五十歳はまさに安臥(あんが)であり、年六十以上の気はまさに大いに深くかくすである』と。
文王年未滿二十方脈氣之趨也而徐之
斉文王の年は未(ま)だ二十に満(み)たず、まさに脈気は小走りでありて、これをゆっくりに
するは、
不應天道四時後聞醫灸之即篤
天(てん)が四時(四季または朝、昼、夕、夜)を導(みちび)くに応(おう)じていません。後に聞きました、医者がこれに灸(きゅう)をしてすぐに病気が重くなったと。
此論病之過也臣意論之
これは病(やまい)を論ずるの過(あやま)ちであります。わたしはこれを論ずるに、
以為神氣爭而邪氣入非年少所能復之也
神気が争って邪気が入ったと思い、年若いものはこれを復(ふく)することができるところではないのであり、
以故死所謂氣者當調飲食
故(ゆえ)を以って死ぬのです。所謂(いわゆる)気とは、飲食をほどよくしたり、
擇晏日車步廣志以適筋骨肉血脈
晴れの日を選んだり、車や足で志(こころざし)を広めたりするに当(あ)たり、筋、骨、肉、血脈をほどよくするを以って、
以瀉氣故年二十是謂易眢
気を注(そそ)ぐを以ってするのです。故(ゆえ)に年二十歳は、ここに『水のかれた井戸になりがちである』と謂(い)い、
法不當砭灸砭灸至氣逐
法は砭(いしばり)灸(きゅう)を当てません。砭(いしばり)灸(きゅう)は気が追い払われてしまうに至るのです」と。