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趙王歇復居信都

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趙王歇復居信都張耳從項羽諸侯入關

趙王趙歇はまた信都に住んだ。趙丞相張耳は楚上将軍項羽と諸侯に従って関に入った。

漢元年二月項羽立諸侯王張耳雅游

漢元年二月、西楚覇王項羽は諸侯、王を立て、趙丞相張耳はよく人とつきあい、

人多為之言項羽亦素數聞張耳賢

人の多くがこの言(げん)を為し、西楚覇王項羽もまた素(もと)よりたびたび趙丞相張耳の賢さを聞いており、

乃分趙立張耳為常山王治信都信都更名襄國

そこで趙を分けて趙丞相張耳を立てて(趙地の)常山王と為し、信都で治(おさ)めさせた。信都は名を襄国と改(あらた)めた。

陳餘客多說項羽曰陳餘張耳一體有功於趙

陳余の食客の多くが西楚覇王項羽に説(と)いた曰く、「陳余、張耳一体で趙に於いて功が有ったのです」と。

項羽以陳餘不從入關聞其在南皮

西楚覇王項羽は陳余が入関に従わなかったことを以ってして、その南皮に在(あ)るを聞き、

即以南皮旁三縣以封之而徙趙王歇王代

すぐに南皮の傍(かたわ)らの三つの県(河間の趙の地)を以ってこれに封ずるを以ってし、しこうして、趙王趙歇を移(うつ)して代(趙地)で王にした。

張耳之國陳餘愈益怒曰

(趙地の)常山王張耳の国で、(趙地の)成安君陳余はいよいよますます怒(おこ)り曰く、

張耳與餘功等也今張耳王

「張耳とわたしは功績が等(ひと)しいのに、今、張耳は王で、

餘獨侯此項羽不平

わたしは侯で、これ、項羽は公平ではない」と。

及齊王田榮畔楚陳餘乃使夏說說田榮曰

斉王田栄が楚に叛(そむ)くに及んで、(趙地の)成安君陳余はすなわち夏説をつかわし斉王田栄に説いた、曰く、

項羽為天下宰不平盡王諸將善地

「(西楚覇王)項羽が天下の為につかさどるは公平ではなく、ことごとく諸(もろもろ)の将軍を善い土地で王にして、

徙故王王惡地今趙王乃居代

古い王を移(うつ)して悪い土地で王にさせ、今、趙王(趙歇)はすなわち代(趙地)に住んでいます。

願王假臣兵請以南皮為捍蔽

願わくは、王(斉王田栄)はわたしに兵を貸して、南皮を以ってふせぎ守らせてください」と。

田榮欲樹黨於趙以反楚乃遣兵從陳餘

斉王田栄は趙に於いて党を立て、楚に叛(そむ)くを以ってすることを欲し、そこで斉兵を遣(つか)わして(趙地の)成安君陳余に従(したが)わせた。

陳餘因悉三縣兵襲常山王張耳

(趙地の)成安君陳余は三県の兵をありったけ出すに因(よ)りて(趙地の)常山王張耳を襲(おそ)った。

張耳敗走念諸侯無可歸者曰

(趙地の)常山王張耳は敗走(はいそう)し、諸侯の帰属するべき者が無いのを思い、曰く、

漢王與我有舊故而項羽又彊

「漢王(劉邦)は我(われ)と昔なじみで有り、しこうして項羽もまた強く、

立我我欲之楚甘公曰

我(われ)を立てた。我(われ)は楚に行くことを欲する」と。甘公曰く、

漢王之入關五星聚東井東井者

「漢王(劉邦)の入関したとき、五星(水星・金星・火星・木星・土星)が東井にあつまりました。
東井とは、

秦分也先至必霸楚雖彊後必屬漢

秦の分野であります。先んじて至(いた)った者が必ず制覇(せいは)するでしょう。楚は強いと雖(いえど)も、後(おく)れたので必ず漢に属(ぞく)することでしょう」と。

故耳走漢漢王亦還定三秦方圍章邯廢丘

故(ゆえ)に張耳は漢に逃走した。漢王(劉邦)もまた三秦を平定しに還(かえ)り、まさに雍王章邯(旧秦将)を廃丘に包囲(ほうい)せんとした。

張耳謁漢王漢王厚遇之

張耳は漢王(劉邦)に謁見(えっけん)し、漢王(劉邦)は厚(あつ)くこれを待遇(たいぐう)した。

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