開皇初其王餘昌遣使貢方物
開皇(581年~600年)の初め、その王の余昌は使者を遣わし方物を貢いだ。
拜昌為上開府帶方郡公百濟王
昌を拝して上開府、帯方郡公、百済王と為した。
其國東西四百五十里南北九百餘里
その国の東西は四百五十里(一里150m換算で約67.5辧法南北九百余里(一里150m換算で約135厖召蝓法
南接新羅北拒高麗其都曰居拔城
南(東南? 梁書新羅伝より)に新羅に席(位置する 接(セツ)=席(セキ)?)し、北に高麗を拒む。その都は曰く、居抜城(おそらくチョンジュ?)と。
官有十六品長曰左平次大率次恩率次率次桿率次奈率次將服紫帶
官には十六品が有って、長は曰く左平と。次は大率、次は恩率、次は徳率、次は桿率、次は奈率、次は将徳で、紫の帯を服(つける)する。
次施皁帶次固赤帶次李青帶
次は施徳で、皁(黒い)の帯、次は固徳で,赤い帯、次は李徳で青い帯、
次對以下皆黃帶次文督次武督次佐軍次振武次克虞皆用白帶
次は対徳で、以下皆、黄の帯で、次は文督、次は武督、次は佐軍、次は振武、次は克虞で皆、白い帯を容(ゆるす 用(ヨウ)=容(ヨウ)?)す。
其冠制並同唯奈率以上飾以銀花
その冠の制(かたち)は並(みな)同じで、唯(ただ)、奈率以上は銀の花を以て飾る
開皇(581年~600年)の初め、その王の余昌は使者を遣わし方物を貢いだ。
拜昌為上開府帶方郡公百濟王
昌を拝して上開府、帯方郡公、百済王と為した。
其國東西四百五十里南北九百餘里
その国の東西は四百五十里(一里150m換算で約67.5辧法南北九百余里(一里150m換算で約135厖召蝓法
南接新羅北拒高麗其都曰居拔城
南(東南? 梁書新羅伝より)に新羅に席(位置する 接(セツ)=席(セキ)?)し、北に高麗を拒む。その都は曰く、居抜城(おそらくチョンジュ?)と。
官有十六品長曰左平次大率次恩率次率次桿率次奈率次將服紫帶
官には十六品が有って、長は曰く左平と。次は大率、次は恩率、次は徳率、次は桿率、次は奈率、次は将徳で、紫の帯を服(つける)する。
次施皁帶次固赤帶次李青帶
次は施徳で、皁(黒い)の帯、次は固徳で,赤い帯、次は李徳で青い帯、
次對以下皆黃帶次文督次武督次佐軍次振武次克虞皆用白帶
次は対徳で、以下皆、黄の帯で、次は文督、次は武督、次は佐軍、次は振武、次は克虞で皆、白い帯を容(ゆるす 用(ヨウ)=容(ヨウ)?)す。
其冠制並同唯奈率以上飾以銀花
その冠の制(かたち)は並(みな)同じで、唯(ただ)、奈率以上は銀の花を以て飾る