問臣意曰吏民嘗有事學意方
臣意(淳于意)に問うた「役人、民で嘗(かつ)てなんじの医術を学び仕(つか)えたものは有ったのか、
及畢盡得意方不何縣里人
及び、なんじの医術を得て、尽(つ)くし終わったのか?終わらなかったのか?何県何里の人か?」と。
對曰臨菑人宋邑邑學
応(こた)えて曰く、「臨菑の人の宋邑です。宋邑が学び、
臣意教以五診歲餘
わたしは教えるに五診を以ってすること一年余りでした。
濟北王遣太醫高期王禹學
済北王が太医高期、王禹を遣(つか)わし学ばせ、
臣意教以經脈高下及奇絡結
わたしは教えるに経脈高下及び、奇絡結を以ってしました。
當論俞所居及氣當上下出入邪[正]逆順
論(ろん)ずるに当たり、居(お)るところ愈々(いよいよ)で、気(き)に及んでまさに上下、出入、正邪、逆順を論(ろん)じました。
以宜鑱石定砭灸處歲餘
鍼(はり)を宜(よろ)しくし、砭(いしばり)灸(きゅう)する処(ところ)を定(さだ)めるを
以ってして一年余りでした。
菑川王時遣太倉馬長馮信正方
菑川王が時々、太倉馬長馮信を遣(つか)わし医術を正(ただ)させ、
臣意教以案法逆順論藥法
わたしは教えるに、法、逆順を案(あん)じ、薬法を論(ろん)じ、
定五味及和齊湯法高永侯家丞杜信
五味を定(さだ)め、及び斉湯法をととのえるを以ってしました。高永侯家丞の杜信は、
喜脈來學臣意教以上下經脈五診二歲餘
脈を喜び、学びに来て、わたしは教えるに上下経脈、五診を以ってして、二年余りでした。
臨菑召裏唐安來學臣意教以五診上下經脈
臨菑の召里の唐安が学びに来て、わたしは教えるに五診、上下経脈、
奇咳四時應陰陽重未成除為齊王侍醫
奇咳術、四時応陰陽重を以ってしましたが、未(ま)だ成就(じょうじゅ)しないうちに、任官されて斉王の侍医に為りました」と。
問臣意診病決死生能全無失乎
臣意(淳于意)に問うた、「病(やまい)を診(み)て死生を決するは、完全にできて失敗は無いのか?」と。
臣意對曰意治病人必先切其脈乃治之
臣意(淳于意)は応(こた)えて曰く、「わたしは病人を治(なお)すとき、必ず先(さき)にその脈を診断して、そこでこれを治(なお)します。
敗逆者不可治其順者乃治之心不精脈
敗(やぶ)れて道理に逆(さか)らっている者は治(なお)すことができず、その道理に従っている者は
すなわちこれを治(なお)します。心臓が脈を詳(くわ)しくしないとき、
所期死生視可治時時失之臣意不能全也
死生を期(き)し、治(なお)すべきを視(み)るところは、時々これを失敗し、わたしは完全にすることはできないのであります」と。
太史公曰女無美惡居宮見妒
太史公曰く、「女は美醜無く、宮に居(お)れば、妬(ねた)みの目にあい、
士無賢不肖入朝見疑
士は賢、不肖(ふしょう)無く、朝廷に入れば疑いの目にあう。
故扁鵲以其伎見殃
故(ゆえ)に扁鵲はその技術を以ってわざわいの目にあい、
倉公乃匿跡自隱而當刑
倉公(淳于意)はすなわち足あとをおおいかくして、自らを隠(かく)したが、刑に当てられた。
緹縈通尺牘父得以後寧
緹縈(娘の名)が尺牘(せきとく 手紙)を通(かよ)わせて、父(ちち)は得(え)るに後(のち)の安寧(あんねい)を以ってした。
故老子曰美好者不祥之器
故(ゆえ)に老子曰く、すぐれた者は不祥(ふしょう)の器(うつわ)である、と。
豈謂扁鵲等邪
扁鵲らのことを謂(い)うのではなかろうか。
若倉公者可謂近之矣
倉公(淳于意)のごとくの者は、これに近(ちか)いと謂(い)うべきだろうか」と。
今日で史記 扁鵲倉公列伝は終わりです。明日からは、史記 呉王濞列伝に入ります。
