明年元率靺鞨之眾萬餘騎
明年元率靺鞨之眾萬餘騎寇遼西 明くる年、元は靺鞨(=古の肅慎(後出より)=挹婁 (ウォンサン?)後漢書より)の衆、一万余騎を率いて遼西(領西(ソベク山脈の西?)を寇した。 營州總管韋沖擊走之 営州総管韋沖がこれを撃走した。 高祖聞而大怒命漢王諒為元帥 隋高祖は聞きて大いに怒り、漢王諒に命じて元帥と為し、 總水陸討之下詔黜其爵位...
View Article時饋運不繼
時饋運不繼六軍乏食 時に饋運(食糧を運ぶ)は継(受け継ぐ)されず、六軍(天子の軍隊)は食を乏(足りない)し、 師出臨渝關復遇疾疫王師不振 師(軍隊)は臨渝関を出で、復(また)疾疫に遇(あう)し、王師(帝王の率いる軍隊)は振るわれず。 及次遼水元亦惶懼 遼水に次(駐屯する)するに及んで、元は亦(また)惶懼(おそれる)し、 遣使謝罪上表稱遼東糞土臣元雲云...
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煬帝嗣位天下全盛 煬帝(隋第二代皇帝)が位を嗣(つぐ)し、天下全盛で、 高昌王突厥啟人可汗並親詣闕貢獻 高昌王(西夷)、突厥啟人可汗(北夷)が並びに親(みずから)に闕に詣で貢献した。 於是徵元入朝元懼籓禮頗闕 ここに於いて元(高句麗(東夷))に入朝を徴(もとめる)した。元は懼(おそれる)して藩礼が頗る闕(欠ける)した。
View Article大業七年帝將討元之罪
大業七年帝將討元之罪 大業七年、帝は将(まさ)に元の罪を討たんとして、 車駕渡遼水上營於遼東城 車駕は遼水(ナクトン川?=海水?(倭人伝より) 遼(リョウ→ボウ)=海(バイ)?)を渡り、止(とどまる 上=止?)(北史より))まって遼東城(=尚州辺り? 遼は領と読めてソベク山脈の東? 洛東江(ナクトン川)は遼東江とも書けます)に軍営し、 分道出師各頓兵於其城下...
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帝令諸軍攻之又敕諸將 帝は諸軍に令してこれを攻めさせ、また諸将に勅(みことのり)して、 高麗若降者即宜撫納不得縱兵 「高麗が、降服におよばんと(若=およぶ)すれば、即ち宜しく撫納(おちつかせ終わりにする)するべきで、兵を縦(はなつ)することを得ず」と。 城將陷賊輒言請降 城が将(まさ)に陥(攻め落とされる)されんとすると、賊は輒(そのたびごとに)に降服を請うを言い、 諸將奉旨不敢赴機先令馳奏...
View Article比報至賊守禦亦備
比報至賊守禦亦備隨出拒戰 報告が至るころ、賊の守禦も亦(また)備わり、随(まにまに)に拒戰(ふせぎたたかう)を出だした。 如此者再三帝不悟 此の如くするのは、再三(二、三度)したが、帝は悟らず。 由是食盡師老轉輸不繼 是に由り食は尽きて、師(軍隊)は労(つかれる 老(ロウ)=労(ロウ)?)し、転輸は継がれず、 諸軍多敗績於是班師 諸軍は多くが敗績(大敗)し、ここに於いて師(軍隊)を返(もとにもどす...
View Article九年帝復親征之
九年帝復親征之乃敕諸軍以便宜從事 九年、帝は復(また)親(みずから)にこれを討ちに行き、乃ち諸軍に勅(みことのり)し、便宜を以て従事させた。 諸將分道攻城賊勢日蹙 諸の将軍は道を分けて城を攻め、賊の勢いは日に日に蹙(きわまる)した。 會楊玄感作亂反書至 会(ちょうどこのとき)、楊玄感が作乱し、反書(=奔書(はやい手紙)? 反(ホン)=奔(ホン)?)が至り、 帝大懼即日六軍並還...
