問臣意師慶安受之聞於齊諸侯不
臣意(淳于意)に問うた、「先生の陽慶はいずこでこれをさずかったのか?斉の諸侯に於いて聞こえがあったのかなかったのか?」と。
對曰不知慶所師受
応(こた)えて曰く、「陽慶が習いさずかったところは知りません。
慶家富善為醫不肯為人治病當以此故不
陽慶の家は裕福で医を為すを善(よ)くし、人の為に病を治(なお)すことをよしとせず、まさに故(ゆえ)を以って知りませんでした。
慶又告臣意曰慎毋令我子孫知若學我方也
陽慶もまたわたしに告げて曰く、『慎(つつし)んで、我(わ)が子孫に、なんじが我(わ)が
医術を学んだことを知らせることなかれ』と。
問臣意師慶何見於意而愛意欲悉教意方
臣意(淳于意)に問うた、「先生の陽慶はどうしてそなたに見(まみ)え、そしてそなたを愛(まな)で、ことごとくそなたに医術を教えようと欲したのか?」と。
對曰臣意不聞師慶為方善也
応(こた)えて曰く、「わたしは、先生の陽慶が医術を善(よ)く為していたことを聞いていませんでした。
意所以知慶者意少時好諸方事
わたしが陽慶を知ったわけとは、わたしが若かった時、諸(もろもろ)の医術の事を好み、
臣意試其方皆多驗精良
わたしはその医術を試(ため)し、皆(みな)すぐれて良い効能が多かったのです。(或いは前述により多不験?)
臣意聞菑川唐裏公孫光善為古傳方
わたしは菑川の唐里の公孫光が善(よ)く古伝の医術を為すと聞き、
臣意即往謁之得見事之
わたしはそこで往(い)ってこれに謁見しました。これに仕(つか)えることになるを得て、
受方化陰陽及傳語法臣意悉受書之
方化陰陽、及び伝語法をさずかり、わたしはことごとくこれを書いて学びました。
臣意欲盡受他精方公孫光曰
わたしはことごとく他(ほか)のすぐれた医術を学ぶことを欲し、公孫光曰く、
吾方盡矣不為愛公所
『吾(われ)の医術は尽(つ)くされ、公のところを惜(お)しんではいない。
吾身已衰無所復事之
吾(わ)が身はすでに衰(おとろ)え、これにふたたび仕(つか)えるところは無い。
是吾年少所受妙方也悉與公毋以教人
これは吾(われ)が年若いときにすぐれた医術をさずかったところであり、ことごとく公に与えたので、
人に教えるを以ってすることなかれ』と。
臣意曰得見事侍公前
わたしは曰く、『公の御前に侍(はべ)り仕(つか)えることになるを得て、
悉得禁方幸甚意死不敢妄傳人
ことごとく秘伝の医術を得て、幸いなること甚(はなは)だであります。わたしは決して敢(あ)えてみだりに人に伝たりしません』と。
居有公孫光處臣意深論方
居(お)ることしばらくして、公孫光が人払いをして、わたしは医術を論ずるを深め、
見言百世為之精也師光喜曰
百世がこれを奥深く為すと言うを見ました。先生の公孫光は喜んで曰く、
公必為國工吾有所善者皆疏
『公は必ず国の医者に為るだろう。吾(われ)には仲良くするところの者が有り、皆(みな)疎遠(そえん)であり、
同產處臨菑善為方吾不若
臨菑に産(う)まれた処(ところ)を同じにし、善(よ)く医術を為し、吾(われ)は及ばず、
其方甚奇非世之所聞也
その医術ははなはだすぐれているが、世間の聞こえるところではないのである。
吾年中時嘗欲受其方楊中倩不肯
吾(わ)が年が中年の時、嘗(かつ)てその医術をさずかることを欲したが、楊中倩がよしとせず、
曰若非其人也胥與公往見之
曰く、『なんじはその人では非(あら)ざるなり』と。ともに公と往(ゆ)きこれに見(まみ)え、
當知公喜方也其人亦老矣其家給富
まさに公が喜ぶ医術を知るだろう。その人もまた老いており、その家は余裕が十分にある』と。
時者未往會慶子男殷來獻馬
時に未(ま)だ往(ゆ)かないうちに、ちょうどこのとき、陽慶の息子の陽殷が馬を献(けん)じに来ました。
因師光奏馬王所意以故得與殷善
因(よ)りて先生の公孫光は相手の所に馬を走らせ、わたしは故(ゆえ)を以って陽殷と仲良くするを
得ました。
光又屬意於殷曰意好數
公孫光もまたわたしを陽殷に於いてたのんで曰く、「淳于意は技術を好み、
公必謹遇之其人聖儒
公はかならず謹(つつし)んでこれを待遇(たいぐう)してください。その聡明でおだやかな人です』と。
即為書以意屬陽慶以故知慶
そこで書状をつくって、わたしを以って陽慶にたのみ、故(ゆえ)を以って陽慶を知ったのです。
臣意事慶謹以故愛意也
わたしは陽慶に謹(つつし)んで仕(つか)え、故(ゆえ)を以ってわたしを愛(まな)でたのであります」と。
臣意(淳于意)に問うた、「先生の陽慶はいずこでこれをさずかったのか?斉の諸侯に於いて聞こえがあったのかなかったのか?」と。
對曰不知慶所師受
応(こた)えて曰く、「陽慶が習いさずかったところは知りません。
慶家富善為醫不肯為人治病當以此故不
陽慶の家は裕福で医を為すを善(よ)くし、人の為に病を治(なお)すことをよしとせず、まさに故(ゆえ)を以って知りませんでした。
慶又告臣意曰慎毋令我子孫知若學我方也
陽慶もまたわたしに告げて曰く、『慎(つつし)んで、我(わ)が子孫に、なんじが我(わ)が
医術を学んだことを知らせることなかれ』と。
問臣意師慶何見於意而愛意欲悉教意方
臣意(淳于意)に問うた、「先生の陽慶はどうしてそなたに見(まみ)え、そしてそなたを愛(まな)で、ことごとくそなたに医術を教えようと欲したのか?」と。
對曰臣意不聞師慶為方善也
応(こた)えて曰く、「わたしは、先生の陽慶が医術を善(よ)く為していたことを聞いていませんでした。
意所以知慶者意少時好諸方事
わたしが陽慶を知ったわけとは、わたしが若かった時、諸(もろもろ)の医術の事を好み、
臣意試其方皆多驗精良
わたしはその医術を試(ため)し、皆(みな)すぐれて良い効能が多かったのです。(或いは前述により多不験?)