臣意(淳于意)に問うた「役人、民で嘗(かつ)てなんじの医術を学び仕(つか)えたものは有ったのか、
及畢盡得意方不何縣里人
及び、なんじの医術を得て、尽(つ)くし終わったのか?終わらなかったのか?何県何里の人か?」と。
對曰臨菑人宋邑邑學
応(こた)えて曰く、「臨菑の人の宋邑です。宋邑が学び、
臣意教以五診歲餘
わたしは教えるに五診を以ってすること一年余りでした。
濟北王遣太醫高期王禹學
済北王が太医高期、王禹を遣(つか)わし学ばせ、
臣意教以經脈高下及奇絡結
わたしは教えるに経脈高下及び、奇絡結を以ってしました。
當論俞所居及氣當上下出入邪[正]逆順
論(ろん)ずるに当たり、居(お)るところ愈々(いよいよ)で、気(き)に及んでまさに上下、出入、正邪、逆順を論(ろん)じました。
以宜鑱石定砭灸處歲餘
鍼(はり)を宜(よろ)しくし、砭(いしばり)灸(きゅう)する処(ところ)を定(さだ)めるを
以ってして一年余りでした。
菑川王時遣太倉馬長馮信正方
菑川王が時々、太倉馬長馮信を遣(つか)わし医術を正(ただ)させ、
臣意教以案法逆順論藥法
わたしは教えるに、法、逆順を案(あん)じ、薬法を論(ろん)じ、
定五味及和齊湯法高永侯家丞杜信
五味を定(さだ)め、及び斉湯法をととのえるを以ってしました。高永侯家丞の杜信は、
喜脈來學臣意教以上下經脈五診二歲餘
脈を喜び、学びに来て、わたしは教えるに上下経脈、五診を以ってして、二年余りでした。
臨菑召裏唐安來學臣意教以五診上下經脈
臨菑の召里の唐安が学びに来て、わたしは教えるに五診、上下経脈、
奇咳四時應陰陽重未成除為齊王侍醫
奇咳術、四時応陰陽重を以ってしましたが、未(ま)だ成就(じょうじゅ)しないうちに、任官されて斉王の侍医に為りました」と。
問臣意診病決死生能全無失乎
臣意(淳于意)に問うた、「病(やまい)を診(み)て死生を決するは、完全にできて失敗は無いのか?」と。
臣意對曰意治病人必先切其脈乃治之
臣意(淳于意)は応(こた)えて曰く、「わたしは病人を治(なお)すとき、必ず先(さき)にその脈を診断して、そこでこれを治(なお)します。
敗逆者不可治其順者乃治之心不精脈
敗(やぶ)れて道理に逆(さか)らっている者は治(なお)すことができず、その道理に従っている者は
すなわちこれを治(なお)します。心臓が脈を詳(くわ)しくしないとき、
所期死生視可治時時失之臣意不能全也
死生を期(き)し、治(なお)すべきを視(み)るところは、時々これを失敗し、わたしは完全にすることはできないのであります」と。
太史公曰女無美惡居宮見妒
太史公曰く、「女は美醜無く、宮に居(お)れば、妬(ねた)みの目にあい、
士無賢不肖入朝見疑
士は賢、不肖(ふしょう)無く、朝廷に入れば疑いの目にあう。
故扁鵲以其伎見殃
故(ゆえ)に扁鵲はその技術を以ってわざわいの目にあい、
倉公乃匿跡自隱而當刑
倉公(淳于意)はすなわち足あとをおおいかくして、自らを隠(かく)したが、刑に当てられた。
緹縈通尺牘父得以後寧
緹縈(娘の名)が尺牘(せきとく 手紙)を通(かよ)わせて、父(ちち)は得(え)るに後(のち)の安寧(あんねい)を以ってした。
故老子曰美好者不祥之器
故(ゆえ)に老子曰く、すぐれた者は不祥(ふしょう)の器(うつわ)である、と。
豈謂扁鵲等邪
扁鵲らのことを謂(い)うのではなかろうか。
若倉公者可謂近之矣
倉公(淳于意)のごとくの者は、これに近(ちか)いと謂(い)うべきだろうか」と。
今日で史記 扁鵲倉公列伝は終わりです。明日からは、史記 呉王濞列伝に入ります。