View Article兵部侍郎斛斯政亡入高麗
兵部侍郎斛斯政亡入高麗高麗具知事實 兵部侍郎斛斯政が高麗に亡入(逃げ入る)した。高麗は具に事実を知った。 悉銳來追殿軍多敗 鋭利(切れ味がするどい 来(ライ)=利(リー)?)を悉くして追いかけ、殿軍は多くが敗けた。 十年又發天下兵會盜賊蜂起 十年、また天下の兵を発した。会(ちょうどそのとき)、盗賊が蜂起して、 人多流亡所在阻絕軍多失期...
View Article仍以俘囚軍實歸
仍以俘囚軍實歸 仍(すなわち)、俘囚(捕虜)を以て、軍は即(すぐに 実(シー)=即(チー)?)に帰った。 至京師以高麗使者親告於太廟因拘留之 京師に至り、高麗使者を以て太廟に於いて親(みずから)告(さとす)し、因りてこれを拘留し、 仍徵元入朝元竟不至 仍(すなわち)元に入朝を徴(もとめる)したが、元は竟(とうとう)至らず。 帝敕諸軍嚴裝更圖後舉 帝は諸軍に厳装を敕(みことのり)し、更に後挙を図った。...
View Article隋書 百済伝 始め
百濟百濟之先出自高麗國 百済、百済の先は、丱離国(北夷 梁書高句麗伝より 高(コウ)=丱(コワン)? 麗(リ)=離(リ)?)より出でる。 其國王有一侍婢忽懷孕王欲殺之 その国王にはある侍婢がいて、忽(とつぜん)に懐孕(みごもる)し、王はこれを殺そうと欲した。 婢云有物狀如雞子來感於我故有娠也 婢は云った、「物の状(かたち)が有り鶴(ツル 雞(ケイ)=鶴(カク)?)の鳥(とり...
View Article東明之後有仇臺者
東明之後有仇臺者篤於仁信 東明の後に仇台(=閭達?魏書より 仇(ク)=閭(ロ→コ)? 台(タイ)=達(ター)?)という者がいて、仁信に於いて篤(あつい)し、 始立其國於帶方故地 始めにその国を帯方(テジョン(大田)? 帯(タイ)=大(タイ)? 方(ファン→タン)=田(テン)?)の故地(後(うしろ)の地? 故(コ)=後(ゴ)?)に立てた。 漢遼東太守公孫度以女妻之 漢の遼東(領東?...
View Article開皇初其王餘昌遣使貢方物
開皇初其王餘昌遣使貢方物 開皇(581年~600年)の初め、その王の余昌は使者を遣わし方物を貢いだ。 拜昌為上開府帶方郡公百濟王 昌を拝して上開府、帯方郡公、百済王と為した。 其國東西四百五十里南北九百餘里 その国の東西は四百五十里(一里150m換算で約67.5辧法南北九百余里(一里150m換算で約135厖召蝓法 南接新羅北拒高麗其都曰居拔城 南(東南? 梁書新羅伝より)に新羅に席(位置する...
View Article長史三年一交代
長史三年一交代 長史は三年に一度交代する。 畿內為五部部有五巷士人倨焉 畿内は五部をつくり、部には武家(五(ウー)=武(ウー)? 巷(コウ)=家(コ)?)が有り、士人が倨(=居?すむ)する。 五方各有方領一人方佐貳之 五部(方(ホウ)=部(ホ)?)には各(おのおの)部領(部のかしら 方(ホウ)=部(ホ)?)が一人いて、部佐(方(ホウ)=部(ホ)?)がこれを貳(補佐する)する。 方有十郡郡有將...