臣意聞菑川唐裏公孫光善為古傳方
わたしは菑川の唐里の公孫光が善(よ)く古伝の医術を為すと聞き、
臣意即往謁之得見事之
わたしはそこで往(い)ってこれに謁見しました。これに仕(つか)えることになるを得て、
受方化陰陽及傳語法臣意悉受書之
方化陰陽、及び伝語法をさずかり、わたしはことごとくこれを書いて学びました。
臣意欲盡受他精方公孫光曰
わたしはことごとく他(ほか)のすぐれた医術を学ぶことを欲し、公孫光曰く、
吾方盡矣不為愛公所
『吾(われ)の医術は尽(つ)くされ、公のところを惜(お)しんではいない。
吾身已衰無所復事之
吾(わ)が身はすでに衰(おとろ)え、これにふたたび仕(つか)えるところは無い。
是吾年少所受妙方也悉與公毋以教人
これは吾(われ)が年若いときにすぐれた医術をさずかったところであり、ことごとく公に与えたので、
人に教えるを以ってすることなかれ』と。
臣意曰得見事侍公前
わたしは曰く、『公の御前に侍(はべ)り仕(つか)えることになるを得て、
悉得禁方幸甚意死不敢妄傳人
ことごとく秘伝の医術を得て、幸いなること甚(はなは)だであります。わたしは決して敢(あ)えてみだりに人に伝たりしません』と。
居有公孫光處臣意深論方
居(お)ることしばらくして、公孫光が人払いをして、わたしは医術を論ずるを深め、
見言百世為之精也師光喜曰
百世がこれを奥深く為すと言うを見ました。先生の公孫光は喜んで曰く、
公必為國工吾有所善者皆疏
『公は必ず国の医者に為るだろう。吾(われ)には仲良くするところの者が有り、皆(みな)疎遠(そえん)であり、
同產處臨菑善為方吾不若
臨菑に産(う)まれた処(ところ)を同じにし、善(よ)く医術を為し、吾(われ)は及ばず、
其方甚奇非世之所聞也
その医術ははなはだすぐれているが、世間の聞こえるところではないのである。
吾年中時嘗欲受其方楊中倩不肯
吾(わ)が年が中年の時、嘗(かつ)てその医術をさずかることを欲したが、楊中倩がよしとせず、
曰若非其人也胥與公往見之
曰く、『なんじはその人では非(あら)ざるなり』と。ともに公と往(ゆ)きこれに見(まみ)え、
當知公喜方也其人亦老矣其家給富
まさに公が喜ぶ医術を知るだろう。その人もまた老いており、その家は余裕が十分にある』と。
時者未往會慶子男殷來獻馬
時に未(ま)だ往(ゆ)かないうちに、ちょうどこのとき、陽慶の息子の陽殷が馬を献(けん)じに来ました。
因師光奏馬王所意以故得與殷善
因(よ)りて先生の公孫光は相手の所に馬を走らせ、わたしは故(ゆえ)を以って陽殷と仲良くするを
得ました。
光又屬意於殷曰意好數
公孫光もまたわたしを陽殷に於いてたのんで曰く、「淳于意は技術を好み、
公必謹遇之其人聖儒
公はかならず謹(つつし)んでこれを待遇(たいぐう)してください。その聡明でおだやかな人です』と。
即為書以意屬陽慶以故知慶
そこで書状をつくって、わたしを以って陽慶にたのみ、故(ゆえ)を以って陽慶を知ったのです。
臣意事慶謹以故愛意也
わたしは陽慶に謹(つつし)んで仕(つか)え、故(ゆえ)を以ってわたしを愛(まな)でたのであります」と。