View Article俗尚騎射
俗尚騎射讀書史能吏事 俗は騎射を尚(とうとぶ)し、書史を読み、吏事を能(できる)し、 亦知醫藥蓍龜占相之術 亦、医薬、蓍龜(めどぎと亀の占い)、占相の術を知る。 以兩手據地為敬有僧尼多寺塔 両手を以て地面に拠(おさえる)し敬うを以てする。僧尼がいて、寺塔が多い。 有鼓角箜篌箏竽箎笛之樂投壺圍棋樗蒲握槊弄珠之戲...
View Article國中大姓有八族
國中大姓有八族沙氏燕氏刀氏解氏貞氏國氏木氏苗氏 国中には大まかに姓が八族有り、沙氏、燕氏、刀氏、解氏、貞氏、国氏、木氏、苗氏である。 婚娶之禮略同於華 婚娶の礼は略(ほぼ)中華と同じ 喪制如高麗有五穀牛豬雞多不火食 喪制は高麗の如くである。五穀、牛、猪、鶏が有り、多くが火食(火で煮たり焼いたりして食べること)をしない。 厥田下濕人皆山居...
View Article高祖善之下詔
高祖善之下詔曰百濟王既聞平陳 隋高祖はこれを善とし、詔(みことのり)を下して曰く、百済王は既に平陳を聞き、 遠令奉表往復至難若逢風浪便致傷損 遠く奉表を令した。往復は至難で、若し風浪に遭えば、便(すなわち)傷損を致す。 百濟王心跡淳至朕已委知 百済王の心跡(心がけと行動)は淳速(深く速い 至(シ)=速(スー)?)で、朕はすでに委知(つぶさに知る)した。
View Article相去雖遠事同言面
相去雖遠事同言面 相(あい)去ること遠いと雖も、言面を同じくするを事とし、 何必數遣使來相體悉 どうして必ず数(たびたび)使者を遣わし来て体裁(ていさい 悉(シー)=裁(サイ)?)を相(次ぐ)するのだろうか。 自今以後不須年別入貢 今より以後、年別の入貢は不須(もとめない)である。 朕亦不遣使往王宜知之使者舞蹈而去...
View Article開皇十八年昌使其長史王辯那來獻方物
開皇十八年昌使其長史王辯那來獻方物 開皇十八年、昌はその長史の王辯那を遣わして来させ方物を献じた。 屬興遼東之役遣使奉表請為軍導 属(たまたま)、遼東の役が興(おこ)り、使者を遣わして表を奉り、軍の導きを為すことを請うた。 帝下詔曰往歲為高麗不供職貢無人臣禮故命將討之 帝は詔を下して曰く、「往歳(以前)、高麗が職貢を供さず、人臣の礼も無かった為、故に将軍に命じてこれを討たせた。...
View Article昌死子餘宣立
昌死子餘宣立死子餘璋立 昌が死に、子の余宣が立ち、死に、子の余璋が立った。 大業三年璋遣使者燕文進朝貢 大業三年、璋は使者の燕文進を遣わし朝貢した。 其年又遣使者王孝鄰入獻請討高麗 その年、又、使者の王孝隣を遣わし入献し、高麗を討つことを請うた。 煬帝許之令覘高麗動靜 煬帝はこれを許し、高麗の動静を覘(のぞ)かせた。 然璋內與高麗通和挾詐以窺中國...
View Article其南海行三月有牟羅國
其南海行三月有牟羅國 その南へ海行(海を行く)すること三日(みっか 月(にくづきのジク?)=日(ジツ)?)、牟羅国(おそらく木浦の辺り?)が有る。 南北千餘里東西數百里 南北は千余里(一里150m換算で約150劼△泙蝓法東西は数百里(一里150m換算で約30辧腺苅記辧法 土多麞鹿附庸於百濟 土地には麞鹿(おそらくキバノロ?)が多く、百済(チョンジュ?)に附庸する。 百濟自西行三日至貊國云...